第19話 二人目の

 もしも、自分でさえ脇目も振らずに、たとえ大衆の面前だろうと恥も外聞も関係なく吐いてしまうような捕食の恐怖に、これから小さな少女が襲われるのであれば。


 なにも悪いことなどしていないのに、生まれた時から定められた運命に従い、使い捨てのような扱いを受けていた責務を他者へやっと押しつけられたのだとしても。


 願い続けた幸福が目の前にあり、明確な線引きの向こう側へ足を踏み出せば、全てを忘れて新天地へ渡ってしまえば――このまま逃げ延びることができたとしても。


 ……それでいいの?


 自分が苦しまなくなった、だけど問題はなにも解決していない。

 それは、自分以外の誰かが苦しんでいることを意味する。


 ――越えてはならない線がある、と自覚している。


 たとえば人殺し。

 どんな理由があろうと、意図的な殺人は人間を魔女に変え、魔女を悪魔に変える。

 蘇生魔法と同じように、殺人も禁忌であるが……こっちは意外と緩い。

 禁忌なのは間違いないが、隠蔽しようと思えば末代まで隠し通せる余裕がある。


 蘇生は絶対的な悪とされているのに、おかしな話だった。


 ……このまま逃げて、小さな女の子に全てを押しつけて、いいの?


 良いか悪いかで言えばもちろん悪い。

 しかしそんな常識的な二択を迫っているわけではないのだ。

 逃げた先で、彼女が全てを忘れてのうのうと幸せを噛みしめて生きていけるほど、鈍感なわけではない。

 きっと思い出す、ずっと思い残す、後悔する。


 振り返り、過去を知らない相手と作った家庭があったとしても、どこか上の空で、気を遣わせて、心配をかけてしまうだろう……そんな自分が安易に想像できた。


 交わした言葉は少なく、知り合ってから間もなくして別れた。

 特別仲が良いわけでも、言葉なく通じ合ったわけでもない。

 他人以上知り合い同等友達未満程度の関係性。


 だけどそれは、判断基準にはならない。

 顔を知り、性格を見て、人間性に揺らされた感情があった。


 なにも関係ない、小さな少女が苦しめられると分かっていれば。

 それ以外の理由はいらなかった。


「……もう、失敗なんてしない」


 かつて失った『友達』を思い出し、彼女は引かれた線から、踵を返した。

 自ら、死地へと舞い戻る。



 大樹の上によじ登り、実をつけた枝まで到達する。

 元々の森が広がっただけで、環境ががらっと変わったわけではない。

 食べられる実の種類は覚えているし、根に埋もれてしまっても、井戸もある。

 遠くまで出向けば小川も流れていた。


 生き続けるには困らない。

 ディンゴの背には変わらずアリス姫がしがみついている。

 が、彼女の腕に力はなく、引き千切ったツルで何重にも巻き付け体に固定している。


 彼の軍衣には小さなポケットしかなく、人の拳大の赤い実は入らない。

 手に持って降りることは難しく、そのため、地面に落とす打開策を思いついた。


 大した高さでもないし、元々、実は落ちるようになっている。

 落下した衝撃で潰れることもないだろう。

 大樹の根元に二十個ほどの赤い実を落としたところで充分だと判断し、枝から降りようと試みた時だ。


 ――めきめきぃ、とさらに一段階成長した大樹によって、膨らんだ根が地面を割り、生まれた隙間へ赤い実が流れ落ちていく。


 さらに移動した根が亀裂を塞ぎ、せっかく手に入れた実を回収することが叶わなくなった。


「…………はぁ」


 苛立ちはするが怒っても仕方ないし、誰に怒ればいいと言うのか。


「手に持てるのは頑張っても二つ……僕が食べる分は既に口にくわえてしまえば三つか……、姫様を抱えている以上、飛び降りるのはなしだ。

 まあ、三つずつ獲って何度も往復すれば、時間はかかるけど確実、か……」


 思った通りに一つを口にくわえ、というかその場で毒味をし、ついでに空腹も満たしてから片手に二つの実を挟む。

 三つ目の実を口にくわえた時、同じ枝の上に軽い挙動で着地した人影があった。


 枝の振動も限りなく少ない。


「良ければ持とうか? もちろん、ぼくにも分けてもらえるとありがたいけど」


 少女だった。

 そして、格好には既視感がある。


 実をくわえているため、咄嗟には喋れない。

 ひとまず片手に収めた実を二つ渡し、開いた手で、くわえていた実を受け止めた。


 敵対心はないようで、ディンゴも警戒はしなかった。

 怠ったわけではなく、いつもよりも敏感な方だ。

 その上で、現れた少女は敵ではないと判断した。


 敵意が別の方へ向いている以上、自分へ降ってくることはない。


「何個持てる?」

「両腕で抱えるから……積み方によって十個はいけると思う」


 その通りに実を抱えた少女が、枝から飛び降りた。

 両手が使えない中、足だけで衝撃を受け止めるのかと思ったが、地面寸前で彼女の落下の勢いがなくなり、身に纏うローブが膨らむ。

 ふわりと僅かに浮き上がり、低速のまま地面に足がつく。


 彼女が見上げ、


「もっと運ぶかい?」

「いや、ひとまず充分だ」


 ディンゴが追加で手にした実を落とし、少女が受け止めた。

 その隙にディンゴが枝を渡って地面に着地する。


 少女を見る……当然、元々国にいた者ではない。

 外部からの旅人……であれば、火事に巻き込まれなんと災難だったかと同情するが、観光ではなさそうだ。


 背が低く、『彼女』よりも小柄だ。

 なにかと比べてしまうが仕方ない……。

 明るい髪色とは対照的な黒髪を、頭の後ろで結っている。

 その髪束は短く、肩にまで届いていない。


 そして、彼女たちの代名詞とも言えるとんがり帽子を被っていた。


「もう一人の魔女、か……」

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