第32話 処刑開始

 ……いつまで逃げているつもりなの?

 ……目を逸らしたからと言って、現実はなにも変わらないのに。

 ……戻ってきてくれることは、もう二度とないのだから。




「そう……――良かったね、アリス!」


 嘘を吐いていたことを怒りもせず、これまで大切に守ってくれていたアルアミカが変わらずぎゅっと抱きしめてくれた。


 だから分からなくなった。

 見た光景と、これまで接した感情が、まるで別人のように思えたからだ。


 途中までは確かに記憶を失っていた。

 アリス姫が記憶を取り戻したのは、途中から。


 全てを思い出していた。

 だけど、同時にアルアミカの優しさ、母様と慕う自分をまるで本当の子供のように接してくれた記憶も共に同居する。

 相反する感情は、いつしかアルアミカの人間性に包み込まれていた。


 安心した。

 それこそ、本当に、母様と一緒にいるような、幸せな時間だった。


 最初はあくまでも代替物であった。

 けれど途中から、彼女は確かに母親だった――。


「記憶が戻っているなら丁度いいね。

 これではっきりするじゃないか。きみの両親を殺したのは……一体、誰だった?」


 周囲からの視線が集まる。

 アリス姫の言葉一つで今後の展開が変わるのだ、彼女も分かっていた。


 一人の人間の命が懸かっている。

 であれば、安易に事実を伝えるのは躊躇ってしまう。


 だが、言葉でなくとも、感情の機微で分かる者は分かる。

 両親の死を目の前で見ている……犯人と相対している。


 アリス姫自身も、犯人に殺されている。

 ……本能に刻まれた恐怖は騙せない。



 炎の中に佇む魔女。

 血を浴びたような真っ赤な髪。


 ……父上、母様。

 二人の苦しむ表情が思い出された。


 近づいてくる者は誰だ?

 誰だった?


 目深の帽子を被り、口が裂けたように不気味に笑う、彼女の顔は――、


「アリス?」

「いやぁあ!?!?」


 アリス姫が、伸ばされたアルアミカの手を払った。

 あっ――、とアリス姫が自身の失敗に気付いたが、もう遅い。


 彼女を見て怯えた様子を取れば、言わずとも答えが出たようなものだった。


「――


 ぎぎぎ、と軋んで開きにくい扉のように振り向いたアルアミカが見たのは、

 抜いた剣を持って佇む、軍衣を纏う青年の姿だ。


「……ディンゴ」

「少しは期待していたんだ、君はやっていない、なにかの間違いだと。姫様を守ろうとしてくれた君を、姫様でない別の誰かを、初めて信じてみようと思えたんだ――」


 言葉はもう通じないと悟ってしまった。

 どれだけやっていないと言葉で言い張ったところで――たとえば泣き落としを画策したところで、彼はきっと構わず剣を振り下ろす。


 記憶が戻り、事件当時を思い出したアリス姫が怯えたのであれば、怪しく思えてくるのは自分の記憶だ。

 たとえば誰かに改竄されている、自我がない内に自身が手を染めていたのであれば、違うとも言い切れない。


 魔女……魔法。

 ――あり得ない話ではない。


 ……もう、自分で自分が分からなくなった……。



「…………計画通りに、あいつを殺せ」


 フルッフの言葉をきっかけに、武器を持つ男たちが駆け出した。

 追い抜かれていくフルッフはアルアミカに背を向け、容赦なく繰り広げられる凄惨な様を見ないように目を伏せる。


 ……これでいい。

 竜の捕食から逃げるためには、必要なことだった。


 生きるために他者を殺すのは、仕方がないじゃないかッ!



 抵抗なく叩き伏せられたアルアミカが連れていかれたのは、大火事の後でも無事に残っていた断頭台だった。


 以前、ゆらゆらと揺れて固定されていなかった、ロープで吊された刃はかっちりと左右の窪みにはまっており、設置した首めがけて真っ直ぐに落ちていくだろう。


 断頭台で処刑する、というのは国民の総意だった。

 傷の手当もされず、彼女の体は左右から二人の男の力で持ち上げられている。


 背中の深い傷から流れる血が、つま先から滴り、地面に等間隔で印をつけていく。

 叩き伏せられる際に刃傷は受けていないものの、どさくさに紛れた殴打を何度も受け、アルアミカの意識も朦朧だ。

 こうして持ち上げられていなければ、歩くこともままならない。


「ディンゴッ、どうして! どうしてアルアミカを助けようとしないの!?」

「……王族殺しの犯人ですから。野放しにはできません。次、いつあなたを襲うか分かりません……だから、始末しておかなければならないんですよ」


「……本気で言ってるの? ねえ、本気でッ!! おまえが役に立たない時、わたしを守ってくれたのは、アルアミカだったッ! なにかの間違いだよっ、間違いじゃなくちゃ、おかしい……っ。姿形は確かにアルアミカだったけど、絶対に違うんだッ!!」


 断頭台を見上げる位置で、暴れるアリス姫を抱えるディンゴ。


「下ろせ、わたしが、助ける! おまえが動かないなら、アルアミカは、わたしがッ!」


 ディンゴの胸がぽかぽかと叩かれるが、少女の力では彼は微動だにしない。

 もうっ、とやけくそに放った拳がディンゴの顔面に突き刺さった。


 胸とは違い、微動だにしないわけにもいかず、頭が後方へ反った。

 アリス姫も驚いて暴れる体を止めるほど、想定外だったらしい。

 それでもディンゴは取り乱さない。


「あなたを守るためです」


「……わたしを、守るため……? そのために! たった一人の女の子を見殺しにしてもいいの!? それで自分を許せるの!? 後悔はしないの!? おまえの中に、まともな正義はないのか!?」


「……どうしてそこまであいつを信じられるんですか。あいつはあなたの母親と父親を殺した犯人でしょう」


 アリス姫の言葉が詰まったのだから、そこに間違いはない。


「償って、くれればいいのに……なにも殺すことなんてないッ!」

「二人を殺されて、あなたは許せるかもしれないですけど、許せない者は大勢いるんですよ。人の上に立つあの二人は、あなただけの両親じゃない」


「わたしの母様と父上だ!」


「僕の恩人でもあるッ! 色々なことを教わったんだ、幸せに暮らせていたのはあの人たちが竜と契約し、国を整えてくれていたからだ……僕だってねえ、あなた以外が殺されて悲しいと思う感情はあるんですよッ!!」


 アリス姫が最優先であるだけで、他人に興味がないわけではない。

 大切な人が大事に抱えているものには、ディンゴだって意識をする。


 だから分からなくなった。


 アリス姫がここまで想うアルアミカの首を、このまま刎ねてもいいものか。

 だけど、アルアミカを助けてしまえばアリス姫が捕食される運命にある。

 アリス姫かアルアミカ、フルッフの誰かが、必ず竜に捕食されるルールに則らなければならないのなら……やはり捕食されるべきはアルアミカだろう。


 フルッフに、犠牲になってくれ……、とは言えない。

 彼女が実情を教えてくれなければ、ディンゴは前に進めなかったのだから。


「これでいいんです……間違ってなんかいない」

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