第37話 挑戦者

「坊や」

「…………え!?」


 足音もなく、オットイの前に人影が現れた。

 顔の上半分が隠れ、黒いローブを身に纏う女性である。

 彼女は片方の手の平の上に水晶玉を乗せていた。


「占い屋の、お姉さん……」


 ……どうしてここに?


「水晶が示した場所が、ここだっただけの話ね」


 占い師がオットイの後ろ側へ回る。

 すぅっと、足音がないのが違和感だった。


 遠くならばまだしも、こんな近距離で僅かな足音さえも聞こえないのだろうか?


「やっぱり。坊やの腕の甲にある紋章、薄くなっているわね」


 まるで、水に濡れた紙に乗ったインクのように、擦れば消えてしまいそうだ。


「…………そう、だろうね」

「どうして?」


「勇者は、勇気を持つ者が持つ力だから。

 勇気がない者は弾き出される。僕は今、その途中なんだろうって……」


 逃げて、屈服し、信じていた人を裏切って。

 罪を告白せずに美味しい部分だけをすすって何事もなく去っていく。


 そんな奴が、勇者としていられるわけがないのだ。


「遅かったくらいなんだ。僕はただ、純粋な血筋で勇者になっただけなんだから」


 そこに、オットイがどうしても譲れない意思が、あったわけではない。

 試練を乗り越え、勇者の力を得たプリムムの方が、譲れない想いがある。

 彼女の方がオットイ以上に勇者らしいと思えた。


 ……その譲れない想いがなにかなんて、分からないけどさ。


「……お姉さんは、僕を助けにきてくれたの?」

「そうしたいのは山々なんだけど、私では無理ね。この縄は解けないわ」


「……そんなに強く縛られてるんだ。……刃物とかでも無理そうなの?」

「そうではないわ。私は、触れないの」

「……?」


 水晶玉が、オットイの目の前に置かれた。


「私が触れるのは特別なこの水晶だけ。それ以外は、透き通ってしまう」


 言うが、中には例外なものもある。

 ……足音がなかったのは、地面に触れていなかったから?


 占い師の体が、ふわりと浮き上がった。

 次に、オットイが見ている視界に、彼女が舞い降りて来る。

 着地音はしなかった。


「ゴースト、なのよ」


 言葉を失ったオットイを見て、占い師が訂正した。


「坊やと出会った頃には既にゴーストだったから。

 この生活も、もう数十年以上も続けているの。だから坊やが気にする事はないわ」


 そうは言ってくれたが、声のかけ方が分からなかった。

 幽霊の友達なんて、オットイにはこれまで一人もいなかったのだから。


「だから坊やを助ける事はできないけど、

 ……見えてしまった未来を、見て見ぬ振りにはできなくて」


 占い師が指し示したのは、オットイの目の前にある水晶だった。

 気づけば、透明なはずの水晶が、赤くなっていた。


 夜……? 暗い中で、赤い……炎が、激しく燃えていた。


 これは、未来の映像である。


「三時間……二時間もないかもしれないわ。

 この映像通りに、未来に届いてしまう」


 燃える炎の前に、見知った背中が見えた。

 炎よりも赤い、髪の毛だ。


「……ティカ」


 ――このままでは、大切なあの店が燃えてしまう。


「お姉さん」

「残念だけど、縄を解く事はできな――」


「水晶玉に映ってるティカは、外にいるから、命は助かるって事だよね?」

「……そうね、あの子が巻き込まれて死ぬ事はないわ」


「お姉さんは、未来の出来事に関わったらいけない?」

「そんなルールはないわ。もしもダメなら、坊やにこの事を伝えていないわ」


「そっか……なら、万が一があるかもしれないから、ティカをあの店から遠ざけてほしいんだけど、お願いできる? 店もティカも守りたい。でも、最優先はティカの命だから」


「……ええ、いいわよ。坊やは?」

「僕は……」


 オットイは後ろに回された腕に力を入れる。

 ……まだ足りない。

 だったら、ひたすら続けるしかない。


「――僕たちの店を、燃やさせるわけにはいかないよ」

 


 ブチッ、という音と共に、起こされた椅子から前のめりに倒れる。

 膝から倒れ、オットイは地面に両手をついた。


「…………やっ、た」


 自分の手の平を見下ろし、ぎゅっと握り締めた。

 長い時間がかかった。


 もっとスマートに解決できたかもしれない。

 だけど、そうできない者は、できないなりに活路を見出さなければならない。


 非効率かもしれない。

 だけど結果は同じだ。


 オットイは、縛られた縄を、引き千切った。

 両手が開けば自由度がぐんと上がる。

 椅子の縄を簡単に解き、立ち上がった。


 走って、洞窟の出口へ向かう。

 外に出ると、もう時間は夕方に差し掛かっていた。


「タイムリミットは夜のはずだから、まだ大丈夫……っ」


 しかし洞窟から出て見えたのは、遠い先にある目的地の町だった。

 ただ真っ直ぐ平原を突っ切るだけの道のりだが、道中には魔物もいる。


 単純にオットイの体力と向かう距離が、タイムリミットを過ぎてしまう可能性もある。

 まだ夕方だが、夜はあっという間に訪れる。


 気が急いでいると尚更だ。



 そして、夜になった。

 オットイの足が、ここでやっと町の入口を越える。


 店へ向かって行くと、大群となって迫って来る人々によって流されそうになった。

 なんとか隙間を縫って人の流れに逆流していると、見知らぬ誰かに手を引かれた。


「そっちへ行くな! 家が燃えてんだ、巻き添えになるぞ!」


 親切な男性だった。

 だが、今は邪魔だとしか思えなかった。


「っ!」


 無理やり手を振りほどいて先へ進む。

 何度も肩と肩がぶつかった。

 怒鳴られた事もあった。

 オットイを責め立てる声も、向かう先について心配してくれる声もあった。

 その全てを無視して、オットイは辿り着く。


 帰ってきた。

 たった一つの、いたいと思える居場所だ。


「……ほん、とうに」


 …………店が燃えていた。


 店の輪郭が分からなくなるくらいに炎に包まれていた。


 暗雲に覆われた月によって周囲は暗い。

 だからこそ目の前の炎が最も脅威に思えた。


「……ティカ」


 占い師の占い通りだ。

 炎の前に立つ、ティカ。

 その手には、写真立てがあった。


 たった一つだけ、逃げる時に持ってこれたものなのだろうか。

 中に入っている写真には、幼い頃のティカと若い母親の姿がある。


「…………ティカ」


 声は、きっと届いていない。

 それはオットイの勇気が足りないからだ。


 後ろめたい事があるから、こんな時なのにもかかわらず足が前に進まない。


「……僕は馬鹿だ」


 ――こんな状況で考えるのが保身とは。


 もういっその事、嫌われてしまった方がいいと思えた。


 こんな僕を、跡形もなく壊してほしいと――。



「オットイ?」


 気配に気づいたティカが振り向いた。

 オットイはびくっと肩を振るわせ、一歩、後退してしまった。


 しかし、すぐに足を元に戻す。

 ……ティカだ。


 彼女の顔を見て、安心した。

 やっと会えたからだろうし、ごちゃごちゃと考えていたが、実際に会ってしまえばその全てが吹き飛んで嬉しかったからだとも思う。


 燃えた店を目の当たりにして、意外といつものティカだった事もそうだ。

 ……やっぱり、強いなあ。


 苦笑したオットイは、すぐに現実を見る。


 強い?


 そんな事、誰が決めた?


 オットイが勝手に思い込んで、そうだろうと当てはめていただけではないか?


 男も女も、


 勇者も魔王も、

 魔族も魔物も町の人々も、なにも変わらない。


 大切なものを失った時、奪われた時、平気な顔でへらへらしていられる人なんて、


 ……たぶん、どこにもいないのだ。



 大粒の涙を見た。

 ティカの表情が、一気に崩れていく。


「お、か、おかあ、さんが、……み、店が、……大切な、のに、燃えて、みん、みんな、全部が、なくなっちゃう、よ……!」


 うぐ、ひぐっ、と鼻を啜りながら、彼女は腕で目元を拭ったが、涙は止まらない。


 一度、決壊してしまえば、感情の爆発が止まらなかった。

 ……見ていられなかった。


 だからオットイは、ティカの体を包むように、抱きしめていた。

 彼女も、オットイの体を抱きしめ返す。


 なにかに縋りたかったのだ。

 それはきっと、なんでも良かった。


 ……僕でなくても。

 そして、オットイは勘違いをしていた。


 ティカだから大丈夫?

 前向きに笑って、またやり直せる?


 ふざけんなと、楽観的な過去の自分を殴りたかった。

 ティカだって女の子だ。


 抱きしめた今、分かる。

 どんなに口調が男勝りでも、腕っ節があっても。


 こんなにも華奢で、少し強く抱きしめれば折れてしまいそうなほどの小さな体だ。

 強さがある。

 弱さもある。


 ティカの強さだけを見て、弱さなどないと思い込んでいた。


「うぁ、ぁ、あ……お、ットイ、オットイ、オットイ……っ!」

「うん、僕はここにいるよ。いるから、大丈夫」

「どこにも、いかないで……、ずっと、あたしの、傍に――」


 ……僕は、勇者になって、なにを想ったんだっけ?

 当時、誰かに言った覚えがあった。

 でも誰かなんて覚えてはいない。


 だけど確かに、思ったはずなのだ。


「大切な人を守るために、僕は勇者になった」


 魔王退治が使命だなんだと言われようとが、どんな大変な事が待っていようが嫌になってやめなかったのは、その信念があったからだ。


 守りたいと思った時に、守れる力を。

 だから、

 ……僕はこの時、ティカを守るために、勇者になったんだ。



「……許せない」


 気に入らないからという理由で人の大切なものを燃やす、あいつが。

 都合の良い奴隷を手元において自己満足に費やすだけの、あいつが。


 小さい頃から幼馴染みで共に過ごしてきたが、昔からどこか歪んでいた、あいつが。


 放火の犯人を、オットイは知っている。


「絶対に逃がすもんか……プリムム……ッ」



 縛られ続けた人生だった。

 彼女に弄ばれ、手の平で転がされていた。


 そしてそれを受け入れ、諦めている自分がいた。

 立ち向かうなんて、考えもしなかった。


 だからそれが、壁だった。

 オットイはその壁に、手をかける。


 


 彼の手の甲の紋章が、これまでにない輝きを見せていた。

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