第8話 料理人・ティカ

「あいつ、寝起きは最悪なんだ。一時間は触れない方がいいぞ」

「気をつけるよ……」


 朝一番に殴られて顔を腫らしたオットイは、ウィングと共に家の前の掃除をしていた。

 ティカとウィングが住む家は、一階が料理店になっている。

 開店は午後から夜までの間であり、午前中は準備の時間だ。


「オットイ、店内の床掃除を頼む」

「うん、分かった」


 ウィングは昨日とは違い、作業着姿ではない。

 薄着を纏った春の格好だ。

 彼の服をオットイが借りており、しかし体格差のせいか、ぶかぶかである。


 ウィングは、少年にも少女にも見える顔立ちだった。

 紺色の髪は肩まで伸びていたが、今はまとめ上げて一つに縛っている。


 頼まれた通り、店内の床掃除をしていると、音を立てて階段を下りる人物がいた。

 寝起き一時間して、やっと意識が覚醒したティカである。

 彼女は活発そうな黄色い服の上に昨日と同じエプロンを身につけ、キッチンに立った。


 一般的に女性の得意分野だが、内面を知っている者からすれば、とても似合わない。


「ティカって、料理できるの?」


 何事も力任せな彼女にできるとも思えない……が、これは偏見である。

 作り方はどうあれ、ようは味なのだ。


「疑うなら作ってやろうか?」


 オットイの顔が腫れている事に気づいてティカがぎょっとしていたが、お前がやったんだ。

 さすがに掘り返そうとは思わなかったのでオットイも言わずにいた。


 寝起き直後の記憶はあまりないらしい。


「じゃあ……食べてみたい」

「ちょっと待ってろ、手頃になにか作ってやる」


 腕まくりをするフリをして、キッチンを右往左往する。

 なにがあるのかチェックしているようにも見えるが、探しているものが見つからない……ようにも見えるのは勘違いだろうか。


 ウィングから聞いたが、料理人はティカである。

 であれば、キッチンとは彼女の領域のはずなのだが。

 彼女が一番手馴れていないのはどういう事だろうか。


 不安だった。

 だが、道具と食材さえ揃えばティカも勢いを取り戻す。

 テーブルについて待ちながら見ていたが、なんとも豪快な調理である。


「料理は、戦いだからな!」


 大きめのフライパンを片手で握って振り回す。

 米と肉と野菜が同時に炒められた。

 やがて出されたのは焼き飯である。

 一人分とは思えない量を見て、オットイが身を退いた。


「いや、これは多いんじゃ……」

「おまえ一人分じゃないよ。あたしもウィングも一緒に食べるし」

「なら取り分けるとかさ」

「全員で一つの皿をつっついた方が楽しいだろ」


 きょとんと、そんな事を言われたら否定もできない。

「洗いものも少ないし」

 と言うので多分それが本音だろう。


「でも嘘じゃない。みんなで食った方が、美味いからな」

「……そうだね」


 スプーンを握り、いただきます、と焼き飯をすくう。

 ティカが目の前に座り、肘をついてオットイを見守っていた。

 一挙一動を見逃さないくらいの凝視である。


 気になるが、構わず口に入れた。

 躊躇いがなかったのは、を考えてもいなかったからである。


 口に入れた瞬間に吐き出しそうになってなんとか堪える。

 今よりも前になにも口に入れていないはずなのに、胃からなにかがせり上がってくる感覚がしたのだ。


 見た目や匂いはごく普通だった。

 作り方にもおかしな点はなにもなかったはずなのに。

 超常現象的に、味だけが不味い。


「どう?」

 聞きながら、ティカが破顔する。

 期待している目だった。


 オットイは目尻に溜まった涙をさりげなく拭き取り、体が拒否反応を示していたがそれを無視して飲み込んだ。

 顔を真っ青にしながらも、なんとか言葉を絞り出す。


「美味しいよ」

「っ、ほんと!?」


 手をぱんっ、と叩き、にやにやが止まらない。

 ティカも一口食べて、ん-、と頬に手を当てる。

 オットイはそれを信じられないような目で見ていた。


「おいしー! だけどさあ、あたしの料理を不味いって言う奴が多いんだよなー」


 料理店なのだから当然、客は存在する。

 常連客もいるのだが、短命であった。


 実際の死者はいないが、やがて店に来なくなるのだ。

 訪れた者の多くが、死にかけて去って行くのだと言う。


「失礼な奴らだよな。あいつらにはぜってぇもう作ってやらねー」


 すると、扉の開閉音と共に扉についていた鈴が鳴る。

 入って来たのは掃除を終えたウィングであった。


「うおっ!? オットイ、顔色悪いぞ!?」

「あ、いや、大丈夫……」

「お前……もしかして、ティカの料理を……?」


 状況を見て事情を察したウィングが呆れ顔だった。

 押しの強いティカが無理やり押しつけた、という線が濃厚だが、オットイのお人好しがティカの料理を食べた、というのもじゅうぶんあり得る。


 庶民気質というか下っ端根性というか、オットイならやりかねない。


「オットイ、とりあえず横になれ。大分落ち着くから」

「なんだその言いぐさ! まるであたしの料理が悪いみたいに!」

「お前のせいなんだよ」


 口論になりそうな寸前、オットイが声を絞り出す。


「違う違う、僕が体調悪いせいだから、ティカは別に関係……」

「あんまりフォローするな。未だに認めないんだこいつ。自分の料理が不味いって」

「だって不味くないんだよ! あたしは別になんともないし!」

「お前の胃が異常に強いだけなんだよ、普通なら倒れてる」


 それでも料理店を営んでいけるのはごく少数だが需要があるからだ。

 自殺志願者のような奇特な者ばかりであるが。

 探せばどんどん、出てくる出てくる。


「……美味しいよ」

「強がりはもういい。オットイ、お前はもっと正直に生きた方がいいぞ、空気を読んで無理に発言する必要はないんだからな」


「味は、うん、正直きつかったけど……」

「きつ……!?」


 ショックを受けるティカを見て、心苦しかったが、でも、美味しかったのは事実だ。


「僕のために作ってくれて、一緒にこうして卓を囲んで食べたから、いつもみたいに一人で食べるよりは全然、美味しかったんだ――」


 オットイがいた旅団では、食事は各自で済ませていた。

 数人で集まって食べている者もいたが、オットイはそこに混ざれずにいた。


 テントの端の方や、外の岩場でこっそりと食べていたのだ。

 その時は味もした、美味しかった。

 だが、それだけだ。


 食事をして笑う、なんて事はなかった。


「……体に悪いものは、入ってないんでしょ?」

「え、そりゃあ、客に出す料理だしな」

「なら、まだ食べたい」


 ウィングが引き止めたが、オットイは器を持ち、スプーンで勢い良く口へかき込んだ。

 全てを平らげ、テーブルにどんっ、と皿を置く。


「ごちそうさま!」


 そして、口から泡を吹きながら、オットイが顔から机に伏した。

 呆気に取られたティカがはっとして体の自由を取り戻し、オットイの頭へ手を伸ばす。


「こいつ、面白いな」

「オットイの事情、聞きたかったんだけどな。ティカは知ってるか?」

「さあ? でも、こいつの考えを聞いてると、あまり良くない環境だって分かった」


 勇者でありながら、持つ戦闘能力は低い。

 はっきり言って、最弱と言ってもいい。


 多分オットイは、最も勇者に向いていない。


「ティカの考えてる事、大体分かった。だけど、一番はオットイがなにをしたいかだからな。勝手な考えであいつの道を決めるなよ?」

「分かってるよそんな事」


 ウィングは怪しんだが、ここで口論になっても水掛け論になるだけである。

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