第13話 歓迎

「煙だぁ? ここは海のど真ん中だぞ。人が住む島なんてなかったはずだ」


 見張りからの報告を受けた船長はその不可解な出来事に耳を疑う。そう考えたのは同僚も同じで、何を馬鹿なと半信半疑な様子で進路方向を凝視するのであった。


「……頭、どうやらマジなようですぜ」

「ああ?」


 お前まで何を言い出すんだと船長も同様の行動に出るが、結果はやはり同じ。前方に火を起こす事で生じる黒煙が上がっているのを目にし、口を開けて唖然としてしまう。


「ま、まさか、噂の幽霊船か? 幽霊船なのかっ!? いや俺は幽霊なんて信じてねぇし怖くもねぇけど船の安全を考慮すると近寄りたくねぇっつうか―――」

「頭、落ち着いてくだせぇ! 幽霊は火なんて起こさないっすよ! 恐らく、あそこには人がいるんでさぁ」

「何?」


 海の上に人が? などと考えてはみたが、それを言っては自分達だって海の上にいる人だ。しかし、ここから眺めた感じでは船影らしきものは全く見えない。まるで水面から煙が出ているような、そんな錯覚を見ているようだった。


「船じゃないって事は、もっと高さのないイカダみたいなもんすかね?」

「イカダだぁ? こんな陸から離れた場所にそんなもんで来るたぁ、どんな命知らずだよ?」

「例えばの話っすよ。船が難破して、壊れた船の一部に乗って漂流しているだけかもしれねぇ。近くに俺らの船が通って、救助してもらおうと煙を焚いた……そんなところじゃないっすか?」

「ああ、なるほどな! つまりは幽霊じゃないってこった!」


 急に元気になった船長の姿を見て、船員はまだ怖がっていたのかよと苦笑いを浮かべる。無駄に体はでかいのに、変なところで気が小さいのが船長という男だった。


 それから船長は見張りに煙の発生元の監視を続けさせ、何か変化があった際は逐次報告するよう命令した。全速前進、船は前へ前へと進んで行く。


「え、助けるんですかい?」

「馬鹿言え、誰が助けるってんだ。品定めだよ、品定め。もしかすれば、とびっきりの別嬪がいるかもしれねぇだろうよ? ちょうど航路上にいる事だし、見るだけなら何の遅れにもならねぇ」

「はぁ…… それで、仮にそこにいるのが別嬪さんだったら?」

「助けてやるに決まってんだろうよ。お礼はたっぷりとしてもらうけどなぁ!」

「ああ、なるほど」


 船長はこう言いたいのだ。余計なもんの為に資金に手を出すのはご法度、どこに人の目があるか分からない陸の上で人攫いをするのは危険だが、この海の上で拾ったもんなら何の問題もない。男だったらそのまま捨て置けば良いし、女なら儲けもの。この船旅の慰みものとして、大いに活用させてもらおうという魂胆なんだろう。


(船員のやる気も上がるし、最悪は途中で海に捨ててしまえば痕跡も残らない、か。確かに理には適ってるな)


 船長が果たしてそこまで考えていたのかは疑問が残るが、甲板に転がって気絶しているそこの男とは違って、その行為に穴らしきものはなかった。煙を焚く者次第では、自分や仲間達も十分恩恵にあずかれる。何か引っ掛かるものを感じながらも、同僚は船長の案に乗っかる事にした。


「頭ぁ、見えてきましたぜ! イカダっす、イカダ!」


 船が目的の場所へと近づくにつれ、見張り台からの報告はより詳しいものとなっていった。煙の発生源は丸太を組んだそれなりに大きなイカダで、その上には天幕のようなものが建っていて、煙はその中から出ている。現段階で見える人影は二人、恐らくは男女だという。


「イカダの上に天幕? 何だそりゃ?」

「おいおい、驚くところが違うだろうが。女がいたってところに食い付くべきだろ! おい、顔は見えるか? 歳はどれくらいだ?」

「すんません、そこまではまだ!」

「ばっきゃろう! 分かったらすぐに教えな! すぐにだぞっ!」


 何だかんだで頭も溜まっていたんだなと、船員は心の底からやれやれと首を振る。女という言葉に反応してか、船の上は大変活気に溢れ始めていた。そんな活気に当てられてか、同僚がそれ以上イカダについて勘ぐる事はなかった。


「ああっ! ひゃっほう! やったぜ!」


 もう甲板からでもイカダの存在が十分に視認できるようになったその時、見張り台から喜びの声が上がった。その声色だけで朗報である事が窺える。が、船長や船員達が求めるものは、より詳細な情報だ。


「何一人で喜んでいやがるんだっ! さっさと報告しやがれ!」

「へ、へいっ! 女の方は十代後半の銀髪、それもとびっきりのかわい子ちゃんですぜっ! 綺麗なおめしもんを着てるし、見たところ武装らしい武装もねぇ。カモもカモ、これを逃す手はないっす!」


 船から沸き上がる大歓声は、思わず耳を塞ぎたくなるほどのものだった。モルクの厳しい管理下で働く船員達は思わぬ臨時収入、思わぬご褒美に興奮を隠し切れない。海の上ならば相手が誰であろうと何ら関係なく、権力も財力も意味を成さない。この場における力こそが全てなのだ。


「ぶふふふふ……! お、落ち着けてめぇら! まだ相手が誰なのか分かってねぇんだ。ちゃんとお嬢さんの御身分を明確にしてから、しっかりエスコートしてやらねぇとなぁ」

「頭、よだれが出てます」

「おっといけねぇ…… どうだ、男前になったか?」

「え? あ、はい、たぶん」


 余興のつもりなのか、船長は何やら身なりを整え始めている。すっかりその気になっているようで、鼻歌まで聞こえてくる。しばらく話し掛けるのは止しておこうと、代わりに同僚は見張りに質問をした。


「おーい、男の方はどんな感じなんだ?」

「ああっ? お前、そっちの気があったのか!?」

「違うっての。一見武装がなさそうでも、そんな大層な女と二人きりで海に出るようなイカれた野郎だ。今捕まえているあの女みたく、規格外だと困るだろうが。些細な情報でも欲しいんだよ」

「あ、あー、なるほど? ちょっと待ってくれよ」


 見張りは納得したような、していないような。そんな微妙な表情を作りながら再度イカダを注視する。


「男の方は、そうだなぁ…… フードを被ってて顔はよく見えねぇが、女の方よりはボロい服装かね。体格は中肉中背、武器らしいもんは持ってねぇな。素手だ」

「そっちも武器なしかよ。どうやって今まで過ごして来たんだ?」


 この海域に現れるのは、噂の幽霊船だけではない。海中にはモンスターだって住んでいる可能性があるし、それなりのサイズとはいえ、あんなイカダでは船とは違って標的になりやすいだろう。今まで無事にいられたのは、本当に奇跡としか言いようがなかった。


「どっかの無人島から脱出しようと拵えたイカダなんだろが、何の準備もねぇとは度胸のある奴だ。もしくは、やっぱ馬鹿だな」

「あ、何か言ったか?」

「いえ、頭。そろそろ奴らが見えてくる頃ですよ。ほら、男が手を振ってる」

「男に手を振られてもなぁ…… ま、これも余興みてぇなもんだ! 野郎共、とびっきり歓迎してやろうぜ!」

「「「「「おうっ!」」」」」


 船長の合図一つで、船員達がイカダに向かってを手を振り始める。あたかもこれから救出しようとしているように、少々不慣れな愛想を振り撒きながら。


 いよいよイカダは奴隷船の近くにまで迫って来た。ここまで来れば、誰の目にも男女の姿がよく見える。女は使用人のような格好をしていて、天気が良いのになぜか傘をさしていた。近くで見れば見るほどに愛くるしく、そして美しい。こんな美少女はそうそう拝めるものではないぞと、分かってはいるのだが、船員達は邪な目で女を追ってしまう。


 男の方は相変わらずフードで顔が見えない。怪しいといえば怪しいが、ここまで来てそんな男に目を向ける者はほとんどいなかった。本人達は演技を頑張ってはいるものの、やはり傍から見れば異様な笑顔に映ってしまう。


「やあやあ、こんなところでどうしたのですかな? 難破からの漂流? それともご旅行? どちらにしても、こんなところでそんなイカダでの船旅は危険だ。どうぞこちらへ!」


 演技下手を知ってか知らずか、船長は鼻息を荒くしながら高らかに声を掛けるのであった。

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