第12話 奴隷船

 この世界において、一般的な船といえば木造の帆船やガレー船がそれに当たる。地域や国の文化レベルで多少の差異はあるが、大部分の人間が想像するのはその範疇を出ない。そして、今現在ウィルのダンジョンのある海域に近づこうとするその船も、所謂木造帆船であった。決して大きな部類の船ではなかったが、それでもウィルのイカダと比べれば立派に船と呼べるもの。甲板の上だけでも、船員達が忙しなく働いているのが分かる。


「ったく、あんの女ぁ……」


 船内から頬を真っ赤に腫れ上がらせた男が愚痴を呟き、顔を歪めながら甲板へと現れる。そんな彼が何をしたのか予想が付いたのか、男の同僚はその顔を見た瞬間に豪快に吹き出し、終いには腹を抱え指を震わせながら指すまでして笑った。


「ブワァーハッハッハ! お、お前、懲りずにまたあいつに手を出そうとしたのかよ!? 本当に馬っ鹿じゃねーか!?」

「う、うるせぇな。頭からは航海中、息抜き程度に遊ぶのは許可されてんだ。他の奴らは獣人のガキ共しかいねぇし、選ぶならあの女しかいねぇだろ!」

「身の危険を感じて諦める、って選択肢はねぇんだな……」

「馬鹿野郎! 女が怖くてこんな商売やってられるかってんだ! 俺らは天下の奴隷商、モルクの旦那に仕える実行部隊なんだぜ!?」

「つっても、ただ単に船で輸送してるだけなんだけどな」


 そう、彼らが乗るこの船は奴隷を運ぶ事を生業とする奴隷船。とある場所から奴隷となる者達を仕入れ、彼らの雇い主である奴隷商の下へと、その帰路にある。


「こんな事なら、あの女以外に適当な奴も攫ってくれば良かったんだ。そうすりゃ、俺がこんな思いをする必要なんてなかったのによ!」

「やっぱり馬鹿だろ、お前。今回の目玉はあいつだけだ。ガキ共はあくまで、あちらさんの厚意でおまけして付けてくれた出がらしみたいなもんさ。それ以外の商品を積む予定は今回の仕事にねぇよ」

「でもよぉ……」


 未だに未練がある様子の男に呆れたのか、同僚は大きく溜め息をついた。


「そういやお前さん、モルクの旦那の下で仕事をするのはこれが初めてだったか? 実行部隊とはよく言えたもんだな……」

「う、うるせぇよ! 初めてだろうが何度目だろうが、やる仕事は同じだろうが!」 

「いーや、お前さんは全然分かってないな。余計な欲を見せて破滅した奴を、俺は何度も目にしてきたぜ? 特にこの船じゃな」

「あ? どういうこった?」

「モルクの旦那はそこまでするかってくらいに神経質でよ、びたっと決められた資金しか渡さねぇし、予定にねぇ買い物は絶対に認めねぇんだ。お前が余計な事して、変なリスクでも負ってみろ。俺らの仕事は奴隷の商いに直結だ。モルクの旦那は怒り心頭、誰の責任かって絶対に問われるぜ? そうなりゃ、この船の仲間は喜んで実行犯のお前を差し出すだろうよ」


 同僚は舌を出しながら縄で首を絞める真似をして見せる。その様子はおふざけ半分といった調子だが、男にとっては冗談ではない話だった。ゴクリと生唾を飲み込んで、男は顔を青ざめさせた。


「も、もちろん冗談、だよな……?」

「さてな。俺は実際そんな事をやらかした後、どこかに消えちまった奴を覚えているだけだ。実際のところがどうかなんて、知ろうとも思わねぇし興味もないね」


 それは暗に、お前も馬鹿をすればそうなるぞと警告されているようなもの。頬の腫れからくる痛みを尚更実感しながら、男は余計な行為はするまいと心に誓う。


「ま、そうなると確かにあの女しか手を出す相手はいなくなるわな。手足を縛った状態で引き渡されて、船倉の牢に入れる直前、どさくさに紛れて尻を触ろうとした奴が肘打ちされて、バッキリ骨を折ったんだったか?」

「あ、ああ……」

「そんでその後に人数に任せて取り押さえようとしたはいいが、それでも手が付けられなくて悪戦苦闘。何人もの怪我人を出しながら何とか牢の中に放り込んだ。そりゃあ頭だって、相手ができるもんなら相手してみろって許可は出すだろうさ。で、いくら美人だからってお前、そんな女に手を出そうとするとか勇者だわ。馬鹿とか言ってすまんかったな、英雄」

「うう…… ぶっちゃけ、近くで見ようとして鉄格子の隙間から殴られただけなんだよ……」


 男は見栄を張っていただけだった。同僚は更に大きな溜め息をつき、ポンポンと男の肩を叩く。


「あのよう…… あの女、自力で手足の縄解いてたぞ? つか、千切ってた…… 牢の中とはいえ、大丈夫なのか?」

「俺も詳しい事は知らねぇけどよ、あの旦那が女一人の為にこの船を用意したんだ。そんだけの価値があるって事だろうよ。あの牢だってかなり金を掛けてるって話だ。さ、余計な詮索はこの辺にしておこうや。そろそろ見張りの交代の時間だ。それとも、次は獣人を相手にしてみるか?」


 同僚が今度は大口を開けて、ガブリと噛み付くような仕草をして見せる。再び男は青ざめて、激しく手を振って拒否感を示した。


「それこそ馬鹿ってもんだろ。獣人なんて俺らの国で抱く奴は、余程の変態しかいないぜ? しかもガキだし……」

「お前、ガキじゃなければな~って一瞬考えただろ? やっぱ英雄だな」

「う、うるせぇよ!」

「うるせぇのはてめぇだ、新人!」

「どばっ!?」


 ドガッ! かなり強めの打撃音と共に、男が甲板へと吹き飛ばされる。彼がさっきまで立っていた場所には、大柄強面の坊主頭が興奮した様子で立っていた。この大男こそが先ほどから頭と呼ばれていた、この奴隷船の船長だ。


「あ、頭。お疲れ様です」

「ったく、さっきから騒がしいと思えば…… 一体何の話をしていやがった?」

「いえ、あの新人が随分と溜まっているようでして、俺も迷惑していたところっす」

「ああー? ッチ、おい新人! 次はねぇからな、んなもん自分で処理しとけや!」


 船長が大声で叱咤すると、船上から船乗り達の笑い声が響き渡った。男は殴り飛ばされ笑いものにされ、踏んだり蹴ったりである。


「しっかし、良いんですかい、頭?」

「あ、何がだ?」

「この辺は例の幽霊船が出るって噂の海域っすよね? いかに近道だからって、この航路を通るのは不味いと思いますぜ?」

「ぶっ…… ぐひゃひゃひゃ! お前、そんな噂話を信じてんのかよ? あんなもん、どこにでもある怪談の一つだろうが」

「そうっすかねぇ」


 船乗りであれば、立ち寄った港の酒場でそういった類の話を腐るほど耳にする。ただ、この辺りは行方をくらます船が実際に多い事から、魔の海域と密かに地元民から噂されるようになっていた。この辺りに詳しい漁師などは、まず近付かないという。


「それに今は、何よりも時間が惜しいんだ。ったく、折角余裕を持って出発できたってのに、女一人の引き渡しに余計な時間を使いやがって。モルクの旦那は時間にもうるせぇっての」

「一日でも期限に遅れたら…… おお、こわ。頭、やっぱ急ぎましょう!」

「だな!」


 噂の危険なんかよりも、よりリアルな身の危険が及ばぬ事を優先した船長らは船を飛ばす。しかし、その航路上には何やら不審な光景があり―――


「頭ぁー! 前方に煙がありますぜー!」


 ―――見張り台の船員から、そんな報告が上がってくるのであった。

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