第56話 北方の伝説

 今よりちょうど十年も昔の事、その頃の北方の海は海賊が現れる頻度が高く、三度航海すれば一度は海賊に遭遇してしまうと商人が嘆くほど、大変に危険な海域であった。海賊を魅了する魔海、命知らずの処刑場、黄金と死が眠るユートピア─── 等々、この場所に海賊が大量に集まる理由を推測して、或いは年々更新し続ける死者数を揶揄して、人々がこの海に数多くの呼び名を付ける毎に、その知名度は世界的に広まっていったのだ。名付ける側の意図も実に様々で、単なる娯楽と割り切る金持ちもいれば、まだ見ぬ黄金を夢見る若人、災厄の象徴として畏怖する者だって当然いた。数え切れない各々の想いはどうであれ、皆はこの海に酔っていたんだろう。


 しかし、その海賊の黄金時代とも呼べる危険極まりない時期が、何を境にして幕を閉じたのか、その詳細を知る者はいない。十年前まで海賊の魔窟とされていた北方の海は、今ではその名残りもなく平和、どこまでも平穏な海へと変貌。稀にモンスターによる商船の被害が報告される事はあるものの、海賊による被害は皆無となったのだ。海賊が消えた原因は謎のまま、伝説は伝説として人々の記憶から消え去りつつある。


 そして現在、港街の酒場で話のネタに上がる定番は、皮肉にもまた別の海賊の話だ。海あるところに蒼髑髏の海賊旗あり。こんな言葉が世界に広まり出したのは、ちょうど北方の伝説が薄れるのと同じタイミングであった。


「なあ、聞いたか? 蒼髑髏、また大物を沈めたんだってよ」

「おいおい、またかよ。この前に賞金首狙いのハンターを、大量に返り討ちにしたばっかりじゃねぇか。そいつらの首、塩樽に詰められてギルドに送られたって噂もあるし、マジでおっかねぇな」


 とある酒場の一角にて噂話に興じる彼らも、どうやらその口であるらしい。仕入れたばかりの新鮮なネタを肴に、酒の席に話の花を咲かせている。


 かつての海賊伝説が消滅しようとも、世界から海賊がいなくなる事はない。そんな中で蒼髑髏の海賊旗が有名になったのは、海賊船の船長が世にも珍しい女海賊であったから、という説もあるが、実際のところは単純に海戦において負け知らずであったからだ。海賊旗を掲げる以上、他の海賊や国の海軍、果ては懸賞金目当てにお尋ね者を狩る賞金稼ぎに狙われるのは日常茶飯事だ。自由という名の見返りは大きい。だがそれ以上に血みどろの生活を送る事となる対価は重く、大抵の海賊は一年も持たずに自らの生を差し出してしまう。


 蒼髑髏の女海賊はそんな過酷な状況下で、もう数年間も第一線で戦い続けている事になる。これだけでも噂にならない筈がないだろう。しかも彼女の噂は過激なものが多く、刃を交えた敵を完膚なきまでに粉砕して必ず全滅させ、その後に強烈なメッセージを大衆に送りつけるという、残虐なスタイルを一貫させているのだ。敵が賞金稼ぎであれば、依頼者の下に生首を送り付けるのは最早常套手段。罵詈雑言を書き殴った手紙と共に、凄惨な死体が街のど真ん中に放置されていた、なんて事件も何度かあったくらいだ。その特異性はかつての北方の海に生きた海賊達にも通じるとして、今世界に最も名を轟かせている海賊は彼女であると話す者も多い。


「でもよ、やっぱ史上最強の海賊は十年前の奴らだと思うんだよ」

「ベン、またその話かよ。北方の海賊伝説なんて昔の話、よくそんなマジになれるもんだよ。感心もんだわ」

「いやいや、皆伝説伝説って馬鹿にするけどよ、ほんの十年前の事だかんな!? あの頃は皆夢中になって噂してた癖によ、すぐに新しい話題に乗っかちまう。そっちの方が俺はどうかと思うね!」

「へいへい、悪かったよ。その頃の俺は懸命に働いていて、噂話なんててんで興味がなかったんだ」

「ッハ、今の体たらく振りでよくそんな上等な事が言えたもんだぜ。その頃のダリルは確かに知らねぇが、そう言って昔も今と変わらねぇってのがバレバレだっての」

「う、うるせぇな…… じゃあよ、北方の海にはどんな奴らがいたんだよ? 蒼髑髏よりもすげぇのがいたのか?」

「そりゃあいたさ、沢山いた! フック腕のネロ・ネバーランドは圧巻の大艦隊を率いた偉大なる海賊だったし、他には人魚をも口説き落とした色男ジモル・バッフォルや、千里の海を見渡せたっつう逸話があるほど将来を期待された若き海賊、テキーラ・サズなんてのもいてよ! 古顔から新人まで、どの世代にも隙がねぇのなんのって!」

「ま、まあその辺にして落ち着けよ。お前興奮し過ぎだって。ほら、周りに見られてんぞ……」


 自慢げに語るベンを、対面に座る友人のダリルが制止する。周りを見回すと、確かに酒場の客達の視線がベンに集まっていた。どうやら彼の大声が、酒場中に響き渡っていたようだ。


「わりぃ、久しぶりに語ったもんで、興奮しちまった。でも…… へへっ、こうやって注目を浴びるのは、存外悪くねぇかもな。今日はやけに酒が美味い!」

「お、おう? ベン、やっぱりお前変わってるよ…… あー、でもそんなお前なら、あの魔の海から海賊がいなくなった理由も知ってんのか? ほら、いつの間にか平和になって、全っ然語られなくなっちまったじゃん」


 さり気なく聞いてみるダリルも、やはり伝説の海賊達の結末が気になっていたようだ。ベンはやれやれ仕方ないなと首を振り、ここだけの話だぞと注意した上で、ダリルに語り掛ける。


「何でもよ、あの北方海域に隠されていた宝が、ある海賊によって発見されたのが原因らしいぜ? その宝は全ての海賊が狙っていた代物だ。手に入れたら当然全員と敵対しちまう。だからそいつは上手~く立ち回って、他の奴らを出し抜いた。宝が隠されていた島でよ、嘘の情報を流したんだ。この中の誰かが、宝を持って隠していやがるってな。俺が宝を手に入れるんだ! って、息巻く他の奴らが争っている間にあの海を抜けちまえば、もうこっちのもんさ。目立たねぇようにコソコソと海を出てる間に、我欲に飲まれた海賊達はそこら中で争い合ってんだからな。で、宝を無事に手に入れた海賊は、早々に他の海に渡って逃げ延びた。一方で島周辺に及んだ偽の情報は、それ以降も北方全域に拡散したみてぇでよ。結局もうねぇ宝を巡って、最後の最後まで海賊共は争っちまった。その結果が伝説の終焉よ」

「……何か、想像した以上に詳しい話だな。まさかベン、その時に宝を持った海賊団にいたとか、そういうオチか?」

「ハハッ、どうだろうなぁ? ま、その海賊もそれ以来油断しちまったのか、他の海で客船を襲っている最中に嵐に遭っちまってよ、そのまま客船もろとも沈んじまったんだ。北方の海にあったとされる宝も、その時にドボンよ。運が良かったのか、海賊側の船員一人はどっかの陸地に流れ着いたって話だが…… ま、これで話は終わりだ。ご清聴ありがとさん」

「は? え、ええ……? マ、マジか?」


 衝撃が強過ぎたのか、ダリルは完全にアルコールが抜けてしまったようだ。ベンはそれさえも面白いとばかりに、どこまでも笑っていた。


「いや、でも…… 何でお前、今になってそんな事を教えてくれたんだ? それ、絶対に話すべきじゃねぇだろ。誰かの耳に入ってみろ、危ねぇぞ……」

「こんな俺を心配してくれてありがとよ、親友。ま、何だ。冥土の土産に、楽しい思いをしたかったんだよ」

「は……? も、もっと意味分かんねぇよ。何を不吉な事を───」

「───おいおいおいおい。宝を持ち逃げしやがった奴がどんな腰抜けなのかと思えば、なかなか骨のある良い男じゃないかい。アタシらに気付いて尚最期を楽しむなんて、普通はできる事じゃないよ? やっぱアンタ、アタシらの同業者だね?」


 不意に掛けられた女の声。しかしダリルが先に感じ取ったのは、声ではなく強い衝撃だった。

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