第32話 不審人物

 モルクの私設艦隊は黒色の海へと進み、周囲や下を見通す事のできない海面に警戒を払う。風魔法で船足を速めていた補助も一旦取り止め、じわじわと石橋を叩くように、慎重に進行していく。


「不気味なほどに静かですな。耳に入るのは小さな波音くらいなもので、渡り鳥の囀りの一つも聞こえやせん……」

「その通りですな! 海水が黒く、それに合わせたかの如く空が曇り出したのを無視すれば、実に平和な海域と言えましょう! これでお天道様が顔を覗かせてくだされば、漆黒の海でも少しは安心できるというもの! それはそうと、海水を少量でも汲んでみませぬか、モルク殿!?」

「サ、サズ殿が望まれるのなら、良いでしょう。お元気になられて何よりです……」


 モルクは心にもない事を口にしながら、部下に海水を汲み上げるよう指示を出した。


(しかし、本当に静かな海だ。風までもがピタリと止んでいるではないか。普段であれば気にも留めぬような事ではあるが、やはり気味が悪いな)


 椅子に座って一息入れ、コップに注がれた水で喉を潤す。長年の経験を培っている船員達にとっても、このような海は初めてだと報告されている。アークの件も含め、迂闊な事はできない。モルクがそんな風にこれからを案じていると、再び伝令役から連絡が入るのであった。


「報告します! 進路方向上に、船影あり! 怪しげな光と共に、真っ直ぐこちらへと向かってきます!」

「き、きたかぁ! それで、その船はどんなものなのだ!? やはり、アークを輸送していた運搬船か!?」

「そ、それが―――」

「モルク殿、それは実際見た方が早いという奴ですな! 単眼鏡を覗いてみてください。面白いものが見えますぞ!」

「面白いもの、ですか? どれ……」


 逸早く単眼鏡に目を当て始めたサズに言われ、モルクも彼が見る方向へと単眼鏡を向けた。


「……サズ殿」

「何でしょうか?」

「ワシの目がおかしくなっていなければ、あれは小船。それも精々二人乗れるかどうか、その程度のサイズに見えるのですが……?」

「奇遇ですなぁ! 某もそう思っていたところなんですよ!」


 モルク達の持つ単眼鏡は国内で販売される最高級品で、かなり遠くのものまで鮮明に見る事ができる。そんな高価なものを通して見えた光景は、所謂木製のボートに一人の人間らしき者が乗る、ただそれだけのものだった。ボートは黒色に塗装されていて一見気付き難くなっているが、蒼白い光を放つランプが先端に取り付けられている為に、発見するのは容易な事だった。船足も実にゆっくりといった感じなので、一度捕捉すれば見失う事はないだろう。


「ハ、ハハッ! サズ殿、幽霊船とは一人だけで構成されたものなのですかな? これならば、アーク一人とさして戦力は変わりないではありませんかっ!?」

「ほう、そのようにお思いで!?」

「まさかっ! たとえアークが単独でボートを盗み、一人抜け出してこの場所を彷徨っていたとしても、彼奴の力は想像を絶する! 決して油断してはなりません。我が艦隊の全力をもって捕らえるのが、最上の策でしょう! 全船に伝えよ! 全方位からあの小船を囲い、いつでも大砲を放てるよう布陣せよ、となっ!」

「ハッ、了解しました!」


 モルクの号令に合わせて、船員達が忙しなく動き出す。


「流石はモルク殿ですな! 女一人に対しても、つけ入る隙を全く与えない!」

「アークはただの女ではありませんよ。奴と戦うくらいであれば、幽霊船と出くわした方がマシとさえワシは思っとります」

「ほう……! 海を跨いでいるとはいえ、闘技場での栄光を耳にしておりましたが、そこまでなのですか!?」

「それこそ直接目にした方が早い、というやつです」

「おっと、お株を取られてしまいましたか! ハァーハッハ!」


 モルクらが乗る巨大戦艦の周りに護衛として四隻のガレオン船を残し、向かって来るボートの両端に並走するようにして、左右それぞれに四隻のガレオン船が進み出す。大砲が当てられる射程範囲にボートを収め、かつアークが跳躍しても到底届かないであろう距離を慎重に保っての進行だ。難しい船の制御が必要とされるが、ここにいる船乗り達の技量は皆一流。波の静かなこの海であれば、他愛もなく実行できる事である。


 船の布陣が形成し終わる頃になると、ボートの様子が肉眼でも分かるようになる。ボートは嵐にでも遭遇したのか、至る所が破損しておりボロボロだった。今にも沈没してしまいそうなボロ船、そしてそんな船に乗る者の格好も同様に、実に粗末で薄汚いものである。ボートはランプの不気味な光で照らされてはいるが、謎の人物は俯いたままで顔がよく見えない。


「布陣、無事に完了致しました!」

「うむ、ご苦労」

「して、これからどうするのです!? 大砲の筒先を何重にも向けてはいますが、目的はあくまでも捕縛! 小船諸共沈めて終わり、なんて簡単な話ではありますまい!」

「そう騒がんでも、もちろん承知していますとも。まずは、一応の説得からです。おい、例のものを寄越せ」


 何やらモルクの部下達が、船内より大型の機材を運び出してきた。サズは興味津々な様子で、その道具を凝視する。


「これは闘技場でも使用されている、特別なマジックアイテムでしてな。専用の機材であるこの筒に、音を出してやれば……」


 モルクは大きく息を吸い込み、大きな腹を更に大きく膨らませる。


「我々はモルク私設艦隊である! アーク・クロル、貴様の居場所は既に割れておるぞ!」


 モルクの持つ筒にて叫んだ声が、背後の大型機材から更にボリュームの上がった音となって周囲に拡散していく。モルクの言うこれらマジックアイテムは、所謂拡声器的な役割を果たす大型スピーカーだったのだ。これならばモルクの声は、眼前のボートにまで届くだろう。


「おおっ! これは何と素晴らしきマジックアイテムでしょうか! 某も使ってみたいものですなっ!」

「そ、それはまたの機会に…… あー、アーク・クロル! 降伏するのであれば、我々はその意思を尊重する準備がある。無駄な抵抗は止めて、大人しく両手を―――」

『―――オ前ハ、何ヲ言ッテイル?』

「……あ?」


 それは突然の響きだった。モルクのように拡声器を使っている訳でもなく、大声を発しているようにも見えない。だがその声は明らかに異質で、どう考えてもボートに乗る人物のものとしか考えられなかった。酷く擦れていて、呟くようにボソボソとした男の声で。だというのに、その声は周囲を取り囲む船全てにまで届いていた。まるで、心に直接語り掛けられているように。


「モルク殿、どうやらあの者は女性ではなく、男性のようですが?」

「わ、分かっております! ワシだって何が何だか……」


 モルクをはじめとして、船員達にも動揺が広がっている。こんな得体の知れない海にまで来て、ようやく探し当てた人物が目的のアークではなかったのだ。では、アレは? そんな疑問や不安が心に表れてしまうのも、ある意味仕方のない事である。


『コノ海ハ我ラガ領域、徒ニ足ヲ踏ミ入レテ良イ場所デハナイ。立チ去レ』

「き、貴様に指図されるモルクではないわっ! ここにアークがいる事は分かっているのだ。大人しく居場所を教えれば、貴様だけは最大限の配慮をしてやる!」

『知ッタ事カ。警告ハシタ。コレ以上話ス事ハナイ。去レ』

「どこまでも無礼なっ……! 彼奴を捕らえろ! とっ捕まえて皮を剥いで、魚の餌にしてくれるわ!」

『ホウ、皮ヲ剥グ? 一体ドコヲ剥グト言ウノダ?』


 謎の人物はゆっくりとした動作で俯いていた顔を上げた。ランプの光が彼を照らすと、そこには人間らしい顔はなく、代わりに人骨が剥き出しとなっていた。粗末な衣服の下で動いていたのは骸骨、そこに肉は一切なく、カラカラと骨同士をすり合わせて笑っているようだった。


「なあっ!?」

「ひぃっ!」


 大砲を用意していた船員の誰かが、高まる緊張からか手を滑らせた。或いは恐怖に押し負け、絶対的な敵として認識してしまったんだろう。バウンと火薬の盛大な音を鳴らせて、ボートの方向へと撃ってしまったのだ。その行為が引き金となって、誤った攻撃の合図は伝染してしまう。次々と追加の大砲が発射されて、遂にはそのうちの一発がボートに直撃した。


「おっと、当たりましたな! しかし、これで宜しかったので!?」

「……撃ってなくとも、ワシが命令しておりましたよ。まあ、勝手な行動に罰は与えますが。それよりも、今はアークです。奴があの化け物の仲間、噂の幽霊船とやらに乗り込んでいたら―――」

『―――明確ナ敵対行為ヲ認識シタ。モウ、全テガ手遅レ、手遅レダゾ』


 ボートが爆発する最中に、そんな声が再び心に染み入る。ゾクリと、モルクは嫌な予感を抱きながら、藻屑となったボートの残骸を目にしていた。

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