第35話 プリムムのお願いごと
ッ、とオットイが顔を強張らせる。
二本目の針が、数ミリを残して太ももに入っている。
淡々と、プリムムが連続して針を突き刺していった。
「プリムムっ、もう――っ」
「寝たのよね?」
「寝た、よ! でも、それだけだよ! それ以外になにをするって言うのさ!」
「私と、小さい頃にしたような事」
それが、オットイにとっての首輪となった。
最も忘れたくて、しかしどうしても忘れられなかった記憶だ。
「私はきちんと覚えてる。あの時のキスの味」
「……っ!」
「あの時、約束したはずなのに。それでもフラフラと別の誰かのところで勝手に関係を作るつもりなら……もう一度しておいた方がいいわよね?」
「やめろ!」
と、咄嗟に叫んでから、オットイの顔が青ざめた。
つい感情的に拒絶してしまった――、
されたプリムムがどういう行動に出るのか、痛いほどよく知っていると言うのに。
「…………」
プリムムは黙って、オットイの瞳を見つめていた。
そして彼女の目が鋭くなり、オットイの髪の毛がくしゃっと、強く掴まれた。
「あんたの瞳には、人の物を勝手に奪い取っていく女の顔が映ってる」
髪を掴んでいる逆の手が、固く、強く握られていた。
「消してやる」
そして、連続する殴打音が聞こえた。
「おつかれー」
椅子に座って、オットイの小さな悲鳴を聞きながらワイン風の赤茶色の飲み物を飲んでいたマイマイが、そうプリムムを迎えた。
呼ばれたプリムムは、無愛想にフン、と答えて、
「……オットイを取り戻してはい終わり、と思ったけど、やる事ができたわ」
「記憶を消すの? だから殴り続けていたとか?
いや、そんな原始的な方法じゃなくても魔法を使えば一発じゃない?」
「消すのは簡単でも戻すのは難しいのよ。思い出まで消えたら取り返しがつかないこともあるしね……そう簡単にしようとも思わないわ」
だから、かくなる上は、消すものを変えるだけである。
「ティカって子を、消せばいいのよ」
「うわあ。ほんっと、オットイが好き過ぎて引くわぁ、この子」
「……うるさい」
「好きって言葉に反応して顔を赤くしないでよ。
はぁ、その好意を直接伝えれば、オットイだって見る目を変えるはずなのに」
「変えてどうするのよ? オットイは私の事を好きって言ったわ。つまり両想いなのよ。
だからオットイを誘惑してるあの女のせいで、オットイがおかしくなってるだけ」
ちなみに好きと言われたのはいつ? とマイマイが聞くと、
「五歳とか、かな?」
「……純粋で良かったね」
もちろん、人の考えは変わる。
当時の言葉が本気か冗談かはさておくとして。
長い年月が経てば好きの矢印も方向が変わるのだ。
プリムムが変わらなくとも、オットイは変わっている。
「ま、それが分かればプリムムもこんなにこじらせてないし」
「なにぶつくさ言ってるのよ。
マイマイならオットイが居候をしていた家の場所を知ってるでしょ?」
ここまで連れてきたのがマイマイなのだから、当然、知っている。
まさか本当にティカを消すつもりなのだろうか?
「消すわ。勇者勢力でも魔王勢力でもないただの町娘なら、簡単にね」
目を覚ましたオットイはまず、感覚だけを頼りに状況を思い出す。
……頬骨の痛みがまったく引いていなかった。
未だに内側から殴りつけられているような鈍い痛みと付き合っている。
夢であってほしいと期待したが、縛り付けられたままの感覚が希望を否定する。
そして、耳の近くで足音がした。
「おはようオットイ」
目を開けていないのに、意識を取り戻した事に気づいたプリムムに、寝たふりは通用しないだろう。
まぶたが重いのは、気が進まないだけではなく、目の上が腫れているからだ。
内出血により膨らんでいるのだが、鏡のない状況ではオットイは気づけない。
「……おはよう。よく気づいたね……」
「気づくわよ。オットイの呼吸音で」
……そんなので気づけるの?
すると、椅子ごと横に倒れているオットイに近づくように、プリムムが屈んだ。
「大丈夫? まだ痛い?」
腫れている患部を彼女が撫でる。
……自分でやっておいてよくもまあ……、
そんな呆れ顔をするマイマイもプリムムの後ろにいた。
二人はカバンを背負っており、どこかへ出かけるように見えた。
「オットイにも手伝ってもらうわよ。というかオットイがやるべき事なの」
「……僕が、やるべき……?」
「うん。この町にきてからの事を、きちんと清算してよね」
プリムムが地面に落としたのは、オットイの分のカバンである。
中には大量の薪が入っていた。
落下した時の音で、相当の量があるのがよく分かる。
「清算……?」
「うん。――この町にもう思い残す事はないって、証明して。
オットイは私のものよ。
つまり、私以外の関係は全て燃やし、切り捨てて、先へ進むのよ」
プリムムは朝の挨拶をしてから、笑顔のままだ。
オットイの言葉一つで、その笑顔は容易く崩れてしまうだろう。
「できるでしょ? だって私以外との交流なんて必要ないんだから」
それは言い過ぎだろう、と思っても、言えない。
なぜならプリムムは冗談でなく本気でそう思っているのだから。
極論、後ろのマイマイとの交流さえも許してくれない可能性がじゅうぶんにあるのだ。
……こんな薪を持って、一体なにをしようと……。
「分からない?」
オットイの思考を読んでプリムムが答えを告げた。
「あの女……、ティカって子の店を、燃やすの」
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