第16話 頭が上がらない

 船内に入る。とはいえ、この部屋は船後方の一部分の部屋でしかない。本格的な空間が広がっているのは、デッキの真下に当たる下甲板だ。船内に逃げ込んだ敵もここに隠れている事だろう。逸早く逃げ出していた船長は、たぶん一番奥の方かな?


「うっ! ちょっと臭うな……」

「全然お掃除していないみたいですね。ここまで汚れを放置するなんて、使用人としてはちょっと信じられません……」


 この時点でむわっとした鼻を刺す臭いに襲われ、思わず顔をしかめてしまった。何て言えばいいのかな、洗ってない犬ならぬ男臭? 扉を解放しているはずのこの部屋でこれなら、下層はどんだけ臭いんだと別の意味で恐怖してしまう。こんな場所で生活してるとか、あいつらはもう鼻が麻痺してんじゃないか? DPが許せばガスマスクが欲しいくらいだ。


「下手に階段下を覗き込むなよ。矢を飛ばしてくるかもしれない」

「ゴブ!」

「じゃ、クリス」

「はい!」


 俺の声に合わせて、クリスが手の平の上に炎の球体を作り出した。さっきの戦闘でも見せてくれた、あの炎弾のミニサイズって感じだ。


「思ったんだけどさ、魔法を使う時って呪文とか必要ないのか? ほら、魔法の名前を言ったりさ」

「魔法の詠唱ですか? スキルのランクが低いと必要不可欠ですが、Bともなればなくても発動可能です。人によっては好んで詠唱したり、魔法名を叫んだ方が威力が強まるという説を唱える方もいますが、私は省いてしまいますね。特に魔法が強くなる事もありませんし……」


 む、そうなのか。それなら確かに、省いた方が効率的だよな。ただ、ちょっと残念なような気もする。


「ちなみにこの魔法は『ミストフレア』といいまして、先ほど使用した『ファイアボール』とは別の魔法です。攻撃魔法としての威力はほとんどないようなものなのですが、細かな炎が広範囲に広がるので、魔力の流れを読み取って対象の情報を感知するのに有効なんです。こんな風にっ!」


 そう説明したクリスは、生成したその魔法を階段下へと放り投げた。


「あっつぅ! な、何だ、何が起こったんだ!?」

「わわっ……! 誰か、俺のズボンに引火した火を消してくれぇ!」

「落ち着け、大袈裟に痛がるほどの炎じゃない! さっさと転がって消しやがれ!」


 直後、淡い光がぼわっと階段口から漏れ出して、数人分の驚いたような声が上がった。やはり、そこで待ち伏せをしていたらしい。


「……把握しました。階段の付近に四人、そこから少し離れた場所に三人、船首方向の一番奥に二人です。居場所が分かりましたので、追撃しますね」

「追撃?」

「今度こそ、このファイアボールの出番です! それっ!」


 両手を広げたクリスが次々と炎弾を生成して、これまた次々と下層へと放出し始める。吸い込まれるように階段の下へと潜っていくそれらの魔法が、果たして敵に当たっているのかは、ここからでは見る事ができない。ただ、ボウンボウンと炎を撒き散らす音が鳴る度に、男達の野太い悲鳴が上がっていた。密閉された空間で正確無比な炎弾が飛んでくるとか、恐怖以外の何物でもないよね。


「クリス、お前が味方で本当に良かったよ」

「そ、そうですか? えへへ、マスターに褒められちゃいました」


 照れる一方で、クリスがファイアボールを生み出す動作が止まる様子はない。これ、ゴブリン達の出番ないかもなぁ。撃ってる数からして、何気に階段下だけじゃなくて下甲板の奥まで狙ってるみたいだし。


「こんなものでしょうか? マスター、階段下の安全を確保しました!」

「う、うん。ご苦労様」


 終わってみればあっという間の出来事だった。クリスは笑顔だが、下層からは料理が失敗したような、焼け焦げた臭いが立ち昇っている。魔法職、恐るべし……


「よし、悪いがゴブリンクルーは先行して階段を降りてくれ」

「ゴーブ」


 ここの階段はかなり急な作りになっている。ひと昔前の爺ちゃん婆ちゃん宅にあったような、バリアフリーもクソもないような急傾斜だ。これ、梯子にした方がまだ安全じゃなかろうかと疑問に思ってしまう。


「ゴブッ」

「ゴブゴブ!」


 しかし我が配下、ゴブリンクルーの五人組は急傾斜も何のそのと、実に軽快な足取りで瞬時に下層へと降りていった。俺はあそこまで華麗に降りられそうにない。


「ゴブ、ゴブゴブ」

「ゴッブ」


 ゴブリンクルーのうち四体が前方を警戒、俺らからも見える階段下のクルーが連絡役だ。


「どうだ?」

「ゴーブゴブ」


 連絡役が腕で大きく丸のマークを作った。ひとまずは安全らしい。俺とクリスも続いて階段を下り、下層へと到着。うん、密閉されているだけあって予想通りの臭さである。臭さと共に俺達をまず出迎えてくれたのは、階段下で待ち伏せしていたであろう男達の亡骸だった。ファイアボールをまともに受け止めてしまったのか、全身が酷く焼け焦げていた。南無南無。


「ランタンがあいだあいだに置いてあるけど、まだ薄暗い感があるな」


 そこかしこに足下同様の死体が転がっているものの、死んだフリをしている可能性もある。よくよく注意して進まないと不意打ちを食らうかもしれない。


「それなら、魔法で明るくしますね。えいっ」

「おおっ?」


 などと思考しているうちに、クリスが照明代わりの火の玉を幾つか作ってくれた。火の玉は空中にふよふよと浮遊して、俺達を先導してくれているようだ。マジ明るい。そして段々とクリスさんに頭が上がらなくなってきたぞ、どうしよう。


 などと冗談はさて置き、この階層は奥の奥まで死体以外の人影はなさそうだ。ここの層も物が乱雑に置かれていて、更にはハンモックが馬鹿みたいに結び付けられていた。結べそうな場所があれば、取り敢えず結んでおくという男らしさが感じられる。船員達の寝室代わりだったのかね? ぶっちゃけ通気性が悪いし、俺のイカダよりも不自由してそう。そして不衛生。


「この階層も、生き残りはなしか」


 探索開始から数分。そう、数分で終わってしまった。だって敵影の欠片もなかったもの。部屋というか、薄い壁で区切られた場所は何ヵ所かあって、船長室らしき区画、備蓄庫らしき倉庫を発見した。この臭いからも察する事ができるのだが、当然のように風呂はおろかシャワーもない。料理とかどうするんだろうか? 干し肉オンリー?


「ゴブッ!」

「マスター、更に下へ続く階段をゴブリンさんが発見しました。船の高さからして、恐らく次が最下層です」

「また階段か。それじゃ、さっきと同じ作戦でいくとしようか。クリス、頼んだ」

「はいっ!」


 クリスがミストフレアとやらの素となるミニボールを投じると、バウンと下層で爆発する音が聞こえた。悲鳴や野郎の声らしきものは聞こえない。流石に同じ手では驚かないか。


「……あれ?」


 下層の様子を感知するのに集中していたクリスが、少しだけ間の抜けた声を出した。


「クリス、どうした? 反応がないのか?」

「い、いえ…… えっと、子供のような個体を確認しまして」

「こ、子供か?」

「はい、子供です。しかも二人ほどいるかと」

「うーん、マジか……」


 こんな怪しい船の船底に子供って、もう嫌な予感しかしないんだが。

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