第28話 勇者じゃない

 ゴォンッッ!? 

 と、二大勢力のトップ二人が、頭の中を疑問符だらけにしたまま顔を俯かせている。


 驚きに集中力と緊張感が途切れ、魔力が大気中へ霧散してしまった。


 剣はただの剣へ。

 赤い角に変わった様子は見られない。

 どちらも元に戻ったのだ。


 やっと冷静になってから、彼女が地面に落ちている制帽を拾い上げ、店内を見回す。

 ここを中心にして、あらゆるものが壁に寄り、積み上がっていた。


 食材は潰れて床を汚し、砕けたテーブルや椅子の破片が壁に突き刺さっており、壁紙が黒煙を塗りたくったかのように、汚れてしまっていた。


 原因は一つしか思い浮かばない。

 場を選ばずに戦ってしまった、己のミスである。


 顔を引きつらせながら、横へ視線を向けた勇者が見たものは。

 フライパンを両手に持つ赤髪の少女が、仁王立ちで立っている。


「おまえら、全部、片付けろ」



 結局、今日も臨時休業になってしまった。

 看板にその旨を知らせる張り紙を貼り付け、オットイが店内に戻る。


 制帽を被り黒服を身に纏う集団が、黒く汚れた店内を掃除していた。


「……めんどくせえ」


 床を雑巾で拭きながら、呟いたターミナルの横に追いついた人物がいた。


「そういう事を言わないでくださいよ、聞こえたらどうするんですか」

「聞こえてるんだが?」


 魔王と勇者の顔の間に、ずんっ、と足を下ろすティカ。

 二人はすぐさま逆方向へ散開していった。


 勇者側の人数が多かったのが幸いし、役割分担を決める事で補修が効率良くおこなわれた。

 しかし問題は、魔王と勇者が補修作業中にも対立をしていた事である。


「オットイ、水あるか? 雑巾の汚れを落としたいんだけど……」

「水ならそこのバケツに入ってるよ」


 ターミナルが足を踏み出した瞬間、すれ違いざまに足が引っかけられた。

 両足が浮いて、顔からバケツの中に突っ込んでいく。

 周辺の床とターミナルの上半身がびしょ濡れになっていた。


「不幸なんですから、気をつけてくださいよ」


 くすっと微笑を見せ、勇者が自分の持ち場へと戻って行く。


「あいつ……ッ」

「ターミナル、僕が手伝うから。落ち着いて……!」


 オットイが傍で作業を手伝ったおかげで、魔王の怒りがなんとか鎮められた。

 次に任されたのは残飯をまとめた袋を外にある所定の場所まで運び出す作業だ。


 数が多いので、割かれる人員も他の作業よりも多い。

 流れで一緒に作業していたオットイとターミナルが店を出て、並んで袋を持ち運ぶ。


「あ、ターミナル。三つはいいよ、無理しないで往復すれば……」

「じゃあ、あいつに手伝わせよう――おい勇者!」


 と、丁度一段落した様子の勇者へ声をかけ、残飯が詰まった袋を投げ渡す。

 警戒なく、勇者が受け止めようと手を伸ばした瞬間、

 オットイがターミナルの、魔王らしい笑みを見た。


 角の先端が一瞬、小さく瞬いた。

 すると勇者の眼前で袋が破裂し、中身の全てが勇者に降りかかる。


 残飯が彼女の肩に積もっており、水分も多かったので服がびしょ濡れになっていた。

 赤い液体が滴っているのは血ではなく、煮込んだソースやスープのせいだろう。


 ついでに、野菜や果物などの皮が彼女の頬に張り付いていた。


「くっ、くかっ、かはっ、あっはっはっはっ!」


 ターミナルが腹を抱えて、足をじたばたさせてその場に寝転がる。

 ごろごろと左右に動き、目尻には涙を溜めて、心の底から楽しそうにしていた。


 やられたらやり返す。

 これで一巡したわけで、勇者である彼女がここで我慢すれば事は収まるのだが……、

 無理な話であった。


 冗談抜きの殺気を、いち早くオットイが気づいた。

 遅れて気づいたターミナルは反応が一瞬遅れ、危険を察知した時には既に遅く、手の届く範囲には包丁の切っ先が迫っていた――、


 さくっ、という音は人間の肉を切ったわけではなかった。

 袋の中に詰まっていた残飯に包丁が突き刺さっていた。

 球体のようなその袋を持っているのは、オットイである。


 破れた袋の裂け目から、残飯が溢れ出ていく。

 オットイが恐る恐る視線を上げると、運悪く彼女と目が合ってしまった。

 喜怒哀楽のどれでもない無表情で、彼女の口が開いた。


「――魔王を庇う理由を、教えてくれませんか? 勇者オットイ」


 彼女に自分が勇者だと名乗った覚えはない。

 だが、見て分かる判断材料がある。


 手の甲に刻まれた紋章である。

 彼女はそれを見て、オットイが勇者だと知ったのだ。


 同時に、魔王と共にいながら、彼を生かしている事にも疑問を抱いた。

 真っ先に思い浮かべるのは、裏切り、だろう。


「そっち側につく、というのであれば、止めはしませんよ。

 ……ただ、生かして逃がす気もありませんが」


「僕、は、そういうつもり、じゃあ……」

「勇者が魔王といる理由が、退治以外に、あるんですか?」


 忘れそうになるが、勇者の目的は魔王を退治し、世界から魔族を滅ぼす事だ。

 人間が平和に暮らせる世界を作り出す……勇者たちはそれを、使命、と呼んでいる。


「なるほど、生活の中で急接近し、警戒心を解く。その後、隙を窺って攻撃するためですか。ならば協力しますよ、勇者オットイ。私が足止めをしておきますので後ろから攻撃してください。大丈夫です、レベル差など気にしなくて結構ですよ。二人がかりですし、私がいます」


 さあ、と促される。

 ちょうど足下には、袋を破った包丁があった。

 震える手が自然と伸びてしまう。


「オットイ」

 と、後ろから聞こえた声に手が止まった。


 オットイは、振り向く事ができなかった。


「おまえと戦うのは、不思議と嫌じゃないんだぜ」


「――う、うわあああああああッッ!」


 ターミナルの優しさに、オットイはすぐさま手を伸ばして甘えた。

 叫び声と共に、掴んだ包丁を振り向きざまにターミナルへ突き立てる。


 チッ、という舌打ちが聞こえたのと同時。

 当然、刃はターミナルの肉を切り裂く事はなく、弾かれた包丁が宙を舞う。


 地面に突き刺さる事はなく、横滑りしてオットイの手が届かない場所まで滑っていた。


「……叫び声を上げたら、気づかれますよ……!」

「なかったところで気づいてたし、オットイの速度じゃ普通に避けられる。勇者の中ならおまえじゃないとオレは倒せねえよ。他人を巻き込んでないで、おまえがこいよ」


「そのつもりです。……邪魔ですよ、勇者オットイ。あなたの役目は終わりました。これからもないでしょう。私と共闘するには、早過ぎましたね」


 それはそうだ、聞いた話によれば、彼女のレベルは9である。

 オットイと比べて8の差がある。

 同じ舞台にいる事で邪魔になってしまう方が多い。


 でも、それはつまり邪魔できる、という事でもある。


「退いてくださいよ、勇者オットイ。あなたを巻き込みたくない、とは言いませんが……そこにいられると魔王に攻撃が当たりません。

 錯乱していますか? それともわざとですか? 

 私と魔王の間に挟まるように……、それではまるで、魔王を守ろうとしているようにも見えてしまいますが?」


「え……」

 と呟いたのは当人のオットイである。


 両手を広げ、ターミナルを背に庇っている自分の姿に今、気づいたのだ。

 気づいてしまえば冷や汗が止まらない。

 ……ここまでしてしまえば、彼女の中の疑念を消す事は難しい。

 魔王と繋がっている勇者、と認識されてしまったのだから。


 ……僕が、勇者じゃなかったら……。

 なかったら、ターミナルとも普通に友達でいられたのに。


 そんなたらればが頭に浮かび……、少し大きく、呟いていた。


「……僕は今、勇者、なのかな……?」

「どういう意味ですか?」


「僕は今、あの料理店の、店員です。勇者の仲間とはぐれて、資金集めのために居候をさせてもらっている身ですけど、一時的なものでも店の仲間です。

 今だけは、僕の事を勇者と呼ぶのは相応しくないはずです!」


「……レベルの割に、戦い慣れていない戦闘能力を見せられたら、どうあれ相応しくはありませんが……」


 ならば尚更だ。


「僕は勇者とは言えません。

 なら、魔王と仲良くしたって、問題はないわけですよね?」


「屁理屈です」


 一蹴されてしまうが、そんな気はしていた。

 元より、粘る前提の口論である。


 時間をかければ、やがて業を煮やしたティカが外に様子を見にきてくれると信じて。

 しかし待つまでもなく、勇者が両手を上げた。


「……ここで本気で戦うわけもないですよ。愛剣がない中、魔王と渡り合えるはずもありません。一番最初に投げた包丁も、たとえ刺さったところで致命傷には程遠いですから。僅かでも手負いが作れれば儲けものでしたが、それ以上のものが手に入りました」


 ありがとうございます、勇者オットイ、とお礼を言われた。


「いえ、もう勇者ではないのですよね。……店員、オットイ、ですか?」


 愛想笑いをしながら、オットイは先ほどの発言に気を取られていた。


 ……リーダーは、なにかを手に入れた……?

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