第19話 金獅子
その女は美しかった。いや、この状況で何を言っているんだ、遂に壊れたかと馬鹿にされるかもしれない。けど彼女の姿を見て、俺は本当にそんな印象を抱いてしまった。クリスが可愛い寄りの美の化身だとすれば、こちらは紛うことなき豊麗なる女神。うん、自分でも喩えが下手なのは自覚しているし、今の俺は動揺しているのも分かっている。だってさ、これは、その…… 色々と目のやり場に困る。
獣人の子供達と同様に、航海中は彼女もこの不衛生な環境に置かれていたんだろう。腰まで届く、長く艶やかであったろう金の髪は酷く汚れている。両手両足は鉄球と繋がった鎖で結ばれ、纏った衣服も粗末なものだった。粗末度で言えば、この世界で目覚めたばかりの俺の格好も負けていなかったが、大体それと同じくらいだ。所々解れているような質素な布を一枚羽織っただけ。この意味が分かるか? ボンキュッボンな裸体の上に、それだけなのだ。獣人の子らは年齢が年齢なだけに、それほど気にする事もなかった。が、これは不味い。俺は健全なる若人なのだから。
「ん、新手?」
そんな格好を気にしまくりな俺とは対称的に、彼女は全く意に介さないとばかりに恥じらわない。闘技場の剣闘士、だったか? もしかして、そんな感情は既に捨て去った! みたいな、男らしいノリなんだろうか? お願いだから、もっと恥じらってください……!
「見覚えのない顔ね。ま、私そこまで記憶力が良い訳でもないし、どうでもいいか。誰から死ぬ?」
俺の願いは儚くも崩れ去った。つうか、このままじゃ冗談抜きにやばい。俺らを敵だと完璧に勘違いしている様子だ。
「早まるなって、俺らは敵じゃない。今さっきこの船に襲撃されて、返り討ちにしたところなんだ。君と敵対するつもりは毛頭ないよ」
「襲撃? ああ、だからさっきから騒がしかったのね。このハゲが牢を開けた時はどうしたのかと思ったけれど、なるほどなるほど…… じゃ、やっぱり殺すわ」
「何でっ!?」
笑顔の返答に、思わず叫んでしまった。今の会話、俺と敵対する要素なくない?
「一つ、私はその子らと同じで奴隷の扱いになってるの。仮に貴方が真っ当な人間で、このまま助け出せたとしても、この首輪がある限りは法的にまた奴隷の立場になってしまう。こんな脱走のチャンスが巡ってきたっていうのに、一緒に陸地に戻るのは馬鹿のする事よね?」
「そういう事か…… なら、俺らは君にこれから何の関与もしない。それなら問題はない―――」
「―――二つ」
わあ、次もあるんだ。俺は軽く頭痛を覚えながら避けられぬ選択肢的な運命を感じ、ゴブリンクルー達に警戒するようハンドサインで指示を送る。
「私、これでもこんな所に来る前は、剣闘士のチャンピオンだったのよ。ま、それでも奴隷に片足を突っ込んでいるようなものよね。でも、特に何か罪を犯してそうなった訳じゃないの。ただちょっと、道端でつまらない喧嘩に巻き込まれちゃって、ある男をぶっ飛ばして再起不能にしちゃっただけ。それが闘技場のグランドチャンプだとか、ええと…… とにかく、そんな肩書きを持った奴でね」
「それで、その男の代わりに剣闘士になったのか?」
「そうそう、そんな感じ。逃げようと思えば逃げられたけど、純粋な肉体のみの勝負に興味があったし、飽きるまで付き合う事にしたのよ。どっかの権力者が勝手に強い奴を用意してくれるし、それなりに楽しめたわ」
「……もしかしなくても、戦闘狂ってやつ?」
「そ♪ でもね、流石に連日の同じような戦いには飽きちゃって。船で連れ出されたのを機に逃げちゃおうと画策してた最中に、颯爽と現れたのが貴方達なのよ。この船の船員、ほとんど倒しちゃったんでしょ? その強さに興味があるの。私と死力を尽くして戦って頂戴」
あらー、やる気満々だよ彼女。当初回避したと思っていた戦闘、結局回避不可避な感じだよ。それでも一応、最後の最後まで諦める訳にはいかない。彼女が戦狂いだったとしても、こちとら至って普通の思考で行動しているんだ。
「いや、それは誤解だ。俺らはたまたま運良く事を運ばせられただけで、決して戦闘力が高い訳じゃ―――」
「―――三つ、これは至極単純な理由よ。私も初めて目にしたけど…… その頬の紋章、魔王である証拠でしょ? 私、昔から魔王と戦ってみるのが夢だったのよ。脱走のチャンスと夢の実現、その両方が一気に叶っちゃうなんてね。我慢に我慢を重ねた甲斐があったってものだわ! 闘技場で『金獅子』と畏怖されたこの力、思いっ切りぶつけてあげる!」
駄目だ、人の話を聞かないタイプだこれ! そしてダンジョンマスターの紋章、やっぱ交渉に向いてない!
「クリス、子供達を後ろに下げろ!」
「は、はいっ!」
船員の男を見張るのに二体のゴブリンクルーを使っているから、今ここにいるフリーなのは三体だけ。クリスに子供達を任せ、後方から魔法による支援をしてもらうにしても…… 凄まじい殺気を放つこいつに、果たして勝つ事ができるのか?
ステータス以外は戦いの素人もいいところな俺でも、この女が馬鹿みたいに強いってのは肌で感じる事ができる。俺のタトゥーを見ただけで恐怖してくれた、奴隷船の船員達とは明らかに違う世界の人間だ。話は聞かない、脅しも通じない。となれば、実力で勝たなくてはならなくなる。この展開はできれば避けたかったなぁ……!
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺は下がっちゃ駄目なのか!? 喋る事は喋っただろ!」
壁際にて焦ったように男が叫ぶ。実際焦っているんだろう。だがな、俺も焦っているんだ。
「悪いが、今はそんな余裕なさそうだ。その特等席で無事である事を祈っとけ」
「な、なぁっ……!?」
―――ズズズ。
男が絶望する最中にも、チャンピオンが手枷足枷の役割を担っている鉄球を引きずりながら、一歩一歩着実に近づいていた。まるでこの楽しい時を噛み締めるが如く、ゆっくり、ゆっくりと。
「ふふふっ……!」
「ゴブッ」
「ゴブゴブ」
綺麗だがどこか不気味な笑みを浮かべる彼女は、更に一歩踏み出し―――
「あ、駄目だこれ……」
―――その一歩で、なぜか床に倒れ込んだ。
「………」
「………」
躓いてしまったのか? と、まずはそう思いもした。どんなにタイミングが悪くとも、人間ならそんな事もあるだろうと思ったんだ。ここで攻撃を加えるのも良いが、それではあまりに報われない。だから、見なかった事にしておこう。この一瞬で俺の思考はそこまで考えた。だが、彼女は一向に起き上がろうとしない。喋ろうともしない。
「お、おい、どうした?」
堪らず俺がそう問いかけても、返事はなかった。そんな彼女の代わりに返事をしてくれたのが、彼女のお腹だった。ぐぅ~、と。それも鳴り止まず、連続で奏でられる。
「お前、もしかして……」
「……や、焼くなり煮るなり、好きになさいっ!」
床に伏せた彼女の顔は真っ赤に染まっているような、そんな気がした。いや、たぶんそうなんだろう。耳が赤い。その不埒な服装は全然気にしないのに、変なところで女の子してるのはなぜなのか。しかし、このお腹が減って動けない戦闘狂、一体どうしたもんか。
「あー…… 消化不良な終わり方だけど、ともかく戦闘終了だ。野郎ども、勝鬨をあげろっ!」
「「「ゴブー!」」」
「わ、わーい!」
不審船との遭遇から数十分、俺達は誰が欠ける事も怪我する事もなく、この戦いにケリをつけるのに成功したのであった。
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