43.シルヴィス

 ラルの家を離れたわたし達は、近い場所から順番に見て回っていた。

 崩れた家、溶けたように歪んでいる瓦礫、生活の跡が全て燃やされている。きっと美しく彩られていただろう花壇には、もう花弁の一片さえ落ちていない。


 わたしは手にしていたスケッチブックをそっと地面に戻した。端が焼け焦げたスケッチブックには沢山の絵が描かれていた。子どもが描いたものだろう自由な絵。大きな鷲が飛んでいたり、家族だろう四人がにこにこと笑っている朗らかな絵。

 このスケッチブックの持ち主も見つからず、漏れた吐息が震えるばかりだ。



 雑貨屋さんに一つ、壊れた柵の側に二つ、そして広場に四つの×印がある。全部で七つ……これはきっと、遺体が見つかった場所の印なのだろう。


「……里の住人が燃やされているのに、どうしてこの七人だけ遺体が残っていたのか。遺体を溶かす程の魔法というと、やっぱり爆炎魔法だと思うけど……それはハルピュグルの中でも、族長の系譜が得意としているんだ」

「族長。……ラルは魔法を使えるの?」

「ああそうか、アヤオの前では使っていなかったね。オレも爆炎魔法を使えるよ」

「え、じゃあラルも族長の……?」

「親父が族長だった」


 だから家名があったのか。

 ラルの名前を思い出して、納得してしまった。しかし爆炎魔法が得意なのは族長の……という事は、弟さんもきっと使えるのだろう。


「……どこに居るのか」


 ラルの呟きが静かに溶けていく。

 わたしは、ただ眉を下げるしか出来なかった。



 音もない、生命の気配もない静寂の中。

 見上げた空は相変わらずの薄紫。暗くなっているから、もう日が暮れ始めているのだろう。


「タパスさんには、いい報告が出来なさそうだ」

「記憶の事?」

「うん、戻らなかったからねぇ。オレも、里に来たら何があったか思い出せると思ったんだけど……歯痒いな」

「戻った方が色々分かるだろうし、ラルもそれを望んでいるんだろうけど……わたしは、思い出してラルが辛くなるのは嫌だな」


 こちらを見て困ったようにラルが笑う。

 わたしはポケットからハンカチを取り出すと、炭で汚れてしまったラルの頬を拭った。水で洗わないと綺麗には落ちないようだ。


「オレはさ、思い出したものがどんな辛い記憶だったとしても。アヤオが居てくれたらその記憶も受け入れられると思うんだ」

「でもわたし、何も出来ないよ……上手に慰める事だって。何て言ったら、ラルの気持ちが楽になるのか……考えても分からなくて」


 ――そんな自分が不甲斐なくて。


「居てくれるでしょ、オレの側に。一人じゃないってそれだけで安心するし、それが好きな人なんだから慰められないわけがない。それにアヤオとする、何でもないお喋りがオレは好きなんだ」

「……ラルはわたしに甘いな」

「仕方ないよ、好きなんだから」


 さらりと紡がれる言葉に、わたしの胸が暖かくなる。……いやいや、わたしが慰められてどうするんだ。


「そう言ってくれるのはありがたいけど、何かあったら遠慮しないで言わなきゃだめだからね」

「分かってる」


 そう言って笑うラルの瞳が、先程までよりも明るくなっているようで、わたしは内心で安堵の息をついた。

 わたしまで落ち込んでたり、暗くなっていてもしょうがない。気持ちに寄り添って、いつも通りに過ごすのが、今のわたしに出来る事なのかもしれないな。


 わたしはラルの手を取ると、指を絡めて強く握った。


「そろそろ行こうか。暗くなってきた」

「うん。……夜は飛べないよね?」

「鷲は夜目がきくからねぇ。問題ないよ」

「え、そうなの?」


 知らなかった。でも今日は長い距離を飛んで貰っているし、あんまり無理をさせたくないな。

 繋いだ手を持ち上げられて、どうかしたのかと目線を向ける。ラルはわたしの指先に、弧を描いた唇を寄せていた。恥ずかしいのに、何でもないようにラルが振る舞うから、反応する事も出来なかった。


「この森を抜けて南下したら、町がある。宿もあるだろうから、そこに泊まって明日の朝に帰ろうか」

「ん、分かった」


 触れられた指先が熱を持っている。どうか顔には出ていませんようにと願いながら、わたしは頷いた。

 今日は色々あったから、わたしも疲れている。ラルの疲労はわたしの比ではないだろうし、精神的にも辛いだろう。休もうとラルが言ってくれたのは、本当にありがたかった。



 二人で手を繋いだまま、里の入口まで戻る。

 結界に触れるとまた魔導具が光を放って、入った時と反対に押し出されるような感覚だった。慣れない感覚が不思議で、ちょっと苦手だ。


「わ、すっかり暗いし……積もってる」


 夕間暮れ。

 空と山の境目がほんのりと薄明るいけれど、もう間もなく真っ暗になってしまうだろう。星が瞬き始めた空を見上げると、吐いた息が白く溶けた。

 足元は薄く雪が積もっている。みぞれだったのに、いつのまにか雪へと変わっていたらしい。さすが北の地、寒いな。


 マジックバッグから魔導具であるガラス玉を取り出したわたしは、魔力を流して放り投げる。空中に浮いたガラス玉は周囲を照らす光源となる。


「町まで飛んでいこう。ベルトはある?」

「うん、大丈夫」


 マジックバッグからベルトを取り出す。町までまたラルに負担を掛けてしまうから、今日は本当にゆっくり休んで貰わないと。

 そんな事を思っていたら、不意にラルがわたしの腕を引いた。一瞬でラルの背中に隠されてしまって、何があったのかとわたしは目を瞬くばかりだ。


「生きていると思っていたよ」


 笑み混じりの声が響く。

 ラルの背中から顔を除かせて、その声の主を探した。


 高い木が伸ばす枝の一つに、男の人が座っている。細い三日月を背にしたその姿は、まるで月に腰を下ろしているようにも見えた。


 短く整えられた赤い髪、青の瞳。

 ラルによく似た顔が笑みを浮かべているけれど、ぞっとするくらいに恐ろしくて美しい。


「……シルヴィス」


 ラルが小さく呟く。

 その声を聞いた男の人は、喉の奥で低く笑った。


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