子供のころ

 皆さんは子供のころ、どのような思い出がありますか?

 私は記憶に自信がないので、そんなに多くのことは思い出せないのですが、それでもいくつかは覚えていることがあります。

 中学生のころはいじめや暴力沙汰に巻き込まれることもそこそこありました。

 では小学生のころはどうだったのでしょう。

 当時は親からのあれやこれやに抑えられてたことを覚えています。よくある教育熱心な親の典型でしょうか。

 そのほかに、よく〇〇菌みたいな遊びの被害に合っていたことも覚えています。現在では問題になっている遊びの一つですね。

 当時のことを思い出してみました。その〇〇菌というのは、近所に住んでいた年上の女子から取られるものでした。彼女は発疹が出ており、また肌の色も少し濃かったため、恰好の餌食だったのかもしれません。そしてその菌は、誰かに触れることで菌が移動するというものでした。それの最終的な被害が私だったのです。

 そして理不尽なことに、その菌は他の人なら他人に移すことが出来たのに対して、私に移った場合は家に帰って風呂に入るまでは落とせない仕様になっていたのです。今考えても理不尽の極みですね。

 もしかすると、私の強迫性障害の発端はここにあるのかもしれませんね。つまり、彼女から取られる〇〇菌は、私にしてみれば「汚れ」の一環であり、それが付着することは自分が「汚れて」しまうということなのでしょう。

 それに付随するように、当時の「汚れ」の感覚は違うものでした。

 当時は「汚れ」というものは集められて放出できるようなものでした。どういうことでしょう?

 簡単な例を上げてみましょう。腕に「汚れ」のイメージが付いたとします。すると、その「汚れ」を手で集め、それをどこかへ投げ飛ばすというイメージなのです。

 これを現在の私の感覚に当てはめると、「汚れ」が付着した部分を手でふき取り、それを水や石鹸を使って洗い流すというものになります。

 これを当時小学生や中学生のときにやっていたのです。

 このように、当時と現在の「汚れ」のイメージを羅列してみると、意外と共通点が合ったりするものなんですね。

 しかし、知識や知恵を身に着け、正しい科学的根拠を身に着けた私にとって、手洗いというのは、一種のターニングポイントだったのかもしれません。現在も科学的根拠に基づいているとは言い難いですが。

 今回は以上となります。

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