level3 頂点が知らない世界

第32話 岩村のオットイ

 厨房で一人、ティカが店内を眺めていた。


 買った食材は置いたまま。

 壊されていない調理道具を確認するのも途中で、ぼーっと呆けていた。


 ……目についた引き出しを開けようとしたら、若干、開けづらい。

 内部のレールが歪んでしまっているのかもしれない。

 昔はもっとスムーズに開いていたはずだ。


 中から取り出したのは、手作りの冊子である。

 黄ばんだそれをぱらぱらとめくった。


 手書きで書かれた、料理の作り方である。

 今ある材料と道具で作れるものを探すために取り出したものだったが、ティカが感じたのは時の流れであった。


 少なくなったテーブルや椅子の数。

 店内の剥がれた壁紙。

 塗料が落ちて地味な色合いになった床。

 昔はもっと華やかで、店内には人が常にいて、笑顔で一杯だった。


 目を瞑ればすぐにでも思い出せる温かい光景。

 だが、目を開ければ冷たい静寂が現実を伝えてくる。


「なにしてるの?」


 ぽん、と肩に手を置かれ、背中に熱を感じた。


「ティカ、開店まで一緒に準備しましょうね」


 ……こんなものは幻だ。

 だったらいいな、とティカが逃げたからこそ見えた理想の世界。


「……この店まで、なくなったら、あたしは……」


 身に纏うエプロンをぎゅっと握り締める。

 最後に貰った、手作りである母親の形見だ。


「店、どうする?」

 

 一階に下りて来たウィングが声をかけた。


 腕には包帯が巻かれている。

 安静に、と言われていたはずだ。


「怪我は右腕だけだ。ティカを手伝えないわけじゃない」


 毒も完全に抜け切っており、さっきまであった気怠さが今はもうない。

 その証拠に、歩くのもやっとだったウィングはこうして階段を下りられている。


「オットイがいなくても、おれがいるから店は大丈夫だ」


 あくまでもオットイは雑用であり、いたら作業が減って楽になるが、いなくても店の作業が滞ってしまうわけではない。

 ピーク時ならまだしも、客足が減っている今、オットイ抜きでも店ができないわけではなかった。


「……心配なら、休んでもさ――」

「オットイが許さないだろうな。僕なんかのために店を閉める事なんかないって」

「あー、それは言うな。それに、手伝ってと頼めば空元気で手伝ってくれるだろうしな」


 ティカとウィングが認めるほどオットイは優しい。

 なのに、自分の優先度はかなり低かった。


「僕『なんか』って、言うなよ……!」


「今は一人にさせてあげよう。おれたちは、オットイとその仲間たちの事をなに一つ知らないんだから。慰め方なんか分からない。無理やり元気出せよって言って、元気が出るタイプじゃないからな。……それをするとあいつはきっと、溜め込むタイプなんだ」


 溜め込んで、いつか爆発するならいい。

 だけどオットイは爆発させる機会がなく、疲労として徐々に体を蝕んでいくのだ。


 解決方法なんて分からない。

 だけど時間を置くのが、今は最適解に思えた。


「いつも通りに店を開く。なにかを変えてオットイの負担になるなら、したくないな」

「じゃあ始めよう。オットイがくる前みたいに、二人でやればいいだけだ」


 いつも通りの日常、いつも通りの作業。

 同じなのになにか物足りないものがあった。


 オットイを抜きにしても、決定的になにかが違うと、妙な違和感が手元を狂わせる。

 ふと、鏡に映った自分を見て、ティカはその違和感がなんなのか分かった。


 オットイがきてからは、まるで母親がいたかのような気分だったのは――、


「……笑顔が、あったからなんだ」



 ティカとウィングになにも言わずに家を出てしまった。

 一階に下りれば気づかれてしまうので、部屋の窓からである。

 最弱の勇者とよく言われるが、人並みに身体能力はある。

 二階から飛び降りて着地、くらいはオットイでもできるのだ。


「っ、ちょっとだけ、足を捻ったけど……」


 だから、歩く速度が遅い……わけではなく、特に目的地もないのだ。

 わざわざ急ぐ必要もない。


 すると、後ろから足音が聞こえてきた。


「さっきから暗いぞ、オットイ。こっちまで落ち込みそうだ」

「……ターミナル。なんで、君まで……」


 オットイを追い抜いた小さな魔王が、振り向いて手を伸ばした。


「悩みがあるならぶちまけろよオットイ。話くらい聞いてやるぜ」


 そうして二人が辿り着いたのは、町の端にある外壁である。

 壁に背中を預けて、二人で座った。

 しばらくしてから、オットイが口を開く。


「……仲間がさ……全滅したんだよ」


 魔王勢力が支配する西の大地で、破壊された馬車と殺された馬が見つかったそうだ。

 遺体は見つからなかったが、一人の、千切れた腕が遠くの方で発見されたらしい。

 手の甲の紋章を鑑定すれば、どこの出身の勇者なのかが分かるのだ。


 たとえばオットイの紋章を見れば、岩村出身であるオットイ、と結果が見れる。


「勇者ってのは便利だなー」

 まあ、管理する側からすれば、そうだろう。


 だが、される側はずっと監視されているような居心地の悪さを感じる。

 そのため、裏切ろうと思う者は少ない。


「その仲間は、オットイにとって大切だったのか?」


 ……正直、即答で大切だ、とは言えなかった。

 待遇が良かったとはとても言えない。

 長いこと苦しめられ続けてきた環境だった。

 だけどオットイは、離れようとは思わなかった。


 なぜかと言われたら、一人では生きられないからだろう。


 オットイは守られていたのだ。

 使命を持った勇者として生まれ、

 岩村から旅に出てから魔王の大地を間近に迫った、この町まで。

 それは間違いなく事実である。


 ……僕にとっては、家族じゃなくても、あそこは帰るべき家だった。


 だから事故で馬車から落とされた時も、離れる絶好のチャンスだとは思わなかった。

 どんな手を使ってでも戻ると、すぐに思ったのだ。


 それだけを支えにここまで頑張ってきた。

 しかし、いきなり途絶えてしまった目的に、心の中にぽっかりと穴が開いてしまった。

 勇者なのにこう言うのもあれだが、オットイは魔王を退治するとか、どうでも良かったのだ。


 退治すると意気込んでいれば、隣のターミナルとこうも仲良くはできていない。


「なんだ、じゃあ好都合だな」


「……なにが」


「これでティカの傍にいられるだろ」

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