第5話 町娘vs魔族
「ん」
とティカが振り向いた。
荷車はオットイとティカ、二人で引いている。
にもかかわらず、ティカが力を抜いた途端、車輪がびくともしなくなった。
「ティ、……カッ! どう、した、――のッ!」
「引かなくていいから、一旦手を止めろ。……足音、だな」
ティカの視線は、ここ一帯、高さが統一されている家の、屋根の上へ向いている。
荷車を引き始めてからそう時間は経っていないはずだ。
真夜中、ではない。
だが、町の中心部から離れたこの場所は、もう人が外へ出る時間ではなかった。
――ひとけがなくなったのだ。
そんな場所をのろのろと大荷物を運んでいれば、狙われるのは当然だろう。
露店の店主の忠告は、今の状況の事を言っていたのだ。
「オットイ、これ」
ティカが積み荷の中へ手を突っ込み、隠してあったそれをオットイへ投げつける。
『それ』とは、取り回しやすい、短刀だった。
「ちょっ、これ、剣だよ!?」
「そうだよ、その大きさならおまえでも振り回せるだろ」
「できる、けど……っ」
そしてどうやら、自己防衛の武器は、この短刀一つしか荷台には隠されていなかった。
「ティカはどうするのさ!?」
幸いにも、周囲には家が多い。
面した道を掃除する道具を外に置きっ放しにしている家主は多く、箒や桑、大きなスコップが家の壁に立てかけられていたりする。
ティカは、太く頑丈そうなスコップを手に取っていた。
丁度その時である、屋根の上から複数の影が飛び出した。
雲に被っているので真ん丸とは言えないが、月の明かりが彼らの姿を照らしていた。
人の形をしているが人ではなかった。
牛、鰐、鳥、それらの顔を持ち二本足で立って歩く、魔族である。
ずしんッ、と着地の際に地面が揺れる。
彼ら一人一人の体重は、人間一人の数倍だ。
筋肉の量が違うのだ。
「その荷物を置いて、さっさと立ち去れ」
彼らの手に武器はない。
その両の拳が、彼らの武器である。
「はっ、冗談じゃない。これは客に出す料理のための材料だ、ホームレス生活をしているおまえらに恵む残飯じゃないんだよ」
エプロン姿の少女の言葉に、魔族たちの体勢が少し変わった。
目の色が変わり、少し前のめりである。
「ちょっと! ティカ、言い方強くない!?」
オットイが必死になって止めたが、ティカは引く気がないようだ。
「カモだと思われたら何度も続くぞ。というか、最初に短刀を渡したんだから、これからする事、大体分かるだろ」
「分かりたくない、なんで町中でこんな事しなくちゃならないんだ……」
「この町は壁の外も中も大して変わんないけどな」
肩をすくめながら、ティカが肘でオットイを小突いた。
ぎょっとして気づいたオットイが、短刀を鞘から抜き出す。
「ここで僕らが戦わなくても、自警団に頼った方が……」
「いないよそんなもん」
自警団……、
勇者の有志で構成された組織である。
基本的に、町の治安を守るために一日中警備をしているはずなのだが、この町は今の時間、人が一人もいないほど静かである。
自警団も当然、見当たらない。
「自警団を探して、助けてくださいって言えば助けてくれるだろうけどさ、もうそれは依頼になるからな。そんなお金はない」
「そんなはずない! 自警団は無償でやってくれるはずだよ!」
「この町じゃ違うんだよ。――自分の身は自分で守る。そういうルールだからな」
窃盗、殺人、なんでもありの町だ。
その代わり報復されて殺されても文句は言えない。
王様もいない。
納める税金もない。
法律がない。
全員がしているからそうするべきという風潮はあるが、明確に法律として明文化されているわけではない。
自由の町。
今、魔族たちがティカの荷物を奪おうとしているのも、自由の範疇である。
だからそれを返り討ちにしようと、ティカとオットイにお咎めはなしなのだ。
……だからなのか、とオットイは妙に手馴れていたティカに納得した。
こういう場面には何度も出くわしているのだろう。
かと言って常勝が確定されているわけでもないはずだ……、
返り討ちにしてもお咎めはないが、奪われても文句を言えない。
「……女子供だからって、容赦はしねえぞ」
「魔族だからって過信してると足下すくわれる――ぞ?」
ティカが振るったスコップが、走り出した牛面の魔族のすねにめり込んだ。
「ごぉッッッッ!?!?」
前転しながら痛み悶えて両足を抱え込む。
まるで水の中のだるまだ。
そして、スコップの先端で牛面の頭を思い切り叩く。
視界に星を散らした魔族の一人は、そのまま気を失い、地面に伏した。
それから大きく回転させ、スコップを肩に担ぎ――エプロン姿の少女が、悪魔のような笑みを見せる。
月の真下、雲に遮られた光のない闇夜の中では、よく映える。
その光景は、オットイの目に、よく焼き付いた。
……普通に、強い。
「さて」
ティカが見定める。
残った二体の魔族が、ティカと視線が合い、ごくりと唾を飲み込んだ。
「次はどっちだ?」
「オレが行こう」
鰐面の魔族だ。
彼は両足で立つのをやめ、両手を地面につける。
腹這いになるよう四足歩行の形になった。
体は平べったく、本物の魔物と見分けがつかないくらいに似ている。
そんな魔族の背中へ容赦なく、ティカがスコップを振り下ろした。
手応えはじゅうぶんにあった……が、鰐面の魔族は顔をしかめてはいない。
「?」
「オレに打撃は効かねえよ」
攻撃を終えたティカの隙を狙って、魔族が足のバネを使い、飛び出した。
縦に長い口。
多くの鋭い牙が、ティカの綺麗な白肌へ突き立てられる。
だが食い込む事はなかった。
ティカが、その手に持つスコップを横にして、鋭い牙の身代わりにしたのだ。
手で握る木製の部分が魔族の顎の力によってみしみしと音を立てている。
やがて、スコップが真ん中からぽきりと折れた。
先端の金属部分が地面に落ち、甲高い音を立てた。
「これでおめえの武器はなく――」
瞬間、目が見開かれ、充血していた。
かッ……!?
と鰐面の魔族が呼吸困難になった。
なぜなら、ティカの拳が、彼の柔らかいお腹にめり込んでいたからである。
「打撃は効かないって言ってたけど、外側だけだったな」
腹這いになったのは弱点を隠すためだったのだろうが、起き上がってしまえば意味がない。
勝ちを確信し、油断してしまったのが彼の失敗だろう。
「別に隠そうが、無理やりひっくり返してたけどな」
鰐面の魔族が前のめりに倒れた。
残りは一体……だが、見える位置にはいなかった。
それはオットイも同じであった。
状況を一番よく見渡せる位置にいながら、見失ってしまったのだ。
慌てて視線を動かすと、目の前を横切るものが見えた。
――羽毛だ。
気づけば周囲には、羽の欠片ばかりが舞っていた。
「お前は人質として有効か?」
「!?」
耳元で囁かれ、視界が遮られる。
鳥面の魔族の羽によって取り囲まれた。
それを見たティカが、呆れたような声を出す。
「あっ、あいつ……!」
「危害を加えたりはせんよ。こっちも元より戦う気はなかったのだからね」
角張った指がオットイの首を撫でる。
いつでもその鋭い爪で喉を掻き切れるのだ。
「こっちも食べ物が手に入れられればそれでいい。金目のものがあれば尚良いが、そこまで欲張りにはならんよ。その荷物を渡してくれれば、彼を解放しよう」
「む……ッ」
ティカが僅かな挙動を見せた。
それだけで、鳥面の魔族がオットイの首を軽く絞めた。
「……っ」
「攻撃的で危ない小娘だね。実際、二人もの魔族を倒したんだ。ただの小娘じゃあなさそうなのは認めようかね」
「…………いいわよ」
息を吐き、緊張を全て抜いたティカが、力なく言った。
「なにがかな?」
「持っていきなさいよ、これ全部!」
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