第36話 諦観と未練

 ――――。

 オットイの思考に、空白が生まれた。


「ふっっ、ざけんなッ! 

 あの店は、ティカにとって大事な店で、死んだお母さんとの最後の絆なんだっ。

 それを、燃やす……? 

 親子の約束を、夢を、奪うつもりなのか!? 

 ……そんな事、絶対にさせるもんか!」


 ……と、遅れて感情が文字となったが、決して口からは出てくれなかった。


 声を出そうとすればするほど、息が苦しくなり、唇が自然と閉じてしまう。

 縛られた腕や足は縄を千切ろうと力が入っている。

 だが、オットイの力では到底、千切る事はできない。


 縛られている部分の皮膚が削れて、赤くなってしまうのが関の山だ。


「オットイ、行くわよね?」

「……僕は……、」


 引き止めろ、否定しろ――、

 強い言葉は必要ない。

 自分の意思を言葉に――。


 言いあぐねているオットイを見下ろし、プリムムの表情が、笑顔ではなくなった。

 そして、その変化を見逃すオットイではない。


 彼女が機嫌を損ねた事を知らせる警告音が、オットイの中で響き渡っている。

 縛られながらも体を丸めようとするのは、防衛本能の表れだった。


 体が震え出す。

 ……そんな中で、なんとか声を絞り出した。


「僕は、いいよ……」

「へえ」

「プリムムが、やっておいて、よ……」


 目を瞑りながら、闇の中の虚空へ言葉を投げるように。


「僕は、プリムムの、物だから……」

「…………」


 返答がなかった。


 しかしたっぷりと間を作った後で、

「そ」

 と、一言だけ残した。


「じゃあ、全てを終わらせた後、戻ってくるわね。それまでそこで休んでるように」


 言い残し、彼女の足音が遠ざかっていく。

 ……その度に、心が落ち着いていくのが分かった。


 最低だ、と。

 もしも体が自由に動けば、額を壁に叩きつけていただろう衝動があった。


「僕は」


 下唇をぎゅっと噛みしめ、血が出てもさらに力を込める。

 痛みは感じなかった。


「――ティカを、裏切ったんだ……ッ」


 プリムムに、完全に屈した瞬間だった。



 どこか楽観的だったのは否めない。

 たとえ店を燃やされようとも、ティカならばいつも通り前向きに考え、またやり直せるだろうという安心感があったからだ。


 ただ、

 ……もう、戻れないけど。


 立ち直った彼女の隣に立つ資格が、今のオットイにあるはずもないのだ。



 ぼーっとしながら、一体、何時間が経ったのか。

 そもそもマイマイに連れていかれた時点で何時だったのか。


 外の光を通さない洞窟内なので、今がまだ夜なのか既に朝なのか判断がつかなかった。

 硬く冷たい地面に頬をつけ、ひたすらにプリムムを待つ。


 寝てしまった方が、肉体的、精神的にも休息が取れる。

 起きている理由もないし、オットイ自身も起きているだけで色々と考えてしまうため、すぐに眠りたかった。


 しかし目を瞑っても、眠れなかった。

 目を瞑れば、思い出してしまうのがティカの事だ。


 だからオットイは、目を瞑る事ができなかった。


「いたっ!?」


 ぴり、と手首に痛痒い感覚が走った。

 オットイは見る事ができないが、彼の手首には、まるでアクセサリーでもはめているような形で、皮膚が赤く炎症している。


 縄が擦られ過ぎて赤く変色してしまっていたのだ。

 強く縛っただけではこうはならない。

 原因はオットイが無意識に、縄を千切ろうと力を入れて、細かく動かしていたからだ。


 オットイの足は、椅子の足を添え木にするように縛られているが、両腕は手首がくっつくように二対で一つに縛られている。

 もしも千切るのならば、足よりも手の方が可能性があった。


 眠れないオットイは、気づけば縄を解こうと力を込めていたのだ。

 ……未練がましいな。


 隣に立つ資格がないと自覚しながら、それでもティカの傍にいたいと、ここから抜け出そうとしているのだから。



 何時間経ったのだろうか。

 何度も何度も自問を繰り返す。


 手首の縄を解こうと地道に力を加え続けて、既に数時間が経過していた。


 縄は変わらず、オットイの両腕を縛ったままだった。

 少しずつだが、縄も緩んでいっているはず……、そう思わないと心が壊れそうだ。


「でも、もしも……ここまでやってて、まったく意味がなかったら――」


 無駄な努力なのだとしたら。

 それでもオットイには、これしかないのだから、やるしかない。


 ……都合が良いって事は、分かってる。

 裏切っておいてもう一度だけ会いたい、だなんて。


 いいや、会って責められるのが嫌だから、遠くから一目だけ見たい、だなんて。


 ……甘えるなって、言われるだろうけど。

 それでも、オットイの原動力はそれだった。

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