42.残っていたものは

 薄紫のドームに雪は積もっていない。触れるだけで溶けてしまうのだろう。

 静まり返った森、周囲の木々が炭化しているものもある中で、その薄紫はひどく異質で少し恐ろしい。


「……里も焼け落ちてる。分かってはいたけど、こうして目の当たりにするときついな」


 ぽつりと呟きを落とすラルの口元が震えているように見えた。

 わたしはマジックバッグから魔導具の指輪を取り出すと、ひとつをラルに渡した。受け取ったラルはそれを左手中指へとはめる。わたしも同じ指にはめると、リング部分がしゅるしゅると縮んでわたしのサイズぴったりになっていた。さすがは管理院の魔導具。これなら落とす心配も無さそうだ。


 二人で薄紫の結界へと近付く。指輪をした手で結界に触れると、スーパーボール大の水晶が光を増していく。光の中では様々な文字が踊っていて、わたしが読み取る事が出来たのは、『アヤオ・ユキシロ』という自分の名前だけだった。


 ドームに触れていた手が、ずぶずぶと結界の中に沈んでいく。足を動かさなくても何かに引っ張られるようにして、気が付いた時にはドームの内側に居た。不思議な感覚に首を傾げていると、同じようにラルが結界を越えてくる。

 光は静かに落ち着いていき、そして余韻を残して消えていった。あとには綺麗に澄みきった水晶が指輪に鎮座するばかり。



「……ひどいな」


 小さく落ちた声は悲哀の色。

 わたしはラルの手をぎゅっと握りしめると、それを揺り動かした。


「近い場所から見ていく? それとも、ラルの家からにする?」


 感傷に飲み込まれたら、きっと心が耐えられない。

 そう思ったわたしは、これは任務だとの意を込めて言葉を掛けた。


「家から行こう。一番奥だから、家を調べて順番にここに戻ってくるのでもいい?」

「もちろん。じゃあ行こうか」


 繋いだ手に、ラルも力を籠めてくれる。触れる温もりが溶け合うように、ラルの悲しみもわたしに溶けてしまえばいいのにな。



 焼け焦げた臭いが鼻をつく。

 崩れた家から、瓦礫の欠片が落ちていく。


 この里を覆う結界は、あくまでも外部からの侵入を防ぐものにしかすぎないそうだ。動物や魔獣、何者かに里を荒らされない為に。

 だから時間が止まっているわけではなく、朽ちていく事は止めることが出来ないとタパスさんが言っていた。


 ハルピュグルの里は、村程の大きさがあった。ラルに聞けば、四○○人ほどが暮らしていたそうだ。外の世界に出ている人達もいるそうだけど、この状態だと里に帰ってくるのも、行方を辿るのも難しいかもしれない。


 踏み固められた道を、里の奥まで歩いていく。里を囲う木の柵はところどころが崩れ落ちていた。

 畑だっただろう区画もすべて焼けてしまっているし、家だった残骸ばかりが残っている。



 最奥にあたるだろう場所で、ラルが足を止めた。

 そこにあるのは瓦礫の山。大きな屋敷だったのか、その瓦礫の量も他の家とは比べ物にならなかった。ここもやはり焼けてしまったのか、至る所が炭化して朽ちている。


「……この家で暮らしてたんだ。ひどいな、本当に……」


 わたし達はその瓦礫の山に近付いていく。ゆっくりと視線を滑らせるラルは、屋敷の元の姿を思い浮かべているようだった。


「ちょっと離れてて」


 繋いだ手を離し、促されるままに数歩後ずさる。それを確認したラルは両手を鉤爪に変化させると瓦礫の山を崩していった。

 力仕事だとわたしの出番はない。小さな瓦礫ならわたしでも運べるだろうけど、ラルはそれをよしとしないだろう。


 今にも落ちそうな柱の隙間にラルは潜り込み、瓦礫を避けていく。バランスを崩したらラルが生き埋めになってしまうのではないかと、わたしは気が気ではなかった。

 使えそうな風魔法を考える。風の浮力で瓦礫を浮かせる? ……いいかもしれない。重いものは難しくても、小さなものならいけるだろう。距離を取った場所から魔法を使うなら、ラルもだめとは言わないはずだ。


「ラル、小さな瓦礫だったらわたしも魔法で浮かせられると思う!」

「じゃあオレの横にあるこれを移動させてくれる? 無理はしないでいいからね」

「はーい」


 瓦礫に潜っているラルに確認をしないと、適当な場所のものをずらしたら一気に崩れてしまいかねない。わたしはラルに指示されたものだけを、風の精霊の力を借りて移動させていった。



 暫くして、ラルが戻ってくる。

 その頬は炭で黒く汚れているけれど、それよりもわたしの目を引いたのは、悲しみに暮れる青藍せいらんの瞳だった。


「……中には誰もいなかったよ」

「じゃあご両親や弟さんは生きているかもしれない?」


 わたしの問いに、ラルはゆっくりと首を横に振る。

 拳の形に握りしめていた掌を胸元まで上げたラルはそれを開いていく。拳からは銀の鎖が垂れていた。


「……ロケットペンダント?」


 楕円形のふっくらとした厚みのあるペンダント。

 ラルは頷くと、ロケットの爪を外して開いてくれた。


 左側には男性の姿。ラルのような赤い髪を肩から垂らしている。黒い瞳は楽しげに細められ、笑った口元からは八重歯が覗いている。

 右側には子どもが二人。やはり赤い髪をした、良く似た男の子達。青い瞳がきらきらと輝いているようだった。


「これは……ラル?」

「そう。こっちがオレの父親で、こっちはオレと弟の子どもの時。これは……母さんのペンダントだ」

「落としてしまったって事?」

「……違うと思う」


 パチンと音を立ててロケットを閉じたラルは、それを掌に握ったまま、わたしの事を抱き締めた。不意の事にわたしが目を丸くするも、ラルの胸元に顔を埋めているこの状態では伝わらないだろう。


「母さんはこれを大事にしてた。絶対に外さないし……もしこの騒ぎで落としてしまったなら、鎖が切れているはずだ」


 確かに。

 わたしは頷きながら両手をラルの背に回した。


「この鎖は切れていない・・・・・・。オレが潜った瓦礫の奥、何も無くてひらけている場所があった。恐らく……骨も残らない程の高温で焼かれたんだと思う。このペンダントは特殊な金属で出来ているから、これだけが残った……」


 ラルのお母さんが亡くなって、周囲も一緒に焼けてしまって、その上に焼け落ちた屋敷の瓦礫が積み重なったっていうこと?

 でも、それじゃあ……全てなくなってしまう程の高温って……。タパスさんが話していた、亜人狩りが頭をよぎる。襲撃者は爆炎魔法を使っていたと。爆炎魔法を、直近で受けたら、きっと全てが……。


「このロケットの側に、外せない・・・・はずの親父の指輪も落ちてた。だからきっと親父も、母さんと一緒に……」


 ラルがゆっくりと息を吐く。

 何を言えばいいのか分からないわたしは、ただラルをきつく抱き締める事しか出来なかった。

 わたしはここに居ると、それを伝える為だけに。


 ラルの拳から垂れた鎖が、揺れてしゃらりと音を鳴らした。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る