第9話 子の名はディンゴ
他国から運ばれてきた物資に紛れていた赤ん坊を見つけたのが、英雄と呼ばれていた男だった。
無責任な親が意図的に隠したのだろう。
でなければ堅く閉じられた木箱の中に赤ん坊が紛れ込むことはない。
捨てられたのだ……。
平気で子供を殺す親がいる中、誰かに拾われてほしいという思いを込めて捨てているだけ、まだマシなのかもしれない。
赤ん坊は木箱の中で眠っていた。
最初は泣きもせず動かない赤ん坊を見て、途中で息絶えたのかと思ったが、英雄が持ち上げたら目を開けて笑ったのだ。
親でも見るかのような目で、嬉しそうに。
周りにいた騎士が気付いて近寄ってくる。
……どうするんですか? と聞かれ、英雄はまったく躊躇わなかった。
「俺が育てる。なに、うちには同じくらいの娘がいる。一人も二人も変わらん」
そうして、新たに増えた家族は、ディンゴと名付けられた――。
英雄の息子、という周囲からの重圧は他人が思うよりも凄まじく本人を苦しめた。
騎士を目指す者はまず従者となり騎士の身の回りの世話をする。
たとえば英雄であれば、実の娘であるエナが従者である(彼女もまた英雄の娘として期待され、数少ない女性騎士を目指して修練に励んでいる)。
女性騎士は少ないが、珍しいものでもない。
ただ、やはり男性の方が頼りになるというのが町の大きな声だ。
その点、あの英雄の娘とは言え、やはり女の子だから……。
と、周りの重圧もいくらかは抑えめだ。
女性騎士に憧れ、騎士を目指した者と、周りから煽てられ、軽い気持ちで騎士を目指し始めた者では覚悟の重さが違う。
厳しい仕事や過剰な期待に嫌気が差して、逃げてしまうのも仕方がないだろう。
真面目なエナとは正反対に、町の子供たちを牛耳るディンゴはいわゆる不良だった。
「一体、何日! 帰ってきてないと思ってるの!?」
従者としての仕事の時間以外、町中、森の奥までディンゴを探していたエナは心身共にぼろぼろだった。
やっと見つけたと思ったら、彼は町中で盗みを働いていた。
仲間たちと共に、今までの鬱憤を晴らすかのように悪事に手を染めていたのだ。
町でも有名な、真面目なエナに追いかけられて、子供たちが一斉に逃げ出す。
ディンゴもその中に混ざっていたが、足がもつれて転んだエナを視界の端に捉えて足を止めた。
「おいディンゴ!」
先行する仲間の声に呼ばれ、
「……すぐ行く」
「まって、待ちなさいよ……! い、かないで……ぇ」
だが、足が地面に縫い付けられたように、動かなくなってしまった。
「ディンゴッ!」
「……先に行ってろ。俺は別ルートから合流する」
そう言って引き返したディンゴが、エナの前まで近づいた。
蹲る彼女に寄り添うように屈んだりはしない。
ばつが悪そうに、かける言葉が思いつかないと言った様子で指で頬を掻く。
「いつまで……」
呟かれたエナの言葉はディンゴの耳には届かなかった。
「なんだよ」
と仕方なく近づいてきたディンゴの歩幅を見計らい、エナが飛びかかった。
「うあ!?」
「捕まえた!!」
ディンゴを背中から地面に倒し、エナが彼の腹の上に跨がった。
――ぱちんっ、という平手打ちが、閑静な町中に響き渡る。
「いつまでお父さんの顔に泥を塗る気!? 国一番の騎士の息子なんだから、堂々と、人に誇れることをしなさいッ! あんたには、才能があるんだからっ!!」
「……才能、だと? ないよ、ないだろそんなもん!! 言われた指示通りに動けない、教わった剣術もなに一つまともに再現できない。修練だって長続きしないし、従者としての仕事も失敗ばかりだ! ……どいつもこいつも、言ってくれる。本当に、あの英雄の息子なのかってだ!!」
比較対象であるエナが優秀なのもディンゴにかかる重圧を多くさせていただろう。
ディンゴの実力は卑下するほど低くはない。
しかし、周囲の評価がそのままディンゴ自身が抱く自分への評価だ。
芳しくなければ自分に才能はないのだと勘違いしても無理はない。
「周りなんてどうでもいいじゃない!」
「父さんの顔に泥を塗るなって、思い切り人の目を気にしてるだろうが!」
周りからどう思われているかを一番気にする相手からの慰めなど聞くに値しない。
「俺に、才能なんかないんだ! ……別に、元々騎士になりたかったわけでもない」
強要されたわけではなくとも子供心に分かってしまうこともある。
ああ、父親は子供が同じ道を歩むことを期待しているのだろうと――。
その意思を汲んでみたものの、やる気がある者とない者の差はやがて広がっていく。
当たり前だ、体や精神年齢が同程度であれば差は少ないだろうが、ある程度の成長を迎えれば誤魔化せなくなってくる。
脱落者が少ないわけではない。
共に鍔迫り合いをした仲間が一人、また一人と去っていくのを何度も見送ったのだ。
今回、ディンゴもそちら側だったと答えが出ただけだ。
才能がなくともやる気があればなんとかなるかもしれない。
しかし、たとえ才能があったところでやる気がなければなにも成し遂げられはしない。
「……俺のことなんか放っておけばいいだろ」
「放っておかないわよ」
「なんでだよ……」
ディンゴは、どうしてエナがそこまで自分に執着するのか気付いた。
「あぁ、そういうことかよ。俺みたいな落ちこぼれがいれば、比較されるお前は優秀に見えるもんなぁ!!」
「そんな……そんな打算であんたを更生させるために何日も町中や森の奥まで駆け回ったりなんかしないわよッ!」
そこで初めて、身なりにはうるさいエナがぼろぼろの服を着ている姿が目に入る。
「お前……、よく見たら、傷だらけ……」
さっき転んだだけでつく傷ではない。
家に数日帰らなかっただけで、ここまでエナを動かす衝動が一体どんなものか、予想がつかない。
「私は! あんたと一緒に騎士になりたいの! 二人で、お父さんの跡を継ぐの!!」
年老いてやがて引退する父親が、安心できるように……、エナの親孝行だ。
「周りがなんと言おうと私はあんたを見捨てないし、騎士に相応しいと思ってる!」
「……向いてないんだよ。それに父さんはお前だけが騎士になっても嬉しいと思う。あと、ずっと味方でいてくれるなんて無責任なことを言うな。お前らしくもない。俺を引き止めたいがためだけに使う言葉じゃないんだ」
「今この場だけ、なんて半端な覚悟で言ってない。ずっと一緒にいるもの」
「俺たちは、いずれ離れることになるんだ。親よりも、兄貴よりも大切なものなんて簡単にできるだろ。結婚もしない、子供も作らない……それこそ親不孝だ」
「だから、あんたとずっと一緒にいる、って、言ってるじゃない……」
それは、まるで……。
兄と妹(姉と弟)が踏み込む領域を越えている。
そして、エナの唇が、ディンゴの唇を強く塞いだ。
「ッ、……お前っ……俺たちは、兄妹だぞ!?」
「ううん。私たちは、一緒になれる。だって――」
幼い頃のエナは、家族が定めた禁忌を破るほど、猪突猛進だった。
年齢を重ねて素直になれず、上手くいかずに悩む末路など嘘のようだ。
「俺は…………血が繋がって、ない……?」
「そうよ、だから関係な」
がばっとディンゴが起き上がったことで、跨がっていたエナが小さく悲鳴を上げて後ろに倒れた。
「だったら尚更、どうして父さんは俺をこのままにしてるんだ!!」
ディンゴの怒声に、エナが体を硬直させた。
「ちょっ、ディンゴ……ッ」
「さっさと切り捨てればいい……本当の息子じゃないんだ、役に立たず人に迷惑ばかりかける他人の子供なんか、守る必要なんてないだろう!?」
なのに、父親はこんな悪ガキを毎日食わせ、充分な暮らしを保障し、騎士にさせようとたくさんの人に頭を下げて協力を頼み、回っている。
……国一番の英雄が、だ。
そこまでして繋ぎ止める価値があるのか?
大層な人間ではないと自分が一番よく分かっている。
辛い修練、面倒な仕事から逃げ出し、現実逃避で悪事に手を染めたクズ野郎。
血が繋がっていないのは納得だ。
模範的な騎士であり、誰にでも手を差し伸べる英雄の息子がこんな末路を辿るわけがないのだから。
エナが声をかけようとしたが、強い口調で遮られてしまう。
「帰れ」
冷たい拒絶だった。
「ごめん、わたし……」
「血が繋がっていないのなら、お前とも兄妹じゃないってことだ」
エナにとっては最大の障害が取り除かれたが、代わりに唯一の繋がりも同時に途絶えたことを意味していた。
「二度と、世話を焼くな。君に拘束される筋合いはどこにもない」
余所余所しく君と呼ばれたことに、エナは動けなくなった。
立ち去るディンゴを呼び止める言葉も、手も、出なかった。
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