第57話 蒼髑髏の女海賊

 ───ガシャ───ン!


 ダリル達が飲んでいたテーブルが、唐突に蹴り飛ばされる。そこに乗っていた細やかな料理は壁にぶつかって撒き散らされ、絵具代わりに見るも無残なアートを形成。テーブルなんてすっかり砕けてしまい、もう修理できないまでに粉々になってしまった。幸い酒だけは手に持っていた為に無事であったが、果たしてそれがどの程度に運が良かった事なのか、ダリルには全く分からなかった。そもそもこの展開が何なのか、理解さえできないでいる。


「何とか言ったらどうだい? 今更怖気づく玉じゃないんだろ?」


 ダリル達の目の前には、テーブルを破壊した張本人の女が立っていた。燃えるような真っ赤な巻き髪を、インパクトのある胸の辺りにまで伸ばした、二十代半ばほどの良い女だ。不遜な面構えでダリル達を睨む彼女は、どうも隻眼らしく右眼を眼帯で覆っていた。しかし片目であろうと放たれる凄味は微塵も衰えておらず、むしろその辺の強面に凄まれた方が百倍マシであると、そう断言できるほどに恐ろしい。先ほど宝の話をしたベンは未だ笑顔を絶やさないが、ダリルはそれ以上視線を合わせる事ができなかった。外見は凄まじく良い女であるのだが、中身はそれ以上に最悪な女であると、本能的に察したのだ。


「……同業者じゃない、元同業者だ。今はちんけな船乗りさ。さっきからあつ~い視線を店中から感じてたもんで、ビビりな俺の心臓は働きっ放しだったぜ? なあ、蒼髑髏の女海賊、バルバロさんよ?」


 ベンが改めて酒場を見回す。こんな騒ぎが起きたというのに、店内の客達は全く微動だにしていない。それどころか、実に楽しそうにこのやり取りに聞き入っている。おそらくは全員がこの赤毛女とグルであると、ベンは最初に客達の注目を集めた際に悟っていた。


「一応聞いておくが、アタシらの存在に気付いていた上で、何であんな話をしたんだい?」

「話しても話さなくても、アンタは自分が望む方に強制するんだろ? なら、俺は少しでも自分が楽しめる方を選んだだけだ。おかげ様で、人生で一番楽しい語りができたよ。お前、あの海の生き残りか何かか? ま、そんなのはどうでも良いか。折角ここまで辿り着いたってのに、宝はもう海の藻屑だと聞いた気分はどうよ?」

「……なるほど、やっぱり良い男だ。そして良い海賊だよ、アンタは。でもぉ───」


 刹那、バルバロは腰に差していたカトラスを抜き、ベンの喉元に突き付ける。既に剣先が僅かに刺さっており、そこから血も徐々に滴ってきていた。


「───最後の最後で嵐程度で沈んだ、間抜けな船員らしい勘違いをしてる。なあ? 何が間違っていたのか、その狡賢い頭で考えられるかい?」

「お、おいっ!」

「コイン一枚ばかり勇気は買ってやるが、そっちのお友達は黙ってな!」

「あっ、う……」


 ダリルが止めようと咄嗟に立ち上がるも、バルバロの眼光に当てられて口を噤んでしまう。住んでいる世界の違いを見せ付けられるばかりで、抵抗は許されなかった。


「……さあねぇ、ちっとも分かんねぇや。俺は馬鹿だからな」

「なら、アタシが丁寧に教えてやろうか? 一つ、アンタは自分らが振り撒いた嘘で北の海賊共が自滅したと思い込んでいるようだが、そいつはいくら何でも都合が良過ぎる」

「ぐっ……」


 剣先が更に入り込む。


「なら、実際のところはどうだったのか? 何、簡単な話さ。アタシが全部の船を沈めて回ったから、あの海から海賊がいなくなった! 数だけしか取り柄のないネロも! 口だけが達者だったジモルも! アンタが頭に思い描いた海賊共は、全部アタシが潰したっ!」


 バルバロが興奮する度に、ベンの喉元からは血が溢れ出していく。ダリルにはもう口を挟む勇気は毛ほどもなく、この状況を見守る事しかできない。


「………」

「っと、これ以上行くと本当に逝っちまうか。ま、それもこれも、アンタらの嘘を信じた結果だったんだが。あの頃はアタシも若かったからねぇ。その一点に限っては、アンタが乗っていた船の思惑通りだった訳さね」

「ッハ、そいつは愉快痛快な話だぜ、まったく」

「奇遇だね。アタシも怒りが一周回って、アンタら出し抜いた海賊共をどう料理してやろうか、楽しく愉快に考えられるようになったところさ。ラカムの片腕であるアンタを見つけるまで、丸々十年かかった。分かるかい? 北方を制覇して、他の海に渡ってからも海賊を狩り続けて、探して、十年だ。名と懸賞金、そして歳ばかりを上げちまった。まさかアタシの標的が、こんなへんぴな港町で飲んだくれているとはねぇ。北方のお宝の争奪、もっと早くに参加してりゃ良かったと後悔するばかりだよ」

「こんな美女に十年も追いかけられるとは、男冥利に尽きるってもんだ。十年もこんな冴えない男を追い掛けるより、アンタの器量ならどっかの貴族にでも嫁入りした方が良かったんじゃねぇか? もったいねぇ事この上ねぇぜ」


 剣で脅されようが、ベンはいつも話す時と同じ飄々とした口調を止めようとしない。実のところ、その一貫した姿勢はバルバロにとって好ましいものであった。が、辛酸を舐めさせられた過去を帳消しにするほどではない。必ず、無残に、徹底的に殺される。ベンには既に自分の未来が見えていた。


「……本当に口の減らない男だねぇ。根性座ってる分、ジモルよりかはマシとしとこうか。ところでアンタ、こんなところで腐ってるって事は、もう宝は諦めちまったのかい?」

「あ? 諦めるも何も、俺以外の仲間は全滅しちまったんだ。たとえ全員生き残っていたとしても、海の底に沈んじまった宝なんて回収できねぇだろ」

「アンタの間違いの二つ目は、正にそこだねぇ。海賊は宝を追い求めるもんなのに、すっかりその気概がなくなっちまってる」

「……言うじゃねぇか。お前なら沈んだ宝を探せるってか? ジモルみてぇに人魚でも連れてなきゃ、絶対に不可能だぜ?」

「そう思いたければ勝手に思っときな。アタシがアンタに求めるのは、宝を積んだ海賊船がどこで沈んだかって情報だけだ。言っておくが拒否権はないよ。つっても、アンタは覚悟を決めてるしねぇ…… ああ、それならこうしよう。素直に話すなら、アンタのお友達は助けてやろう。指一本触れやしない。アンタの死は変わりやしないが、お友達を助けたっていう冥土の土産は増えるだろう? お互いに益のある取引だと思うけどね」

「ッハ、お前さん絶対にろくな死に方しないぜ。 ……嘘じゃ、ねぇだろうな?」

「あたしゃ海賊で悪人だが、偽の情報を流したラカムの一味が嫌いなように、嘘も心底嫌いなんだよ。何て言ったって、嘘つきは海に嫌われちまうからねぇ。おい、ブルローネ! あの地図を持って来な!」

「はいよ、バルバロ姐さん!」


 他テーブルの一角から小麦色の肌をした小柄な少女が飛び出し、スクロールのようなものを抱えながら駆けて来る。元気っ子という言葉が相応しそうな明るい少女であるが、バルバロを姐さんと慕っているあたり、彼女も蒼髑髏の一味なのだろうと容易に想像できた。


「こいつは魔法の地図と言ってね、この辺の地理を正確に記載した優れもんなんだ。こいつがあれば、頭の悪いアンタだって場所の見当がつくだろう? さ、時間が惜しい。十秒待ってやるから、よーく考えて答えを出しな。アタシが満足できない言葉を吐いた日にゃあ、アンタだけじゃなくお友達も酷い目に遭っちまうからねぇ」

「………」


 ───その翌日、港町の広場に一人の首なし死体が転がっていた。不思議な事にその死体の傍らには、首より上を大事そうに抱えながら震える男の姿もあり、酷く怯えた様子だったという。

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