第20話 ……ない!?

 黒く汚れた作業着が風呂場へ繋がる廊下に投げ捨てられていた。

 それを拾い集めながら、オットイは鼻歌が聞こえてくる浴室へと向かう。


 浴室の扉の前にはカゴがあり、着替えが用意されていた。

 その中に包帯があり、

 ……もしかしたら、僕の知らない間に怪我でもしたんじゃ……、とオットイが不安になった。


 壊れた設備の修理を、得意だからと彼に任せっきりにしてしまったのが原因だろう。

 ……急に頼んじゃったわけだし、労うつもりで背中を流してあげよう。


 オットイに躊躇いがなかったのは、共に暮らし初めて一週間以上が経っていたため、距離感もだいぶ近くになっていたからだろう。

 それに男同士、まだ一度も裸の付き合いをした事がなかった。

 旅団では仲間の男同士、強制的に同じ浴槽に浸かっていたのだ……。

 もはやそれが懐かしく感じている。


 ノックをしたのはオットイが身を置いている環境による癖だった。

 ノックをしなければ殴られる、そう体で覚えさせられた。

 自然と手が上がるように染みついていた。

 ただし、返事を待つ習慣はなかった。


「ウィング、入るよ」

「え!? オットイッ――ちょっ」


 扉を開けると、浴室内は湯気が立ち上っており、視界がぼやけている。

 その中心に黒い影があった。

 下ろした髪が水に濡れて、肌に張り付いていると、男にも女にも見える顔が女の方に傾いている。

 ドキっとしてしまう一瞬の角度に、惑わされそうになった。


 やがて湯気が晴れていき、彼の体が露わになる。

 必要以上の筋肉はなく、引き締まった体だった。

 水滴が体のラインをなぞって落ちていく。

 艶っぽい肌にオットイの視線が吸い寄せられた。


 ……あれ? と思った。

 ――ない。


 ウィングは、自分の胸を腕で隠してはいるものの、下は無防備であった。

 そこにあるはずのものが、なかったのだ。


 ――メガネが曇るのがもう少し早ければ、見てはいけないものを見なくて済んだのだが……そんな事を言っても後の祭りであった。


「え、そ、え!? ウィング、って……!?」


 ぐんッ! と胸倉が掴まれ、ウィングに引っ張られる。

 オットイは踏ん張る余裕もなく体が浮き上がり、浴室の最奥へ。

 隅の壁に勢い良く叩きつけられた。


 瞬間に閉じた瞳を開ければ、ウィングの顔が目と鼻の先である。

 思えば女性的な匂いもたまに感じていたが、同じ家にティカもいるため移っているだけなのだと思っていた。

 しかし女の子なら、その匂いは間違いなくウィングのものだ。


 動かない証拠を見てしまっている。

 一度見方を変えてしまうと中々戻れなかった。


 ……なんで……胸、あるじゃん!


 腕で押し隠している胸には僅かな膨らみがあった。

 ティカと比べれば全然ない……が、

 それでも視線がちらちら移ってしまうくらいには女性的である。


 どうして今まで気づかなかったのかが不思議なくらいだ。


 ――その理由が、カゴにあった包帯なのだ。

 胴に強く巻く事で、胸を潰していた。


 彼――もとい、彼女の指が、爪が、唇が、前髪が……なにも変わっていないのにオットイの目にはまったく別のものに変わったように見えていた。


 人見知りをするように、視線が合わせられなかった。


「……言うなよ」


 ウィングが耳元で囁いた。

 脅迫されたわけではないが、オットイが連続で頷く。


「ティカには、ばれたくない。――騙していたなんて、思われたくないんだ……っ」


 思わないよ、とオットイは言おうとしたが、切羽詰まったようなウィングの言葉に、一言で安心を与える事を優先させた。


「言わないよ。ウィングにも、なにか事情があるんでしょ?」

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