第21話 動き出す状況
「フルッフ……?」
ディンゴの叫び声が、彼女をここに呼び寄せた。
方向感覚が狂う森の中では、音が頼りになる。
聞こえたのが少しでも遅ければ、彼女はまったく別の方向へ進んでおり、こうして間に合わなかっただろう。
届きそうだった魔女の指先が、アリス姫の首元から離れた。
「見つけた」
しかし、本来の目的において、対象がすり替わってしまっている以上、彼女でなくともアリス姫で代用できてしまう。
のだが、それでも、魔女アルアミカにこだわるのは既に口にしているように、魔女フルッフの個人的な恨みであり――復讐である。
裏切り者。
対して、魔女アルアミカの方は温度が違う。
まるで、遠い昔にはぐれて見つけられなかった旧友と思わぬところで出会った……そんな風に、瞳に涙を溜めていた。
「本当に、フルッフだぁ……っ!」
「白々しいね、まったく」
黒髪の魔女は、苛立ちを隠しもしない。
「それも演技かい? そうやって人の信頼を勝ち取っては、いらなくなれば捨てるんだ」
そうやって、魔女フルッフは捨てられた。
簡単に人を信用してはならないと知れただけでも、裏切られただけの価値はあるが。
だとしても、許すかどうかは別の話である。
「捨てただなんて……違うよ、聞いてっ! アタシはずっと――」
「今回だって信頼を得て踏み込み、この二人を捨てたんだ。きみにあるはずのものがなくてこの子にないはずのものがある。……どうやったか知らないが、魔女の権利を見ず知らずの女の子に移譲させるなんて離れ技、思いつきもしなかった……」
「ちがっ、だって、アタシはこんなことになるとは予想もしていなかったんだからッ!」
「なにをしたらこんな副産物ができるんだ。
人を生け贄にして逃げ出そうと企まなければ、こんな結果にはならないはずだろう!」
かつてはフルッフも、生け贄……、マイルドに言い換えれば囮にされ、アルアミカにまんまと逃げられた。
その後は大変だった。
なにかが切れてしまわなければ、フルッフはその場でルールに則り、敗北していただろう。
この場には立っていられなかったはずだ。
「この子を、助けたかった」
「はあ?」
「……大図書館で見つけた、蘇生魔法を試してみたの」
「な……ッ、あんた、禁忌を破ったのかッ!?」
「――うん。こんな状況に放り込まれて、まだ禁忌を守ろうなんて思えないよ」
アルアミカの中にある、人としての禁忌を破る気はない。
あくまでも、破っても構わないと振り切ったのが、人ではない領域の禁忌だ。
「ただ純粋にこの子の命を取り戻したくて……。
まさかアタシが居座っていた立場まで移譲するとは思わなかったけど……」
「……だとしても、だったらどうしてこの場にいなかったんだ……この子に押しつけるだけ押しつけて、後は逃げようとしたんじゃないのか!?」
「それは……ッ」
一旦はその行動に出ているため、アリス姫への罪悪感からか反論ができなくなった。
認める。
全てを放り投げて逃げようとした。
一人だけ幸せを摑もうと知らん顔で仲間たちから目を背けようとした。
「でもできなかった……だから、こうして戻ってきた」
「罪悪感から?」
アルアミカは首を左右に振った。
「……それもあるけど、やっぱり……わざとじゃなくても責任はアタシにあるから、せめて隣にいてあげたいと思ったんだよ」
一人でいる不安に押し潰されそうになった経験がある。
近づく者がみな魔女の手先なのではないかと疑い続けることで疲弊する苦しみを、誰よりもよく分かっている。
心を許せる仲間がいれば、どれだけ楽だったか――だからアルアミカとフルッフも共に行動していたはずだ。
なにもなければ、今もずっと一緒にいたのかもしれない――。
「一人でいて、恐かったでしょ?」
「いつ裏切られるか分からないのに、他人を手元に置いておくほど恐いものはないね」
……フルッフは変わってしまった。
変えたのは、一体誰だ?
言葉遣いも変わり、攻撃的になってはいるが、その積極性においては皮肉にも前進や成長と言えるものだろう。
こんな過程を辿らなければ頑張ったねと褒めてあげたいくらいだった。
……ダメだ、一緒にいた時の癖で、アルアミカはまるで保護者のようだった。
そういう態度が、フルッフにとってはいちいち勘に障るようだ。
「お願いフルッフ、聞いて! きっとフルッフは勘違いをしているはずだから!」
「嫌だね、もう、お前なんかに丸め込まれたりはしない!」
めきめきみしぃ! と地面を割って出てきた太い根が、アルアミカたちを押し上げる。
滑り落ちそうになったアリス姫の手をぎりぎりで掴むが、引っ張り上げられずに共に落下してしまった。
いつもなら魔法で落下速度を減速させるのだが、魔法を失った今のアルアミカは重力に従い落下するしかない。
人間と同じ。
なんて不便なんだろうと今更に痛感する。
巨大な根の上に背中を叩きつけ、何度もバウンドしながら転がり落ちる。
落下位置には落ちた葉が敷き詰められており、クッションになってくれたようだ。
アリス姫を抱きしめる。
転がり落ちている際に脱げた帽子は、魔力を探知して遅れて追いつき、アリス姫の頭に被さった。
「大丈夫……あなたは、アタシが守るから……!」
罪悪感なんかじゃない、責任だから、なんかじゃない。
そんな義務のような、やらなくちゃいけないからやる、なんて、仕方ない動機で動いているわけじゃない。
そんな動機であれば、もう逃げるタイミングなんて星の数ほどあっただろう。
それでも彼女がこの場にいて、未だにアリス姫を守ろうとするのは簡単だ。
……なんでこの子が傷つかなくちゃならないの。
どうして。
……親を失い、国もなくなりかけて、その上、命さえ奪われるなんて……そんなの。
「逃げなくても、黙って見ているだけなんて、できるわけがないでしょぉがッ!!」
すると、
ゴッ、ガッ、と重量のせいか速度が増していき、早い速度で根の上をバウンドしながら落ちてくる木の塊があった。
アルアミカの真上を通り過ぎ、大樹の幹に叩きつけられ、そのままふかふかの、積み重なった葉の上に着地した……まるで突き刺さったかのようだ。
内側から叩くような衝撃が加わり、縦長の塊が横倒しに倒れる。
それでも、内側からの音は止まなかった。
落下の衝撃で歪み、僅かに開いた隙間から手が出てきた。
もう片方の手も飛び出し、外側から歪みを大きくさせようと左右に引くが、木の塊はびくともしないようだ。
「あっ、もしかして――」
アルアミカが近づき、歪んだ隙間から中を覗くと、
「やっぱり! こんなところにいたの!?」
「――これ、こじ開けるの手伝ってくれ!」
木枠の中にいたのはディンゴだ。
あれだけ熱心にアリス姫を守っていながら、どうしてあの場にいなかったのか疑問だったが……フルッフによってこうも閉じ込められてしまえば助けたくても助けられない。
アルアミカが手伝うも、やはり隙間を広げられても数センチだ。
人が抜け出せるほどの隙間を作ることは難しい。
……道具でもあれば……。
ディンゴの腰には剣がある。
しかし狭い空間に閉じ込められてしまっているので、鞘から引き抜く空間がないのだ。
「お前の魔法でなんとかできないのか!?」
「だから、今のアタシは魔法が使えないのよッ!」
木製の棺桶越しに言い合う二人の背後、敷き詰められた葉を踏みしめる音が聞こえた。
フルッフが追いついたのだと振り向いたアルアミカは、緊張して肩が強張ったが、正体を見て一気に体が柔らかさを取り戻した。
髪の毛と肩に葉を数枚乗せながら、目をごしごしと擦る平和の象徴。
アリス姫が、目を醒ました。
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