62 眠れない夜

 家そのものはかなり大きい。

 広いリビングダイニング、10部屋ある寝室、装備をある程度は修復・調整できる作業場、トイレ、風呂等全て揃っている。

 寝室のベッドは布団もシーツも洗ったものになっていて今すぐ使用可能だ。


 水は水場から汲んできてタンクに貯めるタイプ。

 でも俺やミリア、モリさんなら魔法で水を出せるので問題ない。

 キッチンにはこの家用らしい自在袋が置かれていて、中には野菜や肉、穀類やパンまで1週間分は入っていた。


「至れり尽くせりねこれって。あとはキッチンにショーンがいれば完璧だよね」

 おいアンジェなんだそれ。


「ショーンは今頃タルエラだろ」

「ショーンだけでもこっちに引っ張っておけばよかった」

 おいアンジェそれは勝手すぎる。


「あのパーティの盾役だから引っこ抜いたらまずいだろ」

「ならライバーと交換で」

「おい待ってくれ」

「冗談よ」

 ……何だかなあ。

 微妙に本気も混じっていたような気がするのは気のせいだろうか。


「それじゃ飯は作っておくよ」

 この中ではモリさんが一番料理が上手い。

 そしてそろそろ日が暮れる時間だ。

 普通の家も夕食とか団欒とかの時間だろう。


 それでも俺は気になる事があった。

 だから皆に断りを入れる。

「悪い。ちょっと出てくる。夕食までには戻る」

 それだけ言ってさっと家を出る。


 家を出た理由は簡単。

 この村に元の家族、あるいはあの村の知り合いがいるか探す為だ。

 人目が無いのを気配その他で確認して変装魔法を起動。

 獣人に戻り、服装だけをよく見かけそうなものに変える。

 そしてそのまま人通りの多い方へ。


 暗くなり始めているが俺は暗視が出来る。

 変装魔法の応用で視線を動かさないように見せながら一人一人の顔を確認する事だって出来る。

 だから通りをゆっくり歩きながらすれ違う全員の顔を確認。

 違う、違う、知らない顔だ。

 知っている顔を探すが見当たらない。


 通りの賑やかな部分を1往復しただけでかなり暗くなってきた。

 人通りも一気に減る。

 そろそろ潮時だ。

 焦る事は無い、明日も明後日もある。

 自分にそう言い聞かせる。


 俺は変装魔法を戻して皆のいる家へ。

「どうしたんだハンス、急に出て行ってさあ」

「いや、ちょっと知り合いがいたような気がしただけだ。でも気のせいだった」

 ライバーの台詞につとめて軽い口調でこたえる。


「ハンスなら獣人の知り合いがいても不思議じゃないけれどね」

 何も知らないフィンの台詞。

 何かを言いたそうなミリアの視線。

 俺は思わず視線を逸らす。


「出来たぞ。運ぶの頼む」

 ちょうどモリさんがそう宣言した。

 俺はほっとして料理を運ぶ為、キッチン方面へ。


「これは前にショーンが作った料理ね」

 アンジェがそう指摘。

 そう言えば微妙に見覚えがある。


「ああ。ショーンは牙ネズミで作っていたけれどさ。本来は鶏肉で作る料理なんだそうだ」

 肉に魚醤と水飴で下味をつけ、卵で溶いた小麦粉をつけて油で揚げる料理だ。

 確かから揚げってショーンは呼んでいたな。

 ハーブを混ぜてあるのかいい香りがする。

 

「あとはショーン師匠のように美味しく仕上がっているかだな」

「ショーンを師匠というのも何かイメージが変だよな」

「でも料理では確かに師匠だよね」

「本当はアンジェが習おうと言ったんだぜ。途中で逃げたけれどさ」

「人間向き不向きがあることがよくわかったの。適材適所という奴」

 そんな話で俺が外へ出かけた話題は消えてくれた。


 ◇◇◇


 ベッドが変わると寝付けないという程やわでは無い筈だ。

 どうしても眠れないなら睡眠魔法を使う手もある。

 だがそれでも何となく眠れない夜というのもあるものだ。

 疲れている筈なのに眠くなく、かといって睡眠魔法を使いたくない夜が。


 俺は何となく自分の寝室を出てリビングへ。

 途中キッチンを通り、コップに牛乳を入れ、テーブルへ。

 照明魔法は使わない。

 無くても俺の目なら困らないから。


 何故に眠らずこうやっているのだろうな、そう自分で思う。

 明日以降の事を考えれば睡眠魔法で寝てしまえばいい。

 この時間起きていても何も出来る事は無いのに。

 

 何となく時間を潰しているとふっと誰かが起きたのがわかった。

 ミリアだな。

 2階の寝室から下りてくるようだ。

 ミリアの能力ならここに俺がいる事もわかるだろう。

 でも逃げる気にもならない。


「どうしたの、ハンス」

 下りてきたミリアが俺の方を見て声をかけてくる。


「特に意味は無い。何となくだ」

「飲んでいるのはワイン? 蒸留酒?」

「ミルク、酒は苦手だ」

 そう言ってふと思う。

 酒を飲みたいというのはこんな気分の時なのだろうかと。


「優等生ね。私もそうするわ。ただしホットで、少しだけワインを入れて」

 彼女はそう言ってキッチンでそれらを入れてこっちにやってくる。

 彼女も暗視が使えるからか、照明魔法をつけずそのままだ。

 途中ふっと起動させたのは範囲秘匿ストリ・セクラの魔法。


 彼女はカップを置いて腰掛ける。

「それであの時、本当は知り合いに会えたの?」

 何気なくそう聞いてきた。


「いや、本当は知り合いがいたような気がした訳じゃない。知り合いがいないか見てみたんだ。いなかったけれど」

 俺は正直にこたえる。


「そう」

 暗いせいだけじゃなく、ミリアの表情が読みにくい。

 ちょっと間をおいた後、またミリアが尋ねてきた。


「もし見つかったら獣人社会に戻るの、ハンスは?」


「わからない」

 返答は自然に口から出た。

 以前は違った。

 いずれ戻るつもりだった。

 メディアさんに見てこいと言われたから普人社会に来ただけだった。

 それが何故、どうして、いつ頃変わったのだろう。

 俺にもわからない。


「ただ、今すぐに戻る気は無い」

 それだけは言える。

 理由は俺自身もよくわからない。


 俺は何をしているのだろう、何を考えているのだろう。

 本来いるべき獣人社会から離れて自分の里を滅ぼした普人社会で。

 本来の獣人姿では無く普人の姿に魔法で変装までして。

 ただ、メディアさんに言われたからというだけではない。

 それだけはわかる。

 

『疑問を持つという事は、それだけ近づけたという事なのだよ』

 何もわからないまま剣術、弓術、無手格闘術などを叩き込まれた頃だったと思う。

 どうして弓はこうやって持つのか、この場所を引くのは何故か。

 確かそんな質問をした時の事だ。

 だとしたら今の俺は何に近づけたのだろうか。

 形のない疑問を幾つか抱え始めた最近の俺は。


 ただ眠れなかった原因の何かが少しだけほどけた気がした。

 だから俺はミリアにこう告げる。

「ありがとう」


「何かよくわからないんだけれど、まあいいわ」

 ミリアの台詞はいつもの調子に感じる。

 その台詞に少しほっとした、あるいは何か安堵感をおぼえる俺がいる。

 何故かはわからないけれども。


「これを飲み終わったら寝ることにする。明日から仕事だから」

「私もそうするわ」

 暗闇の中、2人でゆっくりとカップの飲み物を飲む。

 

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