24.雨とお弁当
雨の音がする。
窓にあたる不規則な音に、わたしの意識はゆっくりと浮上した。ふぁ……と漏れる欠伸をそのままに、浮かんだ涙を手の甲で拭う。
カーテンをしている部屋は薄暗い。いまは何時だろう。枕元の時計を見るとお昼をとっくに過ぎていた。
「……寝過ぎた」
体を起こして首をぐるぐると回す。両手を上に向けて背中を伸ばす。
まだ少し怠い気もするけれど……これは寝過ぎたからかもしれない。酷かった吐き気も頭痛も治まっている。
ええと……昨日はデルメルン大森林での大規模討伐があって、回復師として従事して……。帰りの竜車に乗ってギルドに戻った時には体調不良が最高潮で。
泣きながら出迎えてくれたキリアさんが、頑張ったねって褒めてくれて……そこから記憶がない。いや、ない事もないけど……家のトイレで吐いた事とか、それから頭痛が酷くなって、明るい光を見るだけで気持ちが悪くなっていたとか……。
「アヤオ、入るよ」
わたしが起きた事に気付いたのか、寝室のドアがノックされる。はぁいと返事をすると、グラスをトレイに載せたラルが部屋に入ってきた。
「具合はどう?」
「だいぶ良くなったよ。少し寝過ぎちゃったくらい。……わたし、ギルドに着いてからの事をほとんど覚えていないんだけど……」
ラルはベッドの端に座ると、トレイをわたしに渡してくれた。氷の浮かんだグラスを取って口に運ぶと、ミントとレモンのいい香りがお水と一緒に喉を流れた。
「倒れちゃったんだよ。魔力回復薬を飲みすぎたせいだろうって、キリアさんも言ってた」
「あらら、キリアさんに後で謝らないと。もしかしてラルが運んでくれたの?」
「うん。倒れるくらいに具合が悪かったなら言ってくれたらよかったのに。……気付けなかったオレが悪いんだけど」
「ラルはなにも悪くないでしょ。もう少し大丈夫だと思ったんだけど、安心しちゃったのかも。運んでくれてありがとね」
喉を潤す冷たいお水が美味しくて、一気にグラスを空にしたわたしは息をついた。トレイに戻したグラスをベッドサイドのテーブルに置いた。
「そういえばご飯食べた? 昨日お弁当買って帰ろうって言ってたのに、わたしを運んでたら買えなかったんじゃ……」
「大丈夫だよ。大家さんが差し入れしてくれたんだ。『街を守ってくれてありがとう』って言ってた」
「守ったのは守護団と騎士団なんだけどな」
「オレもそう言ったんだけど。『大森林で魔獣が溢れないようにしてくれたから、街が無事だったのよ』って。そうかと思って、有り難く受け取ったよ」
「後でわたしもお礼を言いに行かなくちゃね」
直接的ではないけれど、わたし達も街を守れたのか。
街の人がそう思ってくれて、何だか胸の奥が暖かくなるくらいに嬉しかった。自分も役に立てたのだと。
「お腹空いてない? 弁当を買ってきてあるし、簡単だけどスープも作ったんだ」
「食べる!」
返事をしたら、空腹をアピールするかのようにお腹が鳴った。恥ずかしさにお腹を押さえると、肩を揺らしたラルがわたしの頭をぽんと撫でた。
「温めておくね」
「ありがとう。着替えたら行くね」
グラスの載ったトレイを持って、ラルが寝室を後にする。それを見送ったわたしは……ベッドの上で膝を抱えた。
待って待って待って。何を意識しているんだわたしは。あんな頭を撫でるとか、別に今までだってあった事だし、珍しい事でもないじゃないか。
それなのにラルが昨日あんな発言をしたり、ちょっと距離が近かっただけで意識するとか……ちょろすぎないか。いやちょろいのがダメだっていうわけじゃないんだけど……。
わたしはまた、ばたりとベッドに倒れ込んだ。真っ白な天井をぼんやりと見つめても、鼓動が収まる気配はない。
落ち着け、わたし。
ぐるぐると回る思考は全然纏まる素振りがない。
早く着替えろと急き立てるようにまたお腹が鳴って、わたしは着替えるべく、のろのろとベッドから起き上がった。
ゆったりとした膝下のワンピースを着る。部屋着だけど、今日は出掛けられないから構わないだろう。
洗面所で顔を洗って、うなじで髪をひとつに纏めた。……お風呂に入りたいな。でもラルがご飯を準備してくれているし、空腹も限界だ。ご飯を食べてからゆっくり入ろう
ダイニングテーブルには湯気の立つスープと、お弁当が用意されていた。
わたしの好きなニホン食、幕の内のお弁当だ。席に着くとお茶で満たされたグラスをラルがテーブルに置いてくれる。それから向かいの席に座った。
「美味しそう」
「食べられる?」
「うん。ニホン食にしてくれたんだね」
「これなら食べられるものを選べると思って」
たくさんのおかずが綺麗に並んだお弁当。それを選んでくれたラルの気遣いが嬉しくて、笑みが溢れた。
「ありがとう。早速いただきます」
「いただきます」
二人して、手を合わせる。スープマグには、柔らかく煮込まれたお野菜が沢山入っていた。持ち手に指を差し込んで、両手でマグを包むように持ち上げる。口をつけてスープを飲むと、鶏の風味がほんのり香る優しい味がした。
「……美味しい」
「よかった。アヤオがいつも作ってくれるスープの方が美味しいけど」
「そんな事ないよ。凄く美味しいし……嬉しい」
「嬉しい?」
またスープを一口飲む。お腹がじんわりと温まる。
マグを置いたわたしは卵焼きをお箸で取った。口に運ぶと少し甘くて、とても美味しい。そういえば母さんの作る卵焼きは、もっと甘くて分厚かったな。
半分に切ってあるコロッケを食べながら、ラルの問いに頷いて見せた。ラルは梅干しで赤く染まったご飯を食べている。一口が大きいけれど、食べ方が凄く綺麗だと思った。
「今までにもこうして体調を崩す事はあったけど、全部自分でしていたから。気遣ってもらえるのも、ご飯を用意して貰えるのも、なんだか嬉しくて」
「アヤオはさ、いままで頑張ってきたんだから。これからはもっとオレに頼ってよ」
いま優しくされるのはやばい。
弱っているところに家族の事を思い出して、その上そんな優しい言葉を掛けられたら我慢が出来なくなってしまう。
わたしは小さく頷くだけしか出来ずに、あとは黙ってご飯を食べる事にした。溢れた涙を誤魔化す事も出来なかったけれど、ラルはそれには触れなかった。
その優しさに、また涙が出た。
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