第13話 禁忌への誘惑

 近づくにつれて見えてくる全体像。

 胎児のように丸まった体勢で倒れていた金髪の少女……。

 綺麗な肌の所々に、火傷の痕が残ってしまっていた。


「姫様っ」


 膝をつき、彼女の頭を支え体を起こす。

 見つけられたことに安堵の息を吐いた。


 だが、繰り返すディンゴの呼びかけに、アリス姫はまったく反応を示さなかった。

 彼女の褒められない悪趣味な悪ふざけ、だったらどれだけ良かっただろう。

 いつもみたいに『あははっ、騙されたーっ』と小馬鹿にしてくれたら……。


 ディンゴが気付いた。

 指の間から滴る、液体の音。

 支えた手の平に付着する、真っ赤な液体。


 周囲が火の明かりのせいで赤く見えるせいで、気づけなかった。

 アリス姫は広がる鮮血の中にいたのだ。


 顔やドレスの見える部分に付着していなかったのは、そういう体勢だったから。

 足掻いた様子もなく、恐らく傷を負ってすぐに、アリス姫は――、

 苦しむことも、なかったのだろうと思えた。


「………………僕の命は、あんたのものだ」


 一生、あなたに仕えると約束をした。

 その小さな手に唇を触れさせ、誓った。

 我が一生は騎士ディンゴではなく、姫アリスのものなのだ。

 逆はあっても、騎士が残され、姫が死ぬことは、あり得ない。


『先に死んだら許さないからね!』


 成長をして、いつしか素直に本音を言わなくなったアリス姫も、間違って忘れないようにその言葉だけは繰り返していた。


 かつては、身の回りの騎士の死を見る度に泣きじゃくって、『もう、寂しいから誰もいなくならないでよぉ!』と三日三晩、どっちが守られているのか分からないくらい、ディンゴから離れないことがあった。


「約束したじゃないか……僕は絶対に死なないって、自己犠牲であなたを救うことだけは絶対にしないって、あんたが納得するまで誓ったはずだ!」


 ディンゴのことばかり、あの人は気にしていた。

 残される苦しみを誰よりも知っているからではないか。


「あんたが先に逝くなんて――約束を破ってるのはそっちじゃないかッ!!」


 彼女を支える腕に力が入る。

 強く抱きしめると、彼女の鮮やかな金髪が、くすんでいくように見えた。

 保たれていた形が崩れ、手の平からすり抜けていくように……。


「あ……」


『きちんと守りなさいよ、近衛騎士さーま!』


 ディンゴが役目を任された初日、同じくこのバルコニーでアリス姫はそう言った。

 晴れた日に、小馬鹿にしたような笑顔で舌を出しながら――、


 そんな、彼女の生きた姿を幻視する。


 取り戻したい過去を振り返ってしまえば、現在を認めたも同然だった。

 どうして離れたのだろう?


 近衛騎士であるなら、ずっと隣にいるべきだった。

 目を離すべきではなかった。

 アリス姫だけを見ているべきだった。


 ……当然、結果論だ。

 こうなることを予期できていなかったのだから理不尽な末路を迎え、ああするべきだったと後悔ばかりが募っていく。


 ああするべきだった、こうするべきだった。


 手枷をつけるべきだった? 

 閉じ込めておくべきだった? 

 ……今なら、閉じ込めることで娘を守ろうとする不器用な父親(国王)の愛情がよく分かる。


 万全を喫しておきたい。

 なにが起こるか分からないのだからなにが起きてもいいように準備をしておく……、

 徹底されなかった、僅かな綻びの隙が生んだ敗北だとすれば、一体どこまで彼女を縛っておけばいいのだろう?


 たとえ嫌われてでも、守る。

 ……本当に守りたければ自分さえも犠牲する。

 生き続ける上での自己犠牲精神。


「……僕に足らなかったものは、それなのかもしれない」


 簡単に言えば、覚悟だ。

 近衛騎士としての、覚悟。


 英雄の後継者、しかしその名は荷が重く、最も強い騎士として『最強』を受け取った。

 ……しかし、鼻で笑えてしまう。


「――僕は弱い」


 英雄は荷が重いと言っている時点で、戦闘技術以上に、精神が。

 木の板で作られた見栄だけのハリボテのように、脆いのだ。


 だから頼りたくなる。

 たとえ叶わぬ、理想なのだとしても――。



 ……もしもあなたが生き続けてくれるのならば。


 ……たとえあなたに嫌われようとも、あなただけを守り続けると誓います。



 だから。



 ……お願いです。



「――僕の人生を、返してください」



 ディンゴの瞳から流れた雫が、アリス姫の頬へ落ちていく。

 その一滴が、大きな力の象徴とする広い水面に波紋を作ったのかは、分からない。


 しかし、少なくとも。


 静かに沈黙していた事態が、善し悪しはともかく動き始めたのは確かだった。

 ぎゅっと抱きしめた姫と自分の心臓が触れ合い、万一にも鼓動をし始めるきっかけになればいいと思って期待した奇跡よりも、もっと現実的な方法がある――。


 上から、ふわりと減速しながら舞い降りてきたのは、天使か、悪魔か……。

 きっと、彼女はどちらにだってなれるのだろう。


 人間を越えた、強大な力を持つ、別世界の住人なのだから。

 赤髪の魔女が誘うのは、禁忌への入口だ。



「その子を生き返らせる魔法――あなたに踏み込む勇気はある?」



 ディンゴを前にして、聞くまでもないだろう。

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