第24話 騎士の進軍

「お前……」


 彼女は良いことをした、とでも言いたげな満足そうな表情だった。

 彼女からすれば意地を張って言いたいこともやりたいこともできない相手の枷をはずしたつもりなのだろうが(もちろん彼女の行動によって救われた人物も数知れずいるが)、ディンゴにとっては固く結んだ覚悟を簡単に緩まされたようなものだった。


 余計なことをしてくれた。

 たとえ嫌われても……、いいだなんて、言い難くなってしまった。


「……手伝え」

「え、なにを?」

「僕をここから出すために!」



 その時だった。

 遠くから聞こえてくる進軍。

 敷き詰められた葉を踏む足音、枝を折り、根を斬り、ツルを引き千切る乱暴な道程の確保の仕方は、好戦的であると感じられた。


 フルッフではない。

 彼女なら、まったく逆に、音も立てずに近づいてくるだろうから。


「……ねえ母様、怖い……っ」


 ローブの端をつまむアリス姫の気持ちがアルアミカにも伝わる。

 いや、逆だ。

 アルアミカの不安がアリス姫に伝わってしまっているのだ。


 親が平気な顔をしていれば子供も大丈夫だろうと思うはず……、

 これは明らかにアルアミカの失敗だった。


 もちろん、できるだけ冷静に努めていた。

 が、アリス姫は彼女が隠していた不安を読み取った……。

 感情を隠し切れるほど、アルアミカは器用ではない。


 腹の探り合いを自覚なく最も苦手としている性格なのだと、彼女を見る誰もが理解しているくらいだ。


 ……逃げる? 


 でも……。


 棺桶の中に収まるディンゴを、置いては行けなかった。

 ……フルッフとだって、こうして離れて、決裂が起きたんだから……。

 繰り返さないためにも、決して、仲間は見捨てない……!


「――アリス、手伝ってくれる!?」


 迷う素振りを見せていたアルアミカから届いた、迷いのない選択にアリス姫が頷いた。

 二人で木製の棺桶からディンゴを救出しようと、隙間に指を突っ込み、左右に引っ張って穴を広げようとする。


「……なにをしているんだ…………っ」

「逃げるにしても、あなたをここに置いて行けない! 待ってて、すぐに助けるから!」


「そんなことをしている場合じゃないだろうッ! 聞こえないのかっ、こっちへ向かってきている足音が! お前を追っている魔女の仲間だったらどうする……ッ、また、姫様を巻き込むつもりなのか!?」


「でも、この子をあなたから、もう奪えないじゃない!!」


 二度と離さないと誓ったはずだ。

 手元を離れたらいつ息絶えて、倒れているか分からないのだから。

 この手で守らなければ、安心なんてできなかった。

 もう、あの真っ赤な夜のような苦しい想いはしたくない――。


 でも。

 自分の都合で姫様を危険に晒しては意味がない。

 手を握っていられても、そこにいると安心を得られても、

 握る手から先が消えてしまえば、守れているとは言えないのだから。


「行け……」

「え……」

「行けぇえええええええええええええええええええええッッ!!」


 びくっと肩を震わせ、躊躇いを見せたものの……、

 ディンゴの叫び声に背中を押され、アルアミカがアリス姫を抱えて走り出した。

 遠ざかる足音。

 そして、近づいてくる新たな複数の足音。


「今っ、音が!」

「向こうに人影が見えたぞ!!」


 タイミングはぎりぎり……、見られてしまったようだが、足音の聞こえ具合から追っ手を撒けない距離ではなさそうだ。

 逃げたアルアミカを追う者とは別に、残った者たちは周囲を調べるため、散り散りになっていく。


 八方に足音が遠ざかる中、当然、ディンゴの元に近づく足音もあった。

 ディンゴがいる棺桶に、ガッ、と外側から衝撃が加えられた。


 隙間から差し込まれたのは、刃だ。

 太く大きな剣の切っ先。


 ディンゴの眼前でぴたりと止まり、剣が真横へ動いた。

 力強く、棺桶の木枠を破壊し、彼の上半身を覆っていた蓋が放物線を描くように森の中へと消えていった。


 大樹に激突する音が、見えない場所から薄らと聞こえてくる。


「無様な姿ではないか、ディンゴ」

「…………誰だ?」


「なッ、お前は……ッ。こんな時でも私のことなど眼中にないと言いたいのかッ!」

「いや、そうじゃなくて。……本当に。――別人かと思ったんだ」


 見た目は変わっていない。

 両手でかき上げたような青髪と、ディンゴとは頭一つ分の違いがある高身長。


 ディンゴが持つ細い剣とは対照的な、太く大きな、取り回しにくい剣を好んで使っている。

 騎士クロコ……、間違いなく本人のはずなのに。


「なんだか、気持ち悪さがなくなったみたいだ」



 騎士クロコの周りにいたのは、町の男たちだった。

 妻と子供を持つ、戦いを義務づけられていない一般人。

 なのに彼らが武器を持っているのは、日常を脅かす敵が現れたからだ。


「ディンゴがいれば百人力だな。期待してるぜ、英雄さんよ」


 長いこと棺桶に収まっていたせいか、筋肉が固まってしまって動きがぎこちなくなる。

 そんな彼の体をばんばん叩く男たちとは、幼少の頃からの付き合いだ。


 入れ替わりでディンゴの体を叩いていく(男たちなりの挨拶代わりだ)彼らを鬱陶しいとは思いながらも、邪険にする気はまったく起きない。


「僕は英雄じゃないって何度も言ってるだろ」

「そうだな、お前はまだ英雄じゃない。これからの期待を込めて言ってやってんだよ」


 一人の軽口に周りの男たちが笑い出した。


「……まあ、最強と言われるよりはマシか」

「その最強は一体どういう基準で決まったんだい?」


 男たちの視線がはずれた直後、大樹に背を預けていたディンゴの隣に、音もなく立っていたのが、魔女フルッフだった。

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