第35話 開戦前――

 フルッフ自身は馴染めていないと思っているが、教室の隅にいて一言も発しない、いてもいなくても多分気付かない地味っ娘枠という意味では、クラスに馴染んでいる。

 誰もフルッフに話しかけようとしないのだから、周知なのだ。


 しかし新入りは別である。

 毎日、隅っこにいるフルッフを気にして、話しかけようと近づいてくるのは当然の対応と言えた。


「なに読んでるの?」

「え、えっ、あの……」


 ――小、説、です……、と呟いたものの、声が小さくて聞こえなかったようだ。


「アルアミカさん、彼女はあまり人付き合いは上手じゃないみたいだから……話しかけるのは……」

「そうなの? でも、寂しそうに何度もこっちを見てたから、てっきり仲間に入りたいけど勇気が出なくて足踏みしてるのかな、って思ったんだけど」


 ……み、見破られてる!?

 内心、心臓の鼓動が早まったが、


「来たばかりじゃそう思うかもしれないけど、彼女は本当に一人が好きなの。放っておいた方が彼女のためよ」


 以前から同じクラスの魔女がそう説得したことで、アルアミカがフルッフから遠ざかっていく。

 ……絶好の好機を逃したような、でもいなくなってくれてほっとしたような……こんなんだからダメなんだと分かっていても、再び本を読もうとする意識は変わらない。


 …………はぁ。


「……ムカつくのよ、あんた」


 すると、隣の席(机は個別ではなく、長方形の机を三人で並んで使っている。ちなみに新入りの魔女二人とフルッフが横並びである)にいた魔女が、フルッフにしか聞こえないほどの小さな声に調節して呟いた。


 彼女も同様にクラスで喋らない方で、親近感を覚えそうになったが、真逆のタイプだ。

 フルッフが望まない孤独なのだとしたら、彼女は望んだ孤高である。

 ただ群れたくない性格なのだろう。

 元々、このクラスへ堕ちたのも不満があったようだ。


「溜息ばっかり、毎日うじうじしやがって」

「…………っ」


 机の下で、誰にも見えない位置で、太ももが強くつねられた。


「やめて、さえも言えないのかよ」


 言えば、声を出せば、注目を浴びる。

 視線が突き刺さる……自分を見る目には必ず悪意が宿っていると思い込んでいるフルッフには、助けを求めることができない。


「……面白いな」


 不満を持つ魔女のストレスがどこへ向けられるかは、言わずとも分かるだろう。



 地獄の日々が始まった。

 魔女セーラに嫌がらせを受ける毎日だ。


 彼女も大きな仕打ちはしないように、上手く線引きしている。

 問題児を集めたクラスで問題が起きても学院側は大した対応もしないだろうし、呆れるだけで指導だって入れないだろう。

 良くも悪くも見捨てられているに近い。


 それでも嫌がらせが事の大きさで露見しないようにはしていた。

 フルッフが声を上げなければ、絶対にばれることはない。


「またですか?」

「…………ご、めん、なさい……」

「はぁ。あまり大図書館の本を粗末に扱われると困るんですけどね……」


 濡れた本、破かれた本、燃やされ、黒ずんだ本……これで五冊目だ。


「これ以上続くのであれば、あなたへの貸し出しを許可できなくなりますよ」

「そ、それは……」


 嫌だ。

 本は、物語は、フルッフにとっての、拠り所なのだ。


 教室で誰とも話せない自分を迎え入れてくれる防波堤。

 それ以外にも、引っ込み思案な自分では決してできないことを主人公たちがしてくれる。

 見えない景色を見せてくれる。


 勇気を貰える物語……。

 唯一の楽しみを、奪わないでほしかった。


「次は気をつけてください。大切に扱ってくれれば問題はないですから」

「は、ぃ……」


 消え入りそうな声をかろうじて絞り出し、振り向いたフルッフが立ち止まる。


「…………あ」

「困ってる?」


 たくさんの本を積み、両手で抱えている、魔女アルアミカがいた。


 最近は大図書館に通っているらしい。

 何度か、フルッフの姿を見たと言う。


「本を、読んでいる、姿を……?」

「うん。喜怒哀楽豊かなフルッフをばっちり」


 見られていた……!? 

 別に卑猥な本を読んでいたわけではないけど、感情の変遷を一通り見られていたとは恥ずかしい。


 彼女に見られているということは、他の人にも見られているということだ。


「……、き、気持ち悪がられてる……よね」

「そんなことない!」


 アルアミカが否定した。

 静かな大図書館に彼女の声が木霊する。


「気持ち悪いなんて、誰も思わないよッ!」

「あ、あの……!」


「誰が言ったの!? くだらないデマを流して陰でこそこそと、直接言えばいいのにッ、大丈夫だよ! アタシが解決してあげるから!」


「――う、うるさいですっ、大図書館なんだから静かにしてくださいッ!!」


 アルアミカに負けず劣らずの大声で、フルッフが叫ぶと、

 ぱんぱんっ、と掃除用のはたきを手に持つ担当魔女が引きつらせた笑顔を見せ、

 二人の真横に立っていた。


「――出てけ」



 大図書館には、しばらくは入らせてはもらえなさそうだ。

 アルアミカはなにか探していたようだが、結局見つけられなかったようで、がっくりと肩を落としていた。


 その後、二人は誰もいない自分たちの教室へ寄っていた。

 最初は玄関へ向かったのだが、フルッフの靴がなくなっていたのだ。


「どうして言わないの?」

「靴がなくても、別に……帰れます」

「帰れるとしても! ……嫌じゃないの!?」


 そんなの、嫌に決まっている。

 どうしてこんなに目に遭わなくちゃならないんだって、何度思ったことか。

 でも、原因なんて分かっている。

 自分の性格のせいなのだ。


 自業自得、とも言える。


「違う。原因は別にある」

「え……」


 アルアミカがゴミ箱の中から、捨てられていた靴を見つけて拾い上げた。


「声を出すのが苦手なことを利用して、ストレス発散の玩具にして遊んでる、歪んだ性格のせいよ」


 フルッフは一言も、嫌がらせの相手が魔女セーラとは言っていない。

 彼女は孤高ゆえに人と関わろうとはしないが、しかし女性にはない魅力を持っているので密かに人気である――、

 それに、フルッフとは違って、喋ってくれる。

 自発的な積極性がないだけで、話しかけられれば答えるのだ。

 だから、まさか彼女が陰湿な嫌がらせをしているとは誰も思わない……はずなのに。


 アルアミカは知っていた。


「これは、誰が見たってセーラが悪いって思うよ」

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