第5話 魔女の心配

「……?」

 と首を傾げたアリス姫が気になっているのは、ディンゴの影である。


 影自体はなんの変哲もないのだが、足下にある自分の影と見比べてみればよく分かる。

 影が伸びている方向がおかしい。


 試しに踏んでみたら、

 ぐにっ、と柔らかいものを踏んだような感覚と共に足をひねってしまう。


「わわっ」

 と転びそうになると横から手が伸びてきて姫の体が支えられた。


「なにをしていますか。なにもない道で転ばないでくださいよ」

「……おかしいぞ」


 影がぎくっ、と動いたように見えたのは気のせいとは思えなかった。



「おかしいって、なにがですか」

「おまえの影、なにか……なんだろう? でも、なんかおかしくて……」


 おかしいのは分かっていてもなにがどうおかしいのか分からず、アリス姫は言葉に詰まってしまう。

 むー、と口を噤んで考え込むが数秒で飽きてしまったようだ。


 スカートをたくし上げて、太ももの白い肌がちらりと見えながら、ディンゴの影を思い切り踏んだ。


「あ痛っ!?」


 と、影から声が聞こえてきた。

 黒い影がまるで水面のように連続して波紋を作り出す。

 手応えはあるもののそれ以上の変化がないので再び踏んづけてみたら、今度は波紋だけでなく水面が突き破られ、黒い帽子が見えてきた。


 人間一人が影から上がってくる。


「っ~~~~、い、いきなりなにすんのよ!?」


 いなくなったと思っていた魔女の姿だ。

 影が怪しいと睨んでいても、まさか人が出てくるとは思っていなかったアリス姫が、ばっとディンゴを見て、影と魔女と順番にぐるぐると視線を巡らして、口をぱくぱくさせる。


「……っ、……っ!」


 人差し指を魔女に向けて、なにかを訴えていたが、ディンゴも意識は魔女の方だ。


「そういう魔法もあるのか」

「ねえ、この国の女の子は野蛮な性格ばかりなの?」


 怪しいと思ったらまず踏んづけてみる。

 門番にいた少女騎士に至っては、あのまま魔女アルアミカが姿を隠さずに進んでいれば、間違いなく斬られていた。


「どうだろう……、少なくとも野蛮な男をたくさん見てる影響は受けているかもね」


 身近に騎士がいる少女二人を連続して見ているだけで、町を探してみれば女の子らしい女の子なんてたくさんいる。

 彼女に運がないだけだ。


「だ、だれ!?」


 人見知りする方ではないはずだが、アリス姫はディンゴの背に身を隠してしまった。

 登場の仕方に怯えを抱き、片目だけを出してアルアミカを見ている。


「姫様、怪しい奴ですが危険人物ではないです」

「ほんとう?」


「ええ。もしも姫様に危害を加えるのであれば俺が殺しますから」

「あれ!? 助けてくれるって話じゃなかったっけ!?」


 平然と聞こえてきた殺すという言葉に魔女が過剰に反応した。


「姫様が最優先だ。それでも良ければ、君も助けるつもりだった」

「…………まあ、守ってくれるだけ、ありがたいけど……」


 不満は残っているようだが、無茶を言っている自覚があるのか、問答無用で見捨てられるよりはマシだと思ったのだろう……。

 姫様よりも優先しなければ国を破壊すると脅されたらどうしようかと思ったが、杞憂だったようだ。


「助けるつもりだけど、君の態度次第でもあるよ。国にいるなら国王に挨拶くらいはしておかないと守りたくても守れないからね。君が言う追っ手から匿えても国王は欺けない。さて……僕は手助けできないからそのつもりで」


 心の準備もまだな様子の魔女を連れて、長い廊下を抜け、重たく大きな扉を開けた先は、謁見の間である。

 道を作るように左右に列を作って並ぶ騎士たちが一斉にこちらを見た。


「……アリス、また部屋から抜け出したのか……」


 道の先には、大仰な椅子に座る、この国の王である男がいた。

 顎から頭まで伸びる、顔の輪郭に沿って作られた王冠を被っている。

 鼻の下にある左右対称の小さな髭が、威圧感を出しているのだろう。


「ゴージャスなヘルメットみたい……」

 と隣で魔女が小さく呟いた。


 その隣には、アリス姫をそのまま大人にした姿の(胸が大きく、笑みの表情を滅多に崩さない)王女が同じく座っている。


「父上がしたくもない縁談を持ってくるからでしょ」

「お前に必要なことだとなぜ分からん」


「わからないよ! 父上はわたしが結婚して王宮から出てってもいいの!?」

「誰だ私の娘を掻っ攫っていくクソ野郎はァ!!」


 大仰な椅子(しかもかなり重い)を真後ろにばたんと倒して立ち上がった国王が呼吸を乱れさせて顔を真っ赤に染め上げた。


「座ってください。アリスが今すぐ王宮から出ると言っているわけではないですから」

「しかし、いずれは――」

「座りなさい。みっともないわ」


 真っ赤に染まったばかりの国王の顔が一瞬で真っ青へと変貌した。

 王女の表情は笑みのままだが、言葉と、それに乗った感情は変化している。


 感情を向けられ、ゾッとしたのは国王だけではなく、部屋にいる全員が同じように感じたようだ。


「母様……なんか怒ってる」

「アリス、縁談はまだ早いわよね? 抜け出す気持ちも分かるけど……お勉強の時間は抜け出してはダメよ」


 いつもなら、はーい、と言いながらも後で抜け出す算段を(ディンゴと)立てるのだが、今日に限っては抜け出すと後で酷い目に遭いそうだと直感が働いたようで、


「はーい……」

「あら、素直なのね。偉い偉い」


 言われてアリス姫が緊張から顔を綻ばせた。

 ただ……、返事で嘘か真か分かるのであれば、いつもは抜け出す気があるかどうかが筒抜けだったらしい……が、当人は気付いていないようだ。


「むう……、縁談はしばらく取りやめるか」

「必要ないと思いますけどね。あの子を責任を持って幸せにしてくれそうな信頼できる男の子ならたくさんいますし」


「騎士は信用ならん。いや、アリスを幸せにしてくれることを疑っているのではない。そういう意味では、ディンゴが一番相応しくないな」


「あら、意外」

 と王女が思わず声を出した。


「誰よりもアリスを優先するだろう。ゆえに自分自身の優先度が低いとも言える。アリスを守ると言いながら早死にされても困るというものだ」


 国王から視線を向けられた。

 なにか言うべきかと思ったが、反論の必要はない。


 アリス姫と添い遂げるのであれば相応しくないと言われているだけで、それ以下であれば現状不満はないと言われているのだ。

 褒められているのだから感謝こそすれ、否定するつもりはない。


「それはどうも」

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