第39話 眷属の壁

「……あの、私もこの場にいるってこと、忘れてる?」


 エナの存在を思い出したフルッフが、クロコと密着している現状を丸々見られていると気づき、慌てて飛び退いた。

 平然としているクロコの方は気付いていたらしい……、

 もしくは、いま気付いたがフルッフのように照れを感じなかったか。


 ディンゴもそうだが、その辺りの感覚は軒並み壊れている騎士である……後者だろう。

 ――その時だった。


 がくんっ、と体勢を崩したかと思えば自分だけではない……クロコやエナも同じく――そして、この国にいる全員が、体の重心を偏らせた。


 人間だけに留まらない。

 大地も、大樹も、国も。

 全てが横へ傾いた。


『うわぁあ!?』


 体がふわりと浮き上がり、例外なく全員が足場を失い、落下し始める。

 木々の密集度が高い森のおかげで大樹の幹を足場にすることができる。


 だが、運動神経が優れている者に限られる。

 国の女性や子供はしがみつくことで精一杯だ。

 落下すれば多く存在する大樹の幹に叩きつけられ、どこまでも落ちていく。


 森の広さはそのまま高さへと換算されてしまう。

 最悪、竜の背中から離れ、足下の世界から戻れなくなることだって……。


「姫様!」

「ディンゴ!?」


 手を伸ばし、アリス姫の指に触れたが、掴むことは叶わなかった。

 落下していくアリス姫に向かってディンゴを追い抜いたのは、アルアミカである。


「アタシに任せて!」


 同時に、


「逃がしてたまるか」


 と、フルッフが後を追いかける。


「あい、つ……! 魔法もなしに魔女と戦えるのかよ、アルアミカ……ッ!」


 任せてと言われたものの、加勢に行くべきだと飛び降りようとしたディンゴの背後。

 言葉はなかったが、呼ばれた気がした。

 チリッ、という脳髄に走る火花のような感覚が合図だった。


 剣を抜いて振り向き、迫っていた刃を受け止める。

 金属の衝突音。

 全体重を乗せた一撃が、足場にしている大樹の幹にまで衝撃を伝わせた。


 みしみしと、踏ん張った足が幹に飲まれそうな感覚を味わった。


「……クロ、コォ!!」

「互いの姫を守るため……本当の決着をつけようではないか……ディンゴォッ!!」



 この戦いで負けた方の魔女が、捕食される。

 それは、揺るぎない絶対のルールだった。


 ――タイムリミットが迫る。



 王族が、国を作るにあたって竜と交わした契約はこうだ。


 竜の背中で急成長し続ける植物の伐採。

 放っておけば植物が竜自身の体を締め上げるほどの脅威となる。

 同時に、猛烈な痒み、段階を踏めば痛みに変わる。


 一日でも欠かせば見ての通りの惨状だ(魔女による魔法で、成長が促進されたせいもあるが……)。


 竜は不快感を拭おうと体を横転させ、左右に振ることで、大地に背中をこすりつけて紛らわせようとする。

 巨大な体躯がそうも大きく動けば、いくら巨体を支えていた地面だろうともひびが広がり、最悪、できた隙間に落ちてしまう可能性もあり得る。


 なんとかしてやめさせなければ、背中にいる人間どころか、竜自身にも傷がつきかねない。


 ……竜と会話ができるのは王族だけだ――つまり、アリス姫。

 彼女が、竜を安心させに向かわなくてはならない。


「あぁっ!?」


 バランスを崩し、傾いた大樹の幹の上をごろごろと転がる。

 伸びた枝に背中を叩きつけながらもなんとか勢いが止まった。


「……行かないと。ずっと、ずっとわたしたちに居場所を分けてくれていたんだから……困っているなら、わたしが助けに行かないと!」


 これまで竜と話してくれていた国王はもういない。

 無理をさせないように、甘えさせてくれた女王も傍にいて手を握ってくれてはいない。


 ……一人。

 ディンゴや、アルアミカがいてくれているけど……もう、守られる立場ではないのだ。


 たった一人、残っている王族。

 守られるのではなく、守る側に立つ番だ。


 姫ではなく、王として。

 みんなに認められる王になるために!


 ……竜の動きを止める、ために、話をするには、近くに、行かないと――。


 しかし、左右に振れた動きのせいで右往左往し、現在地が掴めなくなった。

 どの方向へ向かっていいのかも分からない……、

 感覚を頼りに進んで竜の尾だった、となったら多大な時間を浪費することになる。


 こうしている間にも、巻き込まれた人々が竜の背中から放り出されてしまえば、二度と戻ってはこられないだろう。


 悩み、その場で動けなくなってしまったアリス姫に、


『……最後だからね』


 その声は、アリス姫には聞こえない。

 彼女はどうしてか分からないけど進むべき道が見えたその感覚を信じることにした。


 まるで光の軌跡が見えるように、入り組んだ森の先の道が、手に取るように分かった。



 走り出した小さな王の背中を見送る人物が…………二人。

 だけど影もなければ落下してくる木片さえも体には当たらず、すり抜けている。


『甘やかし過ぎじゃないのか?』

『……いいのよ。あなたも、これから先、傍にいられないのに、厳しくすることなんてできないでしょう?』


 男は、むう……、と返す言葉が出なかった。


『王としては、確かに未熟だけど、あの子には頼れる仲間がいる。だから、きっと大丈夫ですよ……ディンゴにも最後の挨拶を済ませたし、魔女の子も、アリスとディンゴ、二人を支えてくれそうだし……もう思い残すことはないわ』


『…………』

『ちょっと、どうして黙るのですか?』


『いいや、思い残すことはないなんてお前が強がるから』

『…………』


『アリスはもう行ったぞ。だから毅然としている必要はない。子供のように声を上げて泣いたっていいんだ……泣き虫姫様。あなたがそんなに強くなれたのだから、娘のアリスに心配はない』


『……………………う、ぁああ……っ』


 笑顔で見送り、向こうへ行くつもりだった。

 なのに、最後の最後で、緊張の糸がぷつんと切れてしまった。


『ごめん、ごめんなさい……っ、アリス……ッ、お母さん、死んじゃって、傍にいられなくて……ごめん、ねえ……ッ!』



「わたしは大丈夫」


 先へ進んだはずのアリス姫が足を止めて振り向いた。

 互いの姿は見えない。

 もし見えていたとしても木々に阻まれて姿は隠されてしまっていただろう。

 なのに、アリス姫はさもそこに両親の姿があるかのように答えた。


「だから、心配しないで。

 わたしは――私は、もう寂しい理由で泣いたりしないっ!!」


 ずずっ、と鼻をすすり、アリス姫が目的に向かって駆け出した。

 泣くのはこれで最後。

 心配させたままじゃあ、両親はきっと旅立てない。


「――強くなったって、証明しなくちゃ……っ」


 走りながら、ひうん、と聞こえた風切る音に気付いて振り向いた時、太ももをかすめた刃が足場にしていた幹に突き刺さった。


 一度立ち止まった――その僅かな時間を突いて、魔女フルッフが追いついたのだ。


「……アルアミカ、は……?」


 彼女はフルッフの相手を、していたはずだ……!

 やがて、フルッフが幹を伝ってアリス姫の前へ立つ。


「こっちの話でね。譲ることになっているんだ。――時間も迫っているし、この際、仕方がない……まずはきみから順位を奪うことが優先だ」


 ぎしぎしと周囲の大樹がしなり始めた。

 竜が再び、動き始めるようだ。


「……早めに奪っておかないと場所的に面倒なことになりそうだね……」


 足場にしている幹が徐々に斜めになっていく。


「今のぼくでも、きみから順位を奪うくらいは難しくないんだ」


 フルッフの厄介な点は周囲の環境が彼女の味方をすることだ。

 大樹を足場にしているこの場所だって、彼女の武器と言える。

 どこへ逃げようとも森、木、草……魔力があっても魔法が使えない、生粋の魔女ではないアリス姫には対応のしようがない。


 たとえ相手に魔法がなかったとしても、まだ幼いアリス姫では相手にならない。

 だからフルッフも、魔法を『手放す』ことができた。


 ……そう言えば、植物を使って私を捕らえようとはしてこない……、どうして!?


「攻めを捨てて守りに変えた」


 万が一のことを考え、フルッフは壁を一枚張っておいたのだ。

 これにより、フルッフが順位を奪い返される場合は、壁を取り除く行為が必須となる。


「……クロコじゃあ、ないぞ?」

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