第2話
朦朧とした意識の中、目覚ましアラームで眠りから現実へと呼び戻される、解除しそびれたアラームが恨めしい。それに、コートのまま眠ったせいで睡眠の質は最悪だ。ポケットからスマートフォンを取り出して画面を見ると社長からメールが入っていた。
『みんな、おはよー。今日は他の成仏屋の事務所に呼ばれちゃったの。ずっと事務所に戻らないから急ぎの用があったら電話してね! ということで……レイちゃん! ごめーん! 休みなし! 事務所の留守番おねがぁぁい! 返信不要』
返信不要って……幸いすぐにでも家を出る準備は出来ている。昨日買ったコンビニの袋から缶コーヒーを取り出す。隣に置いてあるチョコレートに後ろ髪をひかれつつアパートを出て歩き始めた。
陽は出ているが風が強くて寒い。ポケットに手を入れて歩きながらバレンタインデーについて考えてみた。好きな異性にチョコレートをプレゼントする日がバレンタイン。そして、お返しをするのがホワイトデー。名前も知らない女の子を思いながら歩いていると昨日の公園の前に着いた。少し余裕があった僕はベンチに腰掛けて、缶コーヒーを持って呟いたみた。
「乾杯……」
独り言。思わず自分の事を鼻で笑う。何を期待してるんだか。馬鹿馬鹿しくなってベンチから立ち上がった時、突風の様な凄まじい悪寒に襲われ金縛りにあった。完全な硬直。手足の自由を奪われ、指先すら動かない。身体とは逆に感覚だけが研ぎ澄まされる。後ろに……霊からの接触だ。昨日とは違った意味で心拍数と呼吸が一気に上がる。気を抜いて霊に隙を見せてしまった。背後を取られ霊の特徴や容姿も視る事はできないが、間違いなく悪霊の類いだ。悪霊と対峙する時は絶対に怖れないこと。怖れるほど相手の思うつぼだ。
意識を落ち着かせ動かない身体に一気に力を込めて振り返った…………とたん、さっきまでの悪寒や硬直が解けて身体に自由が戻った。悪霊の気配も感じられない。1分も経ってない出来事だろうが、背中が冷や汗でびっしょりだ。
「今の、何だったんだ……ん?」
振り返った先には誰も居なかったが、足元に蹴鞠のようなボールが風で転がっていた。社長に一連の出来事を報告すべきか考えていると、聞き覚えのある声が聞こえ視線を向ける。
「レイジさーん、おはよーっす! すげぇ寒いっすねぇ。あ、休日返上お悔やみ申し上げます。で、朝っぱらから公園でボール遊びだなんて珍しいっすね……って何で俺の事見て残念そうな顔してるんですか!ご近所の仲じゃないですか!ひどいっすよ!」
同じ事務所の成仏屋である陽介だ。経験が浅く頼りないが底抜けに明るい奴。指摘通り声の主が陽介だったのは少し期待はずれ。表情に出してしまった事を反省しながらも、誤魔化すように足元のボールを陽介に投げる。
「あぁ、おはよう。どうせ暇だからね、家に居るか事務所に居るかの違いだよ。これから事務所? それとも依頼?」
「うぉっ!レイジさん……残念は否定してくれないっすね……。気にしません! 俺は依頼です!」
陽介は袖を捲って手首を差し出す。霊能力を持たない人が見れば何の変哲もない手首。だが、僕たちのような人間には違う、手首には黒い帯が1本通っていた。
「多分、今日か明日には天送完了の予定です。赤いスポーツカーに乗って海が見たいってのが残ってるんで一緒にドライブして海行ってきます! 昼の海、夜の海、明け方の海を全部みせる約束なんです!
ま、相棒がちょっと嫉妬気味なんすけどねぇ……ははは。じゃ!出発するんで失礼します!」
「ははは……あぁ陽介、気をつけて! 連絡はこまめにするんだぞ!」
公園を出る手前で振り返り大きく手を振っているが、解ってるんだか解ってないんだか。路上に停めていた赤いスポーツカーに乗り込み動き出す。返して欲しくもないが陽介はボールを脇に抱えたまま行ってしまった。
霊からの依頼は危険が付きまとう。良い霊も悪霊も表裏一体、うっかりでは済まされない大事になる可能性もある。
結局、僕が事務所のソファーに腰を落ち着かせたのは昼を過ぎてからだ。向かっている途中、社長からメールが入った。
『レイちゃん、たぶん、誰も来ないだろうし。大変だから留守番はお昼ご飯食べてからでいいよ。特別ね』
朝一に伝えるべきだろ。事務所に朝から籠りたくないし、公園での出来事やユキちゃんとの約束の事も合って、歩いている方が落ち着く。それに、空いてる時にしか行きづらいお店にも行けたし、結果的には良かったのかな。
ソファーの背もたれに身体を預けると優しく沈みこむ感覚が心地いい。目を閉じて時計の秒針が刻む音に耳を傾けているといつのまにか眠っていたらしい。
重い腰をあげて珈琲を作り、コートを脱いでいると入口から声がした。
「こんにちはぁー。郵便でーす。サインお願いしまーす」
「あ、ご苦労さ……」
袖を捲ってサインをしようと目線を落とした時、自分の手首に目が釘付けになる。理解が出来なかった。ゆきちゃんを天送完了して依頼は終えている。手首の帯が消えている事も確認した。なのに、何故僕の手首にまた黒い帯があるんだ……
「あの、サインを……」
「あ、あぁ、すいません……はい。ご苦労様です」
郵便屋さんが帰った後、見に覚えのない帯を見てしばらく立ち尽くしてしまった。成仏屋をやっていてこんな事は初めてだ。冷めたコーヒーを飲みながら頭の整理をする。
霊との依頼成立には色んな方法や条件がある。例えば、霊と接触し対話を通してお互いに合意する事、ゆきちゃんとの依頼成立はこの方法だった。思想や願望が著しくリンクした時も成立しやすい。悪霊の類いになれば人間に依頼成立を気づかせないように偽装する事が多い。人間に成りすましたり、あらかじめ成立の条件を決めて誘導してくる。罠のようなものだ。
よく心霊スポットで遊ぶ若者が呪われる話が良い例えだ。霊の物を盗む、触る、受け取る、踏み入れる。全ては気付かない内に条件を満たしてしまった結果に過ぎない。成仏屋として注意を払っているが、僕は何処かで条件を満たしてしまったのか……。
可能性があるとしたら、凄まじい悪寒を感じた公園での出来事。背後から近付いてきた霊に気付けなかった。
ふと、チョコレートをくれた女の子を思い出した。霊の物を受け取る……触る……いや、考えすぎだろう。
やはり社長に報告しておこうと思ったが電話に出ない。小包が届いた事だけメールに残しておいた。
僕の腕に黒い帯が表れている以上、おそらく、霊からの接触が近々ある。後手になるわけには行かない、今夜、公園の調査にいくか。
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