第16話 魔女の事情

 予期できなかったわけではない。

 蘇生魔法を使用する際に、己に宿る魔力を、生産神経ごと対象となる相手へ移植したのだ……、魔力がなければ当然、魔法も使えない。


 生産神経が体からごっそりと消えれば、魔力が体内で生成されることもない。

 アルアミカは魔力、魔法を共に失った。

 今の彼女を魔女と呼ぶには必要となるものが不足している。

 残っているのは知識と、記憶、経験である。


 蘇生魔法は無事に成功した……のだろう……恐らくは。

 曖昧になってしまったのはアリス姫が目を覚ます場面を見ていないためだ。


 心臓が再び鼓動し始めたのだから、失敗ではないだろう。

 彼女がアリス姫を蘇生させようとしたのは、もちろん無償の愛なんかではない。

 そこにきちんと見返りを求めるし、彼女もそれを見越して提案をした。


 国が危機的状況に陥っている今、余所者の魔女に時間を割いている暇がないのは分かっている……けど。

 昨日の段階では、アルアミカが抱える事情だって、なにも解決していなかったのだ。


 そっぽを向いてしまったディンゴの意識をぐいっとこちらに向けるために。

 姫を蘇生させることで恩を作り、アルアミカの事情に手を出させるように仕向けた。


 国王と交わした、助けてくれる、という約束を忘れてもらっては困るのだった(あくまでも国王と交わした約束であり、ディンゴと交わしたわけではない。国王が死亡した今、約束が反故されてもアルアミカは文句が言えない立場だった)。


 状況が緊迫していなければアルアミカも無理強いはしなかった。

 だが、彼女は昨日、見つけてしまったのだ……、

 火を点け回っていた犯人を追ってみれば、その先にいたのは魔女である。


 その場は咄嗟に隠れて難を逃れたが……やはり既にこの国に侵入していた。

 犯人と繋がっていたとなれば確定的だ、国へ与えたダメージは、アルアミカを炙り出すためである。


 魔女はまず、強力な仲間を獲得するために動く。

 第一に、ディンゴに接触することは確実と言える。


 だから先手を打ったつもりだった。

 もしも他の魔女に接触されても姫を蘇生させた恩がついて回る以上、たとえばアルアミカの味方にならなかったとしても、敵の仲間になることもないと断言できるのだ。


 まあ、ディンゴが獲得できなければ、相手がディンゴ以下の仲間を引き連れていた時点で、同じようにアルアミカが不利なことに変わりはないのだが……。


 その時は、そこまで頭が回っていなかったのだから仕方ない。

 だが、結局は杞憂だった。

 アルアミカが様々な国を転々とし、逃げ回っていた労力は、昨日の時点で報われたと言える。


 つまり、彼女がディンゴに助けを求める理由が綺麗さっぱりと消えてなくなった。


 ……本当に、あっさりと。


 気付いたのは蘇生魔法を終えた後、木々の爆発的な成長によって国が飲み込まれ、いつの間にか気を失い一夜明けて意識を取り戻した、その時だった。


 日課となっている体に刻まれている数字を確認する時にまだ寝ぼけているのかと思ったが、意識がはっきりしてきた後も入念に体を探してみたが、どこにもなかった。


 黒いローブを脱いで、胸元を強調するような赤いベストをはずし、ストライプの白いシャツのボタンをはずして下着の姿に。

 黒いスカートさえも足下に落として、いくら周囲に人の気配がないとは言え、女の子とは思えない無防備な格好になってまで隅々を探し……しかし、やはり、ない。


「え、え、なんで……どうして…………?」


 下着姿のまま自らの体を抱きしめる彼女は、急に不安に襲われた。

 それがあることで困っていたが、いざないと分かると、その理由が分からなければ不安になる。


 新たな事態に巻き込まれる前兆なのかもしれない。

 定期的におこなわる更新の不具合なのかもしれない……。

 解放されたと喜んでしばらくしたら元に戻っている、なんてぬか喜びはしたくなかった。


 が、彼女の中に思い当たる節がまったくないわけでもない。


 蘇生魔法。

 アルアミカの中にある魔力を全て、アリス姫へ移植したのだ。


 もしも。

 彼女が巻き込まれ、


 つまり、アルアミカの魔力だけでなく、その立場までもがアリス姫に移動していたとするならば、彼女の体に刻まれてあった数字は、今、アリス姫の肉体に記されているはず。


 一睡もしていないようだった、意外と近くにいたディンゴと合流した後(思えば大樹一本隔てた向こう側で下着姿になっていたらしい……)、彼は国王と王女を探しに行くと言う。

 手分けして、アルアミカも探すように指示をされた。


 その時に、アリス姫の体に手を入れて探してみた。

 蘇生魔法による影響などを確認する振りをして、ディンゴの目を欺き……のつもりだったが探そうとするまでもなく、探していた刻印は首元に見えている。


「…………」


 見間違いではない、確かに彼女に――あった、のだ。



 その後、アルアミカはディンゴから逃げるように反対方向へ進み続けた。

 どこまで行っても森、森、森……人の気配を感じ取れば静かにしてやり過ごし、いなくなったと分かれば再び歩き始める。

 もはや怯える必要もないのだが、やはり出てしまう癖がある。


 何時間が経っただろう、今頃ディンゴは二人を見つけられたのだろうか。

 アリス姫は目を醒ましただろうか……逃げているくせに、二人のことばかりを考える。


 一心に歩いていたら、とうとう端まで到達してしまったようだ。

 道に先はなく、それでも進めば体は重力に従って落下するだろう。


 気を抜いたせいか、足も限界で、自然と膝が崩れて座り込んでしまう。

 そのまま重心が真横へ移動し、ばたんと倒れた。


 ふへへ……、と笑みがこぼれたのは、やはり安堵があったからだ。

 ……助かったんだ。


 だらしなく表情を崩し、寝転ぶ体勢もまるで我が家のように。

 しかし、彼女は知らなかった。


 到達した場所は国の端であれど――『頭の上』であった。

 背中に国を乗せる、世界を歩き続ける巨大な竜の、頭の上。


 木々に隠れて分かりにくいが、水晶玉のような巨大な球体の中にある黒い点(アルアミカからすれば大き過ぎて全体像が見上げても分からない)が寝転ぶアルアミカへ向いた。


「もう、竜に怯えることも、ない――」


 だけど、分からなくとも捕食者からの視線は感じ取れる。


 ゾッ――と全身が痙攣し、呼吸が乱れ始めた。

 黒い点がアルアミカを見ている間、彼女の体がびくんびくんと跳ね続ける。

 やがて興味を失ったのか、黒い点が離れていくにつれてアルアミカの状態も回復していく。


 四つん這いになりながら、できるだけ気配を殺し、アルアミカは全身を嫌な汗で濡らしながらその場から離れた。



 魔女と、竜――その関係性には、明確な上下が存在している。

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