41.ハルピュグルの里へ

 空が近い。

 薄く掛かった雲がお日様の光を遮っているせいで、気温はいつもよりも低いようだ。


 眼下に広がる秋の景色は、北上するにつれてその色をくすませていく。相変わらずケーキみたいな王都が小さく見える頃には、周りの山は白い帽子をかぶっていた。


 わたしは鷲の姿になったラルの背に乗って、北へと向かっている。

 目的地は王国の北端、隣国との境界でもある北の山の麓に広がる森。今日はいよいよハルピュグルの里に行けるのだ。


 先日、タパスさんの話を聞いてから、ラルは物思いに耽る事が多くなった。色々気掛かりな事はあるだろうけれど、一番はやっぱり弟さんの事だと思う。

 亜人狩りがあって、その襲撃者がハルピュグル――しかも弟さんかもしれないだなんて。

 どんな言葉を掛ければいいのかも分からない。大丈夫だよ、きっと違うよ、なんて……気休めにしかならないだろうから。わたしは傍に寄り添う事しか出来なくて、自分の無力さを思うとまた溜息が出た。


『大丈夫?』


 溜息は飛んでいるラルにも聞こえていたらしい。


「大丈夫。ラルは疲れていない?」

『オレは平気。休憩が必要ならいつでも降りるから、遠慮しないで言ってね』

「休憩が必要なのはわたしじゃなくて、ラルの方だよ」

『ベルトに掴まり続けるのも、ずっと同じ体勢でいるのも辛いだろうからねぇ』

「それが意外とそうでもないんだな。乗り心地がいい、って言ってもいいのか分からないけど」

『そう思ってくれるならオレは嬉しいよ』


 低く笑う声が、頭に響く。

 きっとそんな余裕もないだろうに、ラルはいつだってわたしを気遣ってくれる。それが嬉しいのに寂しくて、ベルトを支えにラルの背中に頬を寄せた。


 ラルの胸元から翼の付け根を通るように、ベルトが掛けてある。わたしが掴まる場所が必要だろうと、ラルが用意してくれたものだ。

 これのおかげで落ちる心配もないし、そのベルトとわたしの腰も太いベルトで繋がっている。命綱だ。


 体を寄せると、温もりが伝わってくる。

 滑らかで柔らかい羽毛が頬を擽って、このまま眠ってしまいたくなる程だ。ふぁ、と小さな欠伸を漏らして、ベルトをしっかり握り直す。景色が凄い勢いで流れていくのをぼんやりと見つめているうちに、瞼が重くなっていった。



『アヤオ、起きて』

「……? っ!? ごめん!」

『大丈夫だけど掴まっててね』


 掛けられた声にゆっくりと意識が浮上して、自分が眠っていた事に気付いたわたしは勢いよく体を起こした。ラルは気を悪くした様子はないけれど、気まずさに体が小さくなってしまう。


「ごめん……寝ちゃってた」

『いいんだよ。それだけ落ち着ける場所って事でしょ』

「うう……落ち着けるのはそうなんだけど、ラルが頑張ってるのに……」

『気にしなくていいのに。じゃあ、降りたら手を繋いで歩いてくれる?』

「それはもちろん」


 やった、とラルの声が弾む。

 森の中は歩きにくいかもしれないから、手を繋いで貰えるならわたしとしても有り難い。なんて言い訳だけど……わたしもどこか浮かれているようだ。


 周囲を見回すと先程までより、ゆっくりと景色が流れていく。遠くに見えていたはずの切り立った山が近くにきていた。雪を纏ったその姿に、ぶるりと体が震えてしまう。

 わたしは綾織りデニムの細身ズボンとブーツ。上はセーターに軽めのコート、マフラーをぐるぐると巻いている。

 寒い地域に行くのだからと防寒対策をしてきたはずなのに、これでも足りなかったみたいだ。


『見えてきた。あの森だよ』


 旋回しながらラルが高度を落としていく。

 常緑樹の緑にうっすらと見える白。どうやら雪が降っているらしい。

 ぽっかりと空いた場所にラルが着地する。ベルトを外してラルの背から降りたわたしは、その場所が開けている理由を知った。――燃え尽きている。

 ラルの火傷の原因にもなった、あの火災だろう。


 魔力が高まり、ラルが人の姿に戻る。

ラルはいつもの仕事着である綾織りデニムズボンにパーカー、その上にジャケットを羽織っていた。パーカーの中はタートルネックのシャツを着ているけれど、わたしよりは遥かに薄着である。それでも寒くないようで平気な顔をしていた。


「……ひどいな、ここまで燃えているなんて」

「大丈夫?」

「ああ、うん。……行こうか」


 眉を下げて笑うラルはわたしに手を差し出してくる。それをぎゅっと握りしめて、わたし達は並んで歩き出した。

 ゆっくりと降ってくるのはみぞれ雪。ふぅと吐いた息が白くなって消えていった。



 みぞれ雪は時々雨になり、また雪へと形を変える。

 寒いのに、繋いだ手から伝わる熱のおかげで、震えるほどではなかった。


「ここまで荒れた森じゃなかったんだけど。森が焼けた事で、動物達も逃げ出しちゃったのかもしれない」


 鳥の声さえしない静かな森を、ラルと歩いていく。

 時折姿を見せるのは魔獣ばかりで、その魔獣も襲いかかってくる事はなく、一目散に逃げ出す程だった。


「ラルはよく森に来ていたの?」

「うん。オレ達は里の中で作物を育ててもいたけど、やっぱり森の恵みを頂く事も多かったからねぇ。男衆の殆どは小さい時から狩りの仕方を教わるんだ。魔獣も食べられるよ」

「え、そうなんだ」

「今度食べてみる?」

「……美味しい?」


 気になるけれど、魔獣かぁ……。素材になるとは知っていたけれど、お肉が食べられるとは。

 食べたいけど、ちょっと怖い。わたしの葛藤を読み取ったラルはくすくすと肩を揺らしている。


「少し臭みがある。メイナードさんは、街でも魔獣肉を食べられるって言ってたけど……まぁ珍味扱いっってとこで察せるかなって感じ」

「今度機会があれば食べてみたいかも」

「じゃあお店の場所を聞いておくね」


 何気ない会話をしている間に、目的地にずいぶん近付いていたようだ。

 わたし達の目の前には、薄紫のドームに囲われた集落の跡地が見えてきていた。


 

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