第3話 門番の少女の不満
世界地図が書けないと言われている。
国内の地図であれば、王宮や教会など、国に点在するランドマークを目印に記入し、作成するものだ。
たとえばランドマークがなくとも地形を描き込めばある程度は地図として利用できるだろう。
しかし、世界となると話は別だ。
ランドマークは国となるだろう……だが、記入するべき国は常時移動しており、基本的に止まっていることがない。
なら、地形を描き込みたいが……、濃い霧に覆われていてまったく分からない。
最低限、分かるのは方角のみ。
日が登り、沈む方向を基準にしていた。
そのため、偶然すれ違う国との貿易をしなければ、自国から生産される食物や資材で生活をしていかなければならない。
ここ数ヶ月、他国とすれ違っていないため、食物のレパートリーは少なめだった。
資材は嫌というほど木材がある。
ゆえに困ってはいないが、貿易を主軸にしていたためここ最近は質素な生活続きで町の活気も少々弱いと言えた。
一度贅沢を覚えてしまうと、中々、元の生活には戻りにくい。
「わっ、家にツルが絡まってる!」
魔女アルアミカが驚いた声を出した。
この国では日常茶飯事だが、外から来た者にとっては珍しい光景なのだろう。
絡まっているだけならまだマシだ。
放っておくと(と言っても昼間に気付いて日没まで放置していただけでも)成長したツルが家を縛って粉々に砕いてしまう。
そのため、騎士が頻繁に巡回し、気付いた時点で剣で切り落とす必要がある。
現に今も、複数の騎士がツルを切って、原因である根から掘り起こそうと作業中だった。
「あんたの魔法でどうにかできたりしないのか?」
「さっきやったみたいに木を成長させることならできるけど……、腐らせるまで成長させるとかね。ただ、結局成長を見届けなくちゃならないからあの家は諦めた方がいいよ」
大きくなった木に家が壊されてしまえば、本末転倒だ。
「ま、そう都合良くはいかないか」
魔女の魔法で楽になる作業があれば手伝わせようと思っていたが、魔法も便利なだけではなく制約があるようだ。
体内の魔力を源にしているため、日中、作業で魔法を行使し続けられないように――。
町の真ん中には王宮が建っている。
周りは木造ばかりで背丈も統一されているが、王宮だけは抜きん出て高く作られていた。
木だけではなくレンガも多量に使われているため、色も素朴ではない。
敷地に入るには東西南北にある門を通る必要があり、門番が二人常駐している。
「ねえ、なんかすっごい睨まれてる気がする……」
「父さんが勝手にあんたを俺に紹介して、匿うように指示しただけで、国王も、当然騎士もあんたのことは知らないからな。警戒するのは当然だと思うけど」
門番の二人も気付いたのかもしれない。
だが、まだ豆粒ほどの大きさでしか見えていないはずだが、よく二人いると分かったものだ。
門番としては優秀だと言える。
「アタシがいるとまずい?」
「いや、父さんからの指示で国王へ謁見……そういう名目なら入れるだろ」
名目とは言ったが実際に相談する気ではいた。
魔女という空想上の存在だと思っていたものがこうして実際に目の前にいる。
持つ力も目の当たりにした。
ただの剣を持つ騎士では正直、太刀打ちできない相手と言える。
つまり、彼女と対立した場合、手に負えないのだ。
……こういう外交は国王に任せた方がいい。
父さんとは違って、弱みを握られたからって国に危険を持ち込む真似はしないだろう。
近づくと、門番二人の内、一人が顔見知りだったと気付いた。
騎士には珍しい女性だ。
女性というか、少女だ。
ディンゴよりは年下で、魔女、アルアミカよりは年上に見える。
同じく黒い軍衣を身に纏う、体のスタイルが良い少女だ。
胸は控えめ(魔女の方が大きいかもしれない)だが、戦う騎士にとっては向いている体と言える(本人はそれを盾にしているがディンゴが胸の小ささを指摘したことは一度もない)。
「……さっき、女の子と一緒にいなかった?」
肩まで届く茶髪が揺れているのは彼女が門に近づくディンゴに向かって飛び出したからだ。
抜きはしないものの、腰の剣に手を置いているところを見ると不機嫌らしい。
女の子? さっき?
……まるで今は一人でいるかのようではないか。
「…………あれ?」
背後を見ればそこにいたはずの魔女がいなくなっていた。
綺麗さっぱり、一つの痕跡も残すことなく。
「いや、俺は一人だったけど……」
「………………そ。ならいいのよ。うん! 悪い虫がついていたら斬らなくちゃいけないところだったからこの剣を抜かなくて良かったわ」
ディンゴの体が身震いしたが、まるで自分の感覚ではないかのようだった。
「外回りお疲れ様。……今日は仕事、早く終われそう?」
「いや……」
恐らく、今日は色々と忙しいことになるだろう。
帰るどころではないかもしれない。
「今日は無理だな」
「今日は、っていうか、今日もでしょ」
はぁ、と大きな溜息を吐かれてしまう。
仕事が終われば家に寄れるか、という催促なのは分かっている。
しかし、ディンゴは既に家を出ているため騎士の宿舎に自分の部屋があるのだ。
育った家に寄る習慣はもはやない。
用がなければ寄ることはまずないだろう。
「声をかけなきゃ食卓を囲むことなんてなくなっちゃったんだから、言わせてよ」
「今までずっと囲んできたのに、まだ三人で食べることにこだわる必要はないよ」
「家族なのよ、一緒に食べるのが当たり前でしょ!」
家族、と聞いて思わず口から出そうになった言葉を飲み込む。
……それだけは言ってはならないことだ。
ずっと昔に言って、家族である彼女をどれだけ激怒させ、悲しませたか……忘れたわけではないのだから。
「いい、妥協する。家に帰らなくてもいいから私を食事に誘いなさい!」
家族で食卓を囲むというのはどこへやら。
自然に、父親が除け者にされていた。
「お姉ちゃんの言うことが聞けないの!?」
「いや、僕の方が年は上……」
「私の方が! 先に家にいたの! だから私の方が、あ・ね! 分かった!?」
「……分かったよ、もうそれでいいよ」
「じゃあ約束ね。私との食事に付き合うこと。ディンゴに拒否権はないから」
分かった、と言ったのはどちらが兄で姉なのかはっきりさせるがための発言だったが(とは言え、この場しのぎであり、本心ではない)……どうやら彼女にはめられたようだ。
食事に誘うことを、ディンゴが了承した、とされていた。
……一緒に食事、ね。
別に、積もる話なんてないと思うけど。
家族としての近況報告ならいつでもできる。
彼女が門番である以上、時間を合わせれば会うことも雑談することもできるのだから。
なぜか嬉しそうに表情を綻ばせる姉(としておこう)を見て不思議に思う。
弟(についさっきなった)と一緒に食事をして姉は楽しいものなのかと。
一般的には互いに干渉し合わないものなのではないのか?
「食事くらい誘ったらどうだ? それとも甲斐性がないのがばれるのが嫌か?」
もう一人の門番である高身長の男が口を挟んできた。
遠く離れているわけではないので聞き耳を立てていなくても聞こえてしまうのは仕方ない。
が、口を挟むのは違うだろう。
助けられた側の姉でさえ、うぇ、と嫌そうな表情を浮かべていた。
「…………あれ、君は門番だったか?」
記憶であれば国王を護衛する騎士の一団のメンバーだったはずだ。
本来なら王宮の中にいるはずなのに、どうして外にいるのか……。
「ああ、なるほど追い出されたのか」
「追い出されたのではない! 私には門番が向いていると国王様が勧めてくれたのだ! 私にしかできない仕事であると! 大役を任される優秀な私に乗る期待は重いのだ!」
姉に視線で問いかけると、
「それっぽい理由で追い出されただけ」
と返事がきた。
なにをやらかしたのか……大体の想像がつく。
どこかで国王が許せる一線を越えてしまったのだろう。
「僕が知らない内にちょっかいを出してくれたようだね」
「は? おい、貴様なに剣を抜いて――違う違う、誤解だ、未遂なんだ!」
王宮の外壁に切っ先を突き刺す。
そのすぐ隣に、男の顔があった。
刃の鏡面には男の横顔が映っている。
手櫛でかきあげて固めた青色の毛が、薄らと斬れて舞う。
「アリス姫様に実害はない!」
「実害がなければいいってもんじゃ……」
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