兎のお姫様

 天蓋のある、お姫様が使っていそうなベッドで目を覚ます。昨晩求めあったはずの、ミルクの香りの貴女は腕の中に居なかった。

 高音のトランペットと、雨音みたいに軽快なハイ・ハットが寝起きの耳を叩く。『ルパン三世のテーマ』だ。僕はそう気が付き、重い上半身を起こした。バスローブがはだけて鎖骨を見せようとしていたから直す。

「起きた?」

 モナ・リザみたいな本当に僅かな微笑みを携えて、貴女は白いソファに座っていた。ソファも、バスローブも、貴女自身もあまりにも白かったから。僕は雪が溶けて消えてしまうような錯覚に陥って泣いてしまった。

「なに。寝ぼけてるの?」

 呆れた声で、貴女はベッドの中で泣く情けない僕を抱きしめにきてくれた。少し熱いくらいの室温の中、小さな貴女の体温が染みた。ミルクの匂いがする。ボディローションの香りなのだと貴女は言っていた。

 新雪みたいに白い貴女の首元に、赤い痕を見つけた。それを教えると、今度はフランス・ハルスの描く絵くらいの笑みと共に、貴女は「下手くそだったねえ」と返す。

 貴女は何もかもよく分かっていない僕のバスローブを少し捲り、鎖骨の下あたりに少し長いキスをした。跳ねた心臓の音が唇を介して伝わっていないことを祈った。「大人」を演じたいから。

「本当はこうやるの。覚えておいてね」

 心臓の暴動を鎮圧するのに必死な僕はとりあえず頷いておいた。意味はあとで聞けばいい。

 テレビの中でルパンが女を口説いている。ルパンのような男はモテなさそうなものだが、彼の言葉に名も知らぬ女は頬を夕焼け色に染めていた。

「今日は雪だって」

 貴女はそう教えてくれる。覗いた貴女の携帯で気が付いたが、まだ朝の八時だ。ホテル側のわけのわからないサービスで置いてあったうまい棒でも食べようと思ったが、朝から食べたい代物ではないからやめた。

 偽りの愛の巣はやけに乾燥していて、全身が満たされていない気がした。贅沢な話であると自分でも思う。それでも、僕は貴女の髪を撫でながら、お姫様の口づけが欲しくて目を見つめた。

「二度寝、しちゃおっか。私が払うから精算したら駄目だよ」

 存外お姫様は鈍感で、天蓋ベッドに潜り込んですぐに目を瞑った。それでも僕の手を離さないでいてくれたから、ずるいな、と思いながら僕も眠気に身を任せ身体を横にした。

 暖房の息遣いのうるささと、貴女が少し動く度聞こえる衣が擦れる音と、結局消さなかったルパンのどんちゃん騒ぎの中、覚ましたくもない目を閉じた。

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不健全な誰かのノート パEン @paenn

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