第43話 アリス

 魔王の支配地に入った途端、暗雲が空を覆っていた。

 薄暗く、雲の切れ目からは紫電が弾けているのが見えている。


「落ちないでくださいね」

「はいっ、分かって、るんですけど……!」


 巨鳥に乗るのが初めてのオットイは、中々、バランスを取る事ができなかった。

 青い羽毛を掴むが、体が左右に振られてしまう。


「私のお腹に手を回してください」


 言われ、フーランに密着するオットイ。

 彼女は手綱を握り、力の加減によって巨鳥に指針を伝えていた。

 近づいて初めて分かる、柔らかい体、甘い匂い……。


「やっぱり、女の人なんですね」

「……ええ。――えっ、どういう意味ですか!?」


 魔王の支配地に入ってしばらくは平原が続いていたが、やがて草木は枯れ、ひび割れた地面が多く見えるようになってきた。

 ――荒野に足を踏み入れたようだ。


「……! あれ――」


 フーランが見つけたのは、足場の悪い荒野の道を走る馬車だ。

 二頭の漆黒の馬が乗客室を引いている。

 フーランの視力があれば、中にいる人物が誰なのか遠く離れた上空からでも確認できる。


「いました、あの馬車です」

「ティカは無事ですか!?」

「ええ、今は気を失っているようですが……怪我はなさそうです」


 ほっとしたのも束の間だ、安堵の息を吐くのは、助け出してからである。


「この子を馬車の隣につけます。その後はオットイが飛び移ってください」

「ぼ、僕が、ですか……?」


「私はこの子の手綱を離せませんから。……オットイは、真犯人の方をお願いします。馬車から落としてしまえば、残されたティカは私が救出しますから」


 迷っている時間はない。

 もたもたしている内に馬車は奥地へと進んでしまう。


 奥へ行けば行くほど、魔王勢力の魔族や魔物が多くなる。

 さすがに勇者のリーダーと言えども、まともな準備もせずに戦って勝てるほど、自分の力を過信してはいない。


「行きます」

 とオットイの返事も待たずに、フーランが手綱を操り、巨鳥を馬車の横へ。


 馬の手綱を握る、被りもので顔を隠した犯人も、さすがに気づいたようだ。

 巨鳥にびくっと怯え、手綱を握る手が緩んだ。


「今です!」


 声に反応して、オットイが跳躍した。

 しかし、……距離が、足りない!?


 だが、ぎりぎりのところで足のつま先が馬車の足場に乗り、その勢いのまま、犯人に目がけて前へ飛び込んだ。

 絡み合った二人が馬車から落ち、地面をごろごろと転がる。


 ティカを乗せた馬車は、ひたすら真っ直ぐ進んで行くが……、

 やがてフーランによって足を止められていた。


 遠く見えるフーランが手を振った。

 ティカを救出し、作戦が成功したのだ。


 すると、黒いシルエットのような彼が起き上がった。

 オットイも、背負った剣に手をかける。


 マイマイから聞いた特徴と一致していた。

 長い髪が被りもので隠せていない。


「ティカは返してもらう!」


 彼は丸腰で武器を持っていない。

 だが、彼の手の平から黒い雷が出現した。


 魔法を身に纏い、オットイが反応できない速度で迫って来る。

 剣を抜く暇さえ与えてもらえなかった。


 黒い雷を纏う手刀が、オットイの腹部に突き刺さる。

 裂傷はないが、骨をまともに打たれ、しかも雷が全身を麻痺させる。


 ふわりと浮いたオットイの体が、受け身も取れずに地面に倒れ伏した。

 うつ伏せのまま、彼を見上げる。


「……ウィングを、どうしたんだ……」


 麻痺した体が言う事を聞かないが、口だけは動いてくれた。

 彼は雷を纏う手刀を、オットイに向けている。


「ティカについていた男の子だ! 

 ウィングがいるんだから、ティカがお前なんかに攫われるはずがないんだっ!」


 ティカを守ると誓っていたのだ。

 ――ウィングは、絶対に負けたりしない!


 オットイのそのひたすらに信じる言葉がおかしかったのか、彼が笑った。

 そして、顔を隠していた被りものを取った。


「おれだよ、オットイ。……まあ今はアリスって名前だけどな」


「……………………ウィング………………?」


 彼は、いや彼女は、髪が伸びていた。

 手の甲には不気味に輝く魔王勢力を示す紋章がある。


 ウィングとはとてもじゃないが思えなかった。

 だが、こうして喋ってみて分かる。

 本物だという感覚はオットイには否定できないものだった。


「あー、髪か? 急に伸びるわけもないからな、魔法で伸ばしたんだ」


 長い髪を指先でいじりながら、


「どうだオットイ、女の子に見えるか?」

「どう、して……!」


 魔王勢力なんかに。


 ティカを、攫ったりして……!


「……別に、裏切ったわけじゃないんだ。元々魔王勢力であって、ティカの母親に救われた。ティカを守ると誓った。同時に、魔王様への忠誠も誓っていた。ただそれだけだ」


「店を燃やしてティカを攫うのが、ティカを守る事に繋がるのかよ! 

 ティカの夢を、お母さんとの絆を、お前は壊したんだ!」


「分かってる」


 静かな声だった。

 彼女にも葛藤があったのだ。

 だけど天秤に乗せた結果、こうするべきだと思ったのだ。


「……あのまま店を続けていれば、ティカは自分の力のせいで狙われる事になる。――だったら! 魔王様の元で裕福な暮らしをさせながら、店を続ければいいと思ったんだ!」


 ステータスアップの力を持つティカは、魔王の支配地でもかなり優遇される地位に就ける。

 あの町にいるよりも、幸せな生活を送れる事が確定しているのだ。


 それに、ティカを独占すれば、勇者勢力に差をつける戦力を手に入れられる。

 ウィングが取った方法は、一石二鳥と言える結果を生み出せるのだ。


「……ティカの意思を全部無視してそんな事をするのかよ……」


 話せば、ティカは否定するだろう。

 あの町で、あの店である事に意味があるのだから。


「意外と、そうせざるを得ない状況を作り出してしまえば受け入れるもんだよ」

「ふざけるな!」


 そこで、オットイの体の感覚が元に戻った。

 麻痺が取れ、体が自由に動けるようになる。

 ――オットイが剣を抜き取った。


「後になって、お前も連れて行こうと思ったんだけどな……」


 両手に宿る黒の雷がバチバチと音を鳴らす。


「――やっぱり、勇者と魔王は、相容れないみたいだ」

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