第20話 魔女が持つ刻印
「まるで別の魔女を知っているかのような口ぶりだね」
彼女の片目には、ガラスがはめ込まれた丸い鉄枠がかけられていた。
魔女……知っていると言えば、知っているが……、だからと言って詳しいとは言えない。
「わざわざ実を獲るのに苦戦してる君に声をかけたのも、少し、訊ねたいことがあったんだ。手伝った報酬として一言二言知っていることを教えてくれるだけでいいのだけどね」
「魔女の事情に踏み込む気はないけど」
「そこまで期待はしていないよ。これまでに何十人と訊ねてみたけど一人も知らなかったんだ……そんな時に、きみを見つけた。質問するよりも前にぼくを魔女だと見抜いたのはきみが初めてだったんだ、どんな小さな情報でも、前進はできる」
確かに、言葉は冷静さを醸し出しているものの、姿勢は前のめりだ。
気付けばディンゴのすぐ近くまで、彼女は自覚なく寄ってきていた。
「アルアミカのことを知っているかい?」
「アルアミカ、かどうか分からないけど……赤髪の魔女なら知ってる」
本当かい!? と遂にはディンゴの服に指を引っかけ始めた少女を引き剥がす。
「落ち着け! 確かに、知ってはいる……ついさっき、と言うには時間がだいぶ空いてしまったけど……それ以降、はぐれた僕にも行方は分からない。
君も、あの魔女がどこに行ったのか訊ねたいんじゃないのか?」
「そうなんだ、すぐにでも合流がしたい」
彼女の目的が分かった。
しかし、ディンゴは力になれそうにもなかった。
そもそも存在を知っているというだけで魔女アルアミカの趣味嗜好や行動範囲、目的を把握しているわけではない。
目の前の少女の方が、旧知というだけあって詳しいだろう。
希望を見たような眩しい表情を浮かべる少女には悪いが、きっと前進したように見えても実際は前に進めていないだろう。
この場の近くに、少し前にいた、となれば痕跡があるかもしれないが……。
「あ」
と声を上げると、
「なに!?」
と少女が詰め寄ってくるが、違う、そうじゃない。
あの魔女について重要ななにかを思い出したわけではない。
目の前の少女が期待するようなことはなに一つ思い当たらない。
ディンゴにとって、少し引っかかった部分だ。
「あの魔女が現れて、まず僕たちに要求したことなんだが……『助けてほしい』って」
「助けてほしい……」
「なにに追われているのかは知らないが、あまり僕たちを巻き込まないでほしい。
こんな状況の上に、さらに君たちの事情に巻き込まれて追い打ちをかけられたらたまったもんじゃないからね」
「……至極当然の言い分なのに、酷く冷たい人間に見えるというのは損だね。そうやってアルアミカからの要求も蹴ったのかい?」
「ああ……いや、僕には関係ないが、国王が魔女となにか契約を交わしていた。
まあ、国王が死んでしまった以上、その契約も意味がないが……」
「もしも、アルアミカがきみに再度助けを求めてきたらどうするつもりなんだい?」
助けてほしい、と。
そう言われたのであれば、きっとこう返すだろう。
「助けてほしいのは、こっちも同じだ」
「ふふふっ、それもそうだよね」
幼さに不相応な喋り方ではなく、彼女は年相応な笑みを見せた。
「助けを求めたくても全員が同じように助けを求めてる状態だ。だったら自分でどうにか助かるしかない。前へ進むしかないんだ。間違った選択をしようが、がむしゃらに助かろうと行動を起こすしかない。人に頼る余裕があるなら自分で動いた方が早いだろ」
今のディンゴにとっては頼る、という行為が不安の源になっている。
自分はどうなってもいいが、アリス姫だけは自分の手で守らなければ気が済まない。
人に預けるなんてあり得ない。
目を離すなんて最悪だ。
だからこそ、たった数メートルの距離であろうとも、背負ったまま大樹を登って実を獲りに向かったのだから。
背中に体温を感じていられる時間が、彼を平常心にさせている。
「背中の子は、まさか死体じゃないだろうね……」
「なんだよその発想は……。いや、こんな状況だとおかしくはないのか?」
日常と非日常の差が分からなくなってきていた。
「生きてるよ。まだ目を醒まさないだけだ」
「……へえ。あ、妄想とかじゃないんだよね?」
死を受け入れたくなくてずっと眠っているのだと思い込んでいるだけ、とか。
彼女はそう言いたいのだろう。
「もしもそうなのだとしたら、妄想なのか? とは聞いても意味がないだろ。
妄想していることを認めていないんだから」
「それもそうか」
すると、少女の視線に不純物が混ざり込んだことをディンゴが感じ取った。
敵意とまでは言わない。
彼女がディンゴ……ではなく、アリス姫に抱く、違和感だ。
「一つ、ぼくたち魔女の事情を、きみは知らない……ってことでいいんだよね?」
「知らない。知ろうとも思わない。
言ったはずだ、これ以上厄介なことに巻き込まれたくはないって」
「だよね、きみの態度は明らかだ。分かりやすく守りたい対象が一人に絞られている時点でそれ以外を切り捨てる現実的な思考の持ち主だというのは分かった。だからこれは、意図的にはめられた、と答えを出すしかない……なんというか、うん。
単純にきみは、きみたちは運がなかった――それとも当然の代価なのかな?」
少女が手を伸ばし、その行き先がアリス姫と分かった途端、ディンゴが剣を抜いた。
が、足、腕が、成長した木々のツルや根によって固定されてしまっていた。
もしも切っ先が折れていなければ、剣は彼女に届いていたが、固定された腕で動かせる射程距離内に、少女はいない。
まるで植物たちが少女――魔女に手を貸すように、ディンゴを拘束し始める。
「魔法、か……ッ!」
「悪いようにはしないよ」
彼女の指先がアリス姫の顎に添えられ、ぐいっと上へ向けられた。
ちらりと見えていたアリス姫の首元が、広く見えるようになる。
「……分かり切った質問をするけど、この子は元魔女ではないよね?」
「姫様はこの国で生まれてこの国で育った生粋の王族だ。魔女なんかじゃない!」
それを聞いて、魔女がローブをはためかせ、自らが身につける制服……黒いスカートをたくし上げて大胆に太ももを見せた。
慣れていないようで、無表情を通しているものの顔は少し赤い。
「こ、この刻印が、魔女の証なんだ……。それが、その子の首元にもある」
ディンゴは根とツルに拘束されているため、首が回せず確認ができなかった。
「これはどういうことかな?」
「し、るか……よ……。お前らが、なにかをしたに、決まってる!」
「そう、だからぼくは、はめられたね、と言ったんだ」
誰に? 思い当たる人物は一人だけだ。
「きみたちはアルアミカに利用されたんだよ」
「利用……だって?」
「あいつからなにをされた? なにを施された? 美味しい話はなかったか? それにまんまと乗ったのは、どこの誰なんだ?」
未だにディンゴは、はめられたと言ってもなにをされたのかは分からない。
だが、アリス姫に限定して危機が迫っているというのは分からないなりに気付く。
「――姫様に、触るなッ!!」
「悪いけど、ぼくにも時間がない。
こっちも命が懸かっているのでね、ルールに則り、この子から順位を奪わせてもらうよ」
「……それ以上手を伸ばせば、殺すぞ」
「身動きが取れないのに凄まれてもね。ただの人間が魔女に勝てるとは思わないことだ」
ブチブチ、と引き千切られるツルが足下に落ち、固定されていたアリス姫が支えを失って地面に倒れた。
みし、めきぃ、とディンゴが力で拘束を振り解こうとするが、あと一歩のところでさらに成長した植物によって阻まれる。
これまで以上に拘束され、まるで棺桶にでも入っているような閉塞感だ。
「だから、傷つけようだなんて思ってない。この子の体調がこれ以上悪いことにもならないしね。ただ、取り巻く環境は切羽詰まったものになるだろうけど……なに、猶予はまだある。
期日は今日、日を跨ぐ瞬間だ」
「お、まえぇぇえええええええッ!!」
「恨むのなら、ぼくと同様にアルアミカを恨むことだね」
魔女の指先が、アリス姫の首元にある刻印に触れる瞬間――、
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