第30話 魔女と騎士

 アリス姫はアルアミカの話をただのお伽噺として聞いている。

 まさか現実に起こり、魔女たちを苦しめているとは思っていない。


「ねえ、アリス。あなたならどうする? 誰か一人が必ず犠牲になってしまうルールの下で、それでも全員が救われる幸せな結末を、どうしたら作れると思う?」


 そんなもの。

 あるわけがな――、



「……竜のみんなに、食べないでって、おねがいするしかないと思う」



 ……………………ははっ、とアルアミカが笑う。


 ――そうだ、そういう答えが欲しかった。


 アルアミカにも、フルッフにも、絶対に出せない答えである。


「でもね、アタシたちには無理なんだよ……竜と話すことなんてできない」


 捕食者と食糧の関係だからではなく、竜と直接会話ができるのは王族だけなのだ。

 竜の背を間借りし、国を作る。

 その際に必要な契約を交わせるのは数千年前から継承されてきた血筋の者だけだ。


 だから、王族がいなければ国は崩壊する。

 言葉を交わせない人間を背に乗せておく奇特な竜などいない。

 竜の矛先は、きっかけがあれば簡単に人に向くのだから。



【いつまで逃げているつもりなの?

 目を逸らしたからと言って、現実はなにも変わらないのに。

 戻ってきてくれることは、もう二度とないのだから】



 町にいる人々のために食糧を調達しに出たエナは、果実が実る大樹の前で立ち止まる。

 ばったり、と。

 男たちが血眼になって探している赤髪の魔女と出くわした。


『あ』


 咄嗟にエナが剣に手をかける。

 魔女の背後には、アリス姫も……。


「……え、姫様!?」

「あぅ、エナ……」


 アリス姫はアルアミカの背に隠れ、「母様……」と上目遣いで頼った。


「……母様って、どういうこと……? ――姫様になにをしたのよ!?」


「待って待って……ッ、あなたは、騎士、だよね? 

 だって剣を腰に差してるし、ディンゴと同じ服だもの!」


 ディンゴの名が出たことをきっかけに、エナが剣を抜いた。

 彼と同じ、細く、ただ少し短い、女性でも取り回しやすい剣である。


「……どういう関係なの?」

「ア、アタシとアリスは、友達っ、友達だから! 母様って呼んでるけど違くて……」


 その通りなのだが、記憶喪失ゆえにアルアミカを母親と思い込んでいるアリス姫には深く傷がつく言葉である。


「母様ぁ……」

「アリス!? 嘘嘘、アタシは母様よーって、なにこれもうっ、誤解ばっかり!!」


 頭を抱える魔女に、エナが訂正を入れた。


「違うわよ、私が聞きたいのはあんたと、ディンゴの関係よ」

「……? ディンゴ、との?」


 魔女はひたすらに悩んだ後、エナに向かって逆に質問した。


「……なんなんだろう?」

「知らないわよ、こっちが聞いてるんだから」


 だが、深く入り込んだ関係性でないのは明白だった。

 相手自身からの思い入れがない限り、ディンゴとの関係性を聞いた場合、返ってくるのは大体こんな感じの返答である。

 相手からなんとも思われていないと自覚していれば、知り合い以上、友達未満。

 誰もがその程度の関係性に落ち着く。


 ディンゴからの最低限の好意さえも感じられなければ、友人とも言いづらいためだ。

 それでも言い張るなら、女性側からディンゴに気がある証拠であり、エナにとっては敵対証明となる。


 そういう基準では、アルアミカはエナの網から逃れられた、のだが……。

 それ以前に彼女は、王族殺しの犯人なのである。


「……どうしてあんたが姫様と一緒にいるのよ……ッ、ディンゴが付きっきりで看病をしていたはずなのに。あいつが、姫様を手放すはずなんてない……っ!」


 エナは、フルッフに手を貸す男たちとは別で、町の修復を手伝っている。

 入り組んだ事情は知らない。


 理解しているのは王族殺しをおこなった犯人が今、目の前にいる、という認識だけだ。

 そして、ディンゴからアリス姫を奪ったのだと、決めつけている。


 ……彼が、最も大切にしている人を、譲るとは思えなかった。


 自分にさえ恐らく手放して任せてはくれないだろ……、

 なのに、知り合ったばかりの魔女に手渡すとはどうしても思えなかった。


 思いたく、なかったのだ。


「ううん、彼から託されたのは本当。切羽詰まった状況だったから彼にとっても不本意だったとは思うんだけど……、この子を守ることを優先させた結果なのよ」


「それはあんたが追われているからでしょ。理由を作ったのは誰? あんた自身じゃないの。私たちの国の王族に手をかけなければ、姫様が危険に晒されることもなかったッ!」


「……アタシは殺してない」

「言い訳も、やむにやまれぬ事情があったとしても、後で聞くわ。……今はあんたを捕らえて姫様を保護する。騎士として、見逃せるはずがないわ!」


「騎士として……ね。組織に飼い慣らされた犬……って言っても分からないわよね」


 その通りにエナもぴんとこなかったが、蔑称であるのは魔女の言い方で分かった。


「騎士としてでなく、あなた自身は王族殺しをアタシに決めつけて捕らえることが、本当に正しいと思ってるの!?」


 騎士ではない、エナ自身の感情に訴えられている。

 血の気の多い男たちは冷静でない。

 フルッフ、もしくは別の魔女の手先だとすれば、アルアミカが犯人であると言いくるめられている可能性が高い。

 彼らに説得を試みたところで一蹴されてしまうだろう。


 だが、エナは違うかもしれない、と期待させてしまったようだ。

 確かに、事情を知らないエナは『王族殺し』『アリス姫を攫った』という理由において、魔女を捕らえるという意志は他と比べて弱い。

 こうしていざばったりと出会っても、言葉を交わす余裕があるのだから冷静ではある。


 だけど、譲れないものがあるという点では、ディンゴと同等の感情を持つ。

 アルアミカは間近で見ていたはずだ、ディンゴの執着を。


 忠誠を――意志の強さを。


 心の強さだけを見るなら鏡映しのように共に育ってきたエナもまた、柔軟とは程遠い想いが秘められている。


 エナの視点から見れば、勘違いしても無理はない。

 アリス姫を預けた時点で、魔女アルアミカは、ディンゴの信頼を、僅かでも勝ち取っているのだから。


 ……私が、手に入れられないもの。

 いつか、時間がかかってもいい、きっと何十年後、老人になってもいい……死ぬ前に振り向いてくれるのであれば幸せだと思っていた。


 彼は誰にもなびかない、という信頼。

 エナの勝手な思い込み。


 ――ディンゴだって、誰かに心を許す時だって、あるのだ。


 それが自分でないことが、許せなかった。

 悔しかった。

 ――悲しかった。


「……騎士として、それで蓋をしていたのに……、開けたのはあんただから」


 騎士ではない、エナ自身は。

 王族殺しの犯人よりも、ディンゴを奪いかけた女の方が許せなかった。


 それが同一人物であるならやることは変わらない。

 たとえ目の前の彼女が実は王族殺しの犯人でなかったところで、エナが許せない事実が変わるわけではないのだから。


「――あんたなんかに、ディンゴを渡してやるもんかッ!」

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