第11話 フィニッシュ




 

 カーブを曲がって最後の直線に入った時、地面を蹴る綾乃のスパイクの音が背後から力強く聞こえた。

(綾乃のラストスパークだ)

 ぼくに振り返る余裕はなかった。

 背後に迫る綾乃の気配を感じながら、ぼくもダッシュした。

 緩やかな追い風が運ぶ綾乃の甘い香りが、ぼくの鼻腔びこうをくすぐった。

 もちろんそれに酔いしれる余力などなかった。

 すぐそこに綾乃が迫っているのだ。

 ゴールラインに立つ西村との距離は40~50メートル。

 西村は左手にストップウォッチ、右手に三脚に乗せられた綾乃の携帯電話を持っていた。 

 ゴールまで30メートル。

 綾乃の荒い息遣いが右の鼓膜こまくに届いた。

 20メートル。

 綾乃の気配を右の肩口に感じた。

 10メートル。

 綾乃がぼくの右肩に並びかけた時、ぼくはラストスパークした。

 一瞬引き離したが、綾乃はすぐに追いつき、二人ほぼ同時に西村の前を駆け抜け、そしてぼくは倒れこんだ。




                    *




 ミーンミンミンミンミー

 鎮守の森という事もあってか、原生林が分布する三都神社は、この辺りでは珍しくミンミンゼミの生息地である。

 九月上旬はまだまだ夏の名残が一杯だった。

 下駄箱に入っていたメモはごみ箱に捨てたものの、やはり気になって来てしまった。

 いつもながら、神社の境内には誰もいなかった。


   本日 三都神社境内にて待っています


 確かそう書いてあった。

(西村?)

 違う。あいつならこんな回りくどい事しないで、家の玄関から入ってくるはずだ。

 葛城先生は論外だ。

 となると後は、

(早瀬か?)

 いやいや、あいつはもっとストレートだ。

(誰だろう?)

 考えあぐねていると、誰かが石段を上ってくる音がした。

 間もなく姿を見せた艶のある長い黒髪に、ぼくは愕然とした。

「めぐみ…」

 めぐみは寂し気な笑みを浮かべた。

「久しぶりね、貴樹君」

 言いながら、ぼくの前で立ち止まった。

「おれを呼び出しのは、お前なのか?」

 めぐみは小さく頷いた。

「一度ちゃんと話したくて」

「今さら話す事なんてないだろ?」

 ぼくはめぐみの横を通り抜けて立ち去ろうとした。

「逃げるの?」

 ぼくの足が止まった。

「わたしや早瀬さんからただ逃げるだけなの?」

「お前がそれを言うのか?」

 ぼくはめぐみを振り返った。

「おれの気持ちを踏みにじったお前にだけはそんな事言われたくない」

「分かっているわ。どんな言い訳も通用しないのも知っている。わたしが悪いのは十分理解もしているわ。それでも聞いて欲しいの。お願いだから」

 ほくは返事をしなかったが、その場にとどまった。

 めぐみは髪をすく懐かしい仕草を見せた後、戸惑ったような顔を見せた。

「不思議ね。あんなに喋りたい思いがたくさんあったのに、念願かなって貴樹君が目の前にいるというのに、何から話していいのか分からないのよ」

 めぐみはそう言って俯いた後、再びぼくを見た。

「わたしね、ずっと不安だったの」

「不安?」

「そう。不安で不安で一杯だったの」

 平静をつくろっていためぐみの表情が少し崩れた。

「貴樹君は常にみんなの中心にいて、誰からも好かれていたわ。たくさんのラブレターもらって、いっぱい告白されて、女の子の憧れの的だった」

「まてよ」

 それに反論しようとするぼくを、めぐみが右手で制した。

「貴樹君の言いたい事は分かっているわ。わたしに優しかったし大切にもしてくれていた。それは分かっているの。女の子の告白もすべて断っていたのも全部知っているわ。それはそれで嬉しかったわ。でもね、わたしと貴樹君の間には何の約束もなかったのよ。わたしが、あなたにとって一番なのかどうか、自信が持てなかったのよ」

「だから高柳に鞍替えしたっていうのか?」

「違う!!」

 静かに話すめぐみには珍しく、大きな声を上げた。

「あの日の事…貴樹君は、ちゃんと、覚えている?」

 噛み砕くように話すめぐみにぼくは頷いた。

「お前と高柳が抱き合って…」

「違う!! そこじゃない!!」

 その前よ…、と怒鳴った後で、めぐみは囁くような声で言った。

「ハードルに足を取られて倒れそうになるわたしを抱きとめてくれたよね。覚えている?」

「ああ、覚えている」

「あれはわざとだったの」

「えっ?」

「ハードルに足が引っ掛かったまでは本当だった。けど次の瞬間思いついたの。このまま倒れこんだら貴樹君はどうするだろうって」

 ぼくにはめぐみの意図が分からなかった。

「貴樹君がわたしを抱きとめてくれた時はすごく嬉しかったわ。だからわたしの誘いにも応えてくれると思ったのよ」

 あの時、数センチのところにめぐみの顔があった。

「それじゃあれは…」

「わたしはあなたを誘ったのよ。それなのに……」

 めぐみの肩が震えていた。

「わたしはね、貴樹君との間に確かなものが欲しかった。好きになればなるほど不安で胸が押しつぶされそうだったし、傍にいるはずなのに、いつも寂しかった……。わたしは貴樹君といつも手を繋いでいたかった。腕を組んで歩きたかった。抱きとめて欲しかった。…キスして欲しかった……なのに…なのにあなたは、いつもわたしと距離を取っていたじゃないの……。あの時だってそうよ……。わたしを置いて逃げ出したのよ……。わたしは……わたしは……キスして欲しかったのは…貴樹君だったのに……」

 ぼくは背中から冷水を浴びせられたような錯覚に陥った。

「あなたが去った後、わたしは涙が止まらなかった。悲しくて仕方なかった」

 そこへ高柳が入ってきて、ひどく動揺した感じで、何で泣いているのか尋ねたが、めぐみは答えないでいたらしい。

 すると高柳はめぐみを抱きしめて『ずっと前から好きだった。おれと付き合ってくれ』と言ったいう。

「あの時のわたしの心境は、自分でも説明つかないものだった。貴樹君に受け入れられず、振られたような気分になっていたの。そこへ高柳君の強烈なアプローチを受けて、わたしは我を忘れてしまったのかもしれない。一瞬の隙だった。高柳君が好きとか嫌いとか考えた事もなかったのに、かぶさってくる彼を拒絶できずに、結果的に受け入れてしまった……貴樹君に奪って欲しかったものを……何でそうなったのか……無責任な言い方だけど……わたしにも分からない…」

 めぐみは目蓋まぶたを押さえて背中を震わせた。

「何故それを話してくれなかったのさ」

「聞いてくれなかったじゃないの!」

 めぐみは涙であふれる顔を上げた。

「貴樹君はわたしからずっと逃げていたでしょ? わたしあの時、貴樹君がわたしを殴ってくれても構わなかったわ。むしろその方が嬉しかった。暴力を嫌う貴樹君が手を出すほどわたしに腹を立てて、わたしを取り戻しに来てくれたら、わたしは土下座でもなんでもして許しを請うたはずよ。でも貴樹君は、いとも簡単にわたしを切ってしまったじゃないの。わたしは悲しかった。勝手な言い分なのは分かっているわ。けどあの瞬間、わたしは貴樹君にとってその程度の相手でしかなかった事を思い知らされてしまったのよ」

「ち、違う」

 ぼくはめぐみの言い分に圧倒されていた。

「おれの気持ちは、めぐみだって分かっていたはずだ」

「そんなの分からないよ。だって貴樹君、わたしに返事もくれてないのよ」

「返事って?」

「忘れちゃったの? わたしが告白した時、友達から始めようって言ったでしょ? 好きになっらちゃんと返事くれるって約束したはずよ。なのに返事くれなかったじゃないの。わたし、ずっとずっと待っていたのよ。好きだって言って欲しかったのよ」

「だけどそれは、言わなくても分かっていると…」

「言ってくれないと分からないよ!! 貴樹君は本当に優しかったし、わたしを大切にしてくれた。それでも、わたしは好きだって言って欲しかったの!! 言葉に出来ないのなら、態度で現わしてくれてもよかった。なのに、あの時あなたは、それさえも拒絶したのよ。わたし…二年も待ったのに……。ずっと待っていのに……」

「めぐみ……」

 ぼくは嗚咽するめぐみにかける言葉がなかった。

 目の前で泣いているめぐみは、まさに今のぼくだった。

 好きになればなる程につのる寂しさと、誰かに奪われそうな言い知れぬ不安は、綾乃に対して抱いているぼくの気持ちそのものだった。

 めぐみの気持ちが痛いほど分かった。

(おれは二年もの間、めぐみを苦しめていたのか……)

 自惚うぬぼれていた自分に、ぼくは初めて気が付いた。

 大切にしていた。思いやっていた。気遣っていた。

 めぐみに対していい彼氏をしていたつもりでいたのだ。

 シークレットラブはめぐみの望みだと勝手に決めつけていたが、本当はヘタレのぼく自身がそうしていただけなのだ。

 夕映え差す境内に響き渡るセミの鳴き声が一瞬ピタリと止んだ。

 めぐみは泣きぬれた顔をハンカチで拭うと更にぼくの前に進み出た。

「貴樹君」

 めぐみは倒れかかるようぼくの肩に頬を押し当てた。

「今でも、あなたが大好きよ」

「めぐみ……」

 めぐみの両手がぼくの体を抱きしめたが、ぼくは両手を下に伸ばしたままだった。

「おれは自分勝手だった。自分のことしか考えていなかったのに、めぐみを大切にしていたと、思い上がっていたんだ。ゴメン、めぐみ」

「謝らないで、貴樹君」

 めぐみの漆黒の髪がぼくの頬に触れていた。いい香りがする。

「わたしを許してくれる?」

「ああ」

「ありがとう」

 めぐみは再び肩を震わせた。

「ねぇ貴樹君」

 とめぐみは涙を拭いながらぼくを見つめた。

「もう一度あなたのそばにいたい」

 めぐみの顔がすぐ近くにあった。

 十数センチ首を傾けるだけで、ぼくはあの時のめぐみの思いに応える事が出来た。

 めぐみと過ごした二年は短くなかった。

 ぼくのスタブロを上手にしようと懸命だっためぐみ。

 冬の夕暮れの二人乗りの自転車。

 手を繋いで一緒に見た街のクリスマスツリー。

 肩を並べた自宅での勉強。

 夏のプールで初めて気づいためぐみの胸のふくらみ。

 そして三都神社下の坂道でのクラウチングスタートの練習。

 たくさんの二人の記憶が、今ぼくの頭の中で、素晴らしい思い出として蘇った。

 めぐみはぼくに体を預けて瞳を閉じていた。

 だけど、素敵な思い出は、もう過去の良き思い出でしかなかった。

 今のぼくの真実は、めぐみではなくなっていたから。

「ゴメンな、めぐみ」

 ぼくはめぐみの両肩に手を乗せた。

 めぐみは目を開けながら小さく頷いた。

「分かっていたわ」

 言いながら抱いていた腕をほどいて、ぼくの体から離れた。

「ごめんね、困らせたわね」

 めぐみは小さく深呼吸して少し笑って見せた。

「一つ聞いていい?」

「うん」

「あの頃、わたしを好きだった?」

「ああ、大好きだったよ」

 その答えに屈託はなかった。

「誰よりもめぐみが一番だったよ」

「ありがとう。それで十分よ」

 めぐみは一歩・二歩と後退あとずりを始めた。

「皮肉なものね。こうして少し距離を取ると、近くにいる時は見えなかったものがよく見えるのね」

 後退りするめぐみは更に遠のいた。

「あの時、貴樹君の心はわたしのものだった」

 ぼくは大きく頷いた。

「でも今は……」

 めぐみは寂しそうな笑みを見せた。

「貴樹君の心に…わたしはいない…」

 めぐみは石段の近くまで後退すると立ち止まった。

「貴樹君。どこかで会った時は、きっと笑顔で挨拶してね」

「ああ。めぐみもな」

 めぐみは笑顔で頷いた。

「それからね、あなたが今大切に思っている人だけど、その人は本物だから、ちゃんと向き合ってあげてね。その人との出会いが、きっと本当の貴樹君を取り戻してくれるはずよ。あなたの隣りにいられないのは寂しいけど、俯いているあなたを見ているのは、もっと辛いから」

 ぼくはどう返事していいか分からず唇を噛んだ。

「さよなら、貴樹君」

 めぐみはもう一度寂しそうな笑みを浮かべると、背中を向けて石段を下りて行った。

 ぼくはめぐみの残りを右肩に感じながら、ぼくにも一瞬の魔が訪れていたかもしれないと感じた。

 綾乃と破局した今だから、めぐみとりを戻すのも有りかもしれないと、わずかではあるが、そんな思いが心をよぎった。

 だけどその行為に及んだ時、ぼくはきっと後悔していただろう。

 再びめぐみを不安に陥れていたに違いないし、終わったとはいえ、綾乃に対する裏切りの自責じせきに、ぼくは苦しんだはずだ。

(あの時、めぐみはきっと、一瞬の魔がさしたんだ)

 めぐみを一方的に憎んで悪者にしていた自分を今更ながら深く後悔した。

 めぐみとの関係は切れていたが、ぼくだって綾乃に心変わりしたではないか。

 人の心の移ろいを責める資格など、ぼくにはなかった。

 めぐみを深く苦しめていたのはぼく自身ではなかったのか。

 そして今度は綾乃を悲しませてしまった。

(最悪なのはおれだったかもしれない)

 今までめぐみを憎んでいた気持ちが、そのまま自己嫌悪へと転換した。



 めぐみの去った石段の向こうを呆然と眺めていると、上ってくる栗色の髪が見えた。

 ぼくは息をのんだ。

 綾乃は石段を登り切ったところで立ち止まった。

「怒ってる?」

 と綾乃が聞いた。

「このままじゃ嫌だから、佐藤さんに相談したの」

「怒ってないよ。むしろ、感謝しているよ」

 ぼくの正直な気持ちだった。

「わたしも佐藤さんの話が聞けて良かったと思ってる。彼女はズルい人じゃなかったよ。貴樹君をずっと思っていたよ」

 久しぶりの綾乃の声に、ぼくは胸が詰まりそうになった。

 無理して笑う綾乃のぎこちない仕草もぼくは好きだった。

「おれがヘタレだったんだ」

 ぼくはすごく惨めな気持ちになっていた。

「全部おれのせいなんだ。長い間めぐみを苦しめた。それに早瀬も泣かせてしまった。人の気持ちを知ったかぶりして、本当は何もわかっていなかったんだ。人を好きになる資格なんて、最初からおれにはなかったんだよ」 

 綾乃は穏やかな笑みを浮かべて首を横に振った。

「わたし達、まだ大人じゃないんだよ。何もかも理解しているわけじゃないし、上手くやれるわけないのよ。だから話そうよ。互いを理解できるまで、何度でも」

「おれは自信がないんだ」

 ぼくは自分の思いをどう説明していいのか分からなかった。

「おれはついさっきまで、自分が傷つくのが怖かった。でも今は好きなヤツを傷つけるのが怖いんだ。だけどどうやってそれを回避したらいいのか分からないんだよ。やっぱりおれには人を好きになる資格なんてないのかもしれない」

「何怖がっているのよ!」

 綾乃が少し強い口調で言った。

「わたしだって怖いよ。傷つく事も傷つける事も。積極的な行動が仇になる事だってあるし、消極的な行動が却って上手くいく事だってあるわ。でもそんなの結果論よ。やって見なきゃ分からないのよ」

 そこまで言った後、綾乃が前に出てきた。

「それでもね、何もしないで後悔するなら、行動して後悔した方がいい」

 綾乃はぼくの前で立ち止まった。

「だから、わたしと勝負して」

「えっ?」

 綾乃の言葉の意味が理解できずに、ぼくはきっとほうけた顔をしていたに違いない。

「わたしが勝ったら、わたしの彼氏になって」

 一杯一杯の顔で強がってみせる綾乃に、訳も分からないまま、ぼくは頷くしかなかった。





                    *




 ぼくが仰向けに横たわる隣で、両手両膝を地面について肩を揺らしながら小刻みに呼吸する綾乃がいた。

「微妙だが、勝者は貴樹だ」

 西村が綾乃の携帯電話で撮った画像を向けようとしたが、綾乃はそれに目もくれないで、大きくかぶりを振った。

「見なくても…分かるよ…」

「でもすごいよこれ!」

 ストップウォッチに目をやる西村が興奮気味に言った。

「貴樹は自己新の4分40秒だ。早瀬はおそらく4分10秒そこそこじゃないのか。これって今年のインターハイの優勝記録と変わんないぜ」

「多分な…」

 ぼくは早瀬に顔を向けた。

「…早瀬は…すごいな」

「でも…負けちゃったね…」

 くやしいな…と言いながら綾乃も仰向けに転んだ。

「じゃ、おれはこれで帰るわ」

 西村は綾乃に携帯電話を返すと、「しっかりやれよ」と囁きながら寝転んでいるぼくの肩を指で小突いた。 

「西村…ありがとな…」

「いいよ。後はお前次第だ」

「西村君、いろいろありがとうね」

「どういたしまして。また明日な」

 そう言い残して西村は背中を向けた。 

「早瀬…大丈夫か…」

「大丈夫よ。それより、ありがとうね、堀内君」

 夕日に照らされた綾乃の栗色の髪が亜麻色に輝いていた。

「手を抜いていたら…納得できなかったけど…全力で…勝負してくれて…嬉しかったわ」

 綾乃は視線を校門の方に向けた。

「佐藤さん、来てたよ」

「そうなのか」

 ぼくも目線を校門に向けたが、西村の背中しか見えなかった。

「今ならまだ追いつくよ」

「追わないよ」

 呼吸が整ってきたぼくは、上半身を起こした。

 綾乃もぼくを見つめながら身を起こした。 

 そして寂しそうな顔でぼくを見た。

「東京に行くのよね」

「誰かに聞いた?」

「うん。直樹君が友達と話している所をね」

「そうなのか。まあ、二年先の話だけどね」

「えぇっ?!」

 綾乃は素っ頓狂すっとんきょうな声を上げた。

「ほ、堀内君、十月から東京で暮らすんじゃなかったの?」

「えっ? 直樹がそう言ったのか? 違うよ。行くとしても高校卒業まではここにいるよ」

「えぇー? どういう事?」

 ぼくは動揺している綾乃を落ち着かせて事情を聞いてみた。

 最初中々話が噛み合わなかったが、綾乃の言う「引っ越し」が「お引越し」だと気づいた時、ぼくは大筋において理解した。

「それたぶん、『お引越し』というシミュレーションゲームの事だよ」

「シミュレーションゲーム?」

 どうやら綾乃はテレビゲームに疎いらしい。

 ぼくがまんで説明してやると、綾乃はきつねにでも化かされたような顔になった。

「じゃあ、わたしの早とちりなの?」

「だね」

 ぼくは声をあげて笑った。

「もう、笑わないでよ。恥ずかしいじゃないの。もう、もう、もう」

 綾乃の拳がぼくの肩を連打した。

「わるいわるい。でも、直樹には感謝しないといけないかもな」

 ぼくの言葉に、綾乃も相槌あいづちを打った。

「そうよね。でなきゃ、わたし絶対こんな大胆な行動は出来なかったよ」

 綾乃は体に付いた砂を払い落しながら立ち上がった。

 均整の取れたしなやかな綾乃の肢体が、妙にまぶしかった。

 レースの間はそんなこと考える余裕はなかったが、逃げても逃げても迫ってくる綾乃の姿を思い出すと、切ないほどのいとおしさが込み上げてきた。

 綾乃はきっと、これからもぼくを追いかけてくるだろう。

 常にぼくの傍に寄り添ってくれるに違いない。

 (そうなんだ)

 綾乃は間違いなくぼくが探し求めていた唯一無二の真実だ。

 だけどぼくは、自分の要求を相手に押し付けるだけではいけない事も学んでいた。

 大切な人には、大事な言葉を忘れてはいけなかった。

 ぼくは立ち上がると、綾乃に向き返った。

「早瀬」

 と綾乃を見つめた。

 ぼくの行動に感じるものがあったのか、綾乃も真顔で返してきた。

 ぼくの頭の中をたくさんのドラマや小説の告白シーンが駆け巡っていた。

(だけど……)

 ここで必要なのは飾り立てた言葉でも、ドラマティックなセリフでもなかった。

 飾り気のない、シンプルなぼくの心からの言葉があればそれで十分だった。

「おれは……」

 ぼくは一呼吸置いた。

「早瀬が大好きだ!」

 いつもなら俯いてしまうヘタレのぼくだけど、もう目を逸らさなかった。

「うれしい…」

 綾乃の瞳から大粒の涙がこぼれた。

「わたしでいいの?」

「早瀬じゃないとだめだ。ずっと……ずっと……おれの傍にいて欲しい」

「堀内君………。そんなこと言われたら……わたし…もう…堀内君のこと……絶対に放さないよ。誰にも…渡さないよ。後悔しても……知らないから…」

「後悔なんてするもんか。最初から決めていたんだ」

 西村の姿も校門の外に消えていた。

「勝負に勝って、おれの方から告白しようって決めていたんだ」

「堀内君……」

「だから、早瀬……」

 と言いかけてぼくは言葉を直した。

「綾乃! おれの彼女になってくれ!」

 綾乃は言葉を出せない程にしゃくり泣いた。



 しばらくたって涙が収まった綾乃は、ぼくを見て恥ずかしそうにお辞儀をした。

「貴樹君、うけたまわりました。どうぞ、わたしをよろしくお願いします」 

 夕日を浴び、泣きぬれた綾乃の顔は、まばゆいくらいにきれいだった。

(あの時から…始まっていたんだ)

 桜散る渡り廊下で初めて会った時から、ぼくは綾乃に惹かれていた。

 その瞬間からぼくの心は、きっと決まっていたんだ。

 ぼくは綾乃の手を取り、ぎこちなく抱き寄せた。

 栗色のきれいな髪がぼくの頬に密着した。

 汗ばんだ綾乃の肌から甘い香りがした。

 月並みな表現だけど、レースには勝ったけど、勝負に負けたのはぼくの方だった。

(やっぱり、ズルいよ)

 それでも、どこまでも爽やかなこの敗北感に、ぼくはいつまでも浸っていたいと思った。








                               FIN


最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。

この章を以て本編は完結いたしました。

本編の中で説明不足と感じる部分が何ヵ所かあったと思いますが、ご了承くださいませ。

話の流れを止めたり、説明に追われそうな部分を、あえて割愛して、第三の目線から見た、この後のanother storyにて補って行こうと思います。

よろしければお付き合いくださいませ。


                                                                    白鳥かおる

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