第118話 黄金の光
クロノスの片腕に乗り、眼前の最後の剣を見据えるベクト。既に魔具であるダリウスは高々と振り上げられており、後は振り下ろすだけの体勢となっていた。大黒霊の最後の剣はクロノスの万力によって、既に耐久性ギリギリのところにまで追い込まれている。これに耐えられているのは、あくまでもそれが魔具による攻撃ではないからだ。こんな状態の剣に魔具の一撃が当たってしまえば、恐らくは触れた瞬間に破壊されてしまうだろう。それほどまでに剣には亀裂が走り、ピシピシと氷の割れる音が鳴り続けていた。
「止めっ、止めろぉーーー!」
「そんな言葉で止まる奴がいたら、是非とも見てみたいものだよ」
無慈悲に振り下ろされる、死神の鎌を錯覚させられる死の刃。次いで聞こえて来たのは、ガシャンというどこか小気味好さを感じさせる破壊音だった。
「あ、あああああ゛あ゛あ゛っっっ……!」
「お前の魂がどこに逝くのかは知らないが、もし地獄に行けたらバデンによろしく言っておいてくれ。ざまぁみろ、ってな」
「ででで、でめぇぇぇ―――」
―――ピシッ、ピシピシッ…… バキバキンッ!
最後の剣に続いて、大黒霊の全身鎧を構成していた氷が粉砕し、崩れ始める。その頃には既にベクトの退避は完了しており、安全を確保できる一定距離を挟んでいた。大黒霊が放とうとしていた怨嗟の声は、呪いを伝えるというその役目を果たす事なく、肉体と共に彼方へと消え去ってしまう。同時に、大黒霊の巣を囲い込んでいた氷の壁も崩壊。エリアを覆い尽していた全ての氷は、それが夢であったかの如く、跡形もなくなっていた。
「クロノス、操った立場でこう言うのは図々しいし、言うべきではないと思うけど…… 本当に助かった。オルカ共々、助けてくれてありがとう」
大黒霊に組み付いていたクロノスは、鎧の隙間から排出される冷気を直に浴びていた。それはつまり、自らの危険を顧みずに突貫していた事を示す。クロノスの肉体は隅々まで凍り付き、今や自ら動く事ができないまでに至っていた。
「ハァッ!」
ベクトによる、介錯の一撃。クロノスの凍り付いた肉体が見事に両断され、その直後に靄となって魔具へと吸収されていく。気が付けばエリアは元の姿を取り戻し、通路にはベクトだけが取り残されていた。
「……勝ったな」
「うむ、見事な勝利じゃ、相棒」
「勝利、なのかな……」
通路の行き止まり、その隅にて全ての元凶である宝箱が転がっている。戦いの余波を受けたのだろうか。横倒しで蓋も開きっ放しの状態だ。そのせいか宝箱の中も見える形ではあったが、その中身は空になっていた。
「宝箱の中身は空だった。この場所でクロノスが犠牲に、そしてその仇を討とうとしたオルカが犠牲になった。残された俺が掴んだものと言えば、大黒霊を倒したって事実くらいだ」
果たして、これが勝利と言えるのか? そう言葉を続けようとしたベクトであったが、口が止まってしまう。弔いの為に押し殺していた感情が、段々と心の底から湧き上がって来る。オルカと共に探索した数々の記憶が、ベクトの頭の中を駆け巡って行く。
「相棒……」
探索者の街に住まう誰もが成し遂げられなかった、三体目となる大黒霊の討伐。本来であれば、それは喜ぶべき偉業の達成である。しかし、その代償はあまりに大きく、ベクトの心を砕くのに十分過ぎる事だった。魔具であるダリウスは、そんな相棒の心をどう支えるべきか逡巡する。ここでどう声を掛けようとも、それは慰めにしかならない。ならば、自分の役目は――― そう熟考する最中、二人の周りにとある変化が訪れた。
「む? 相棒、あれは……?」
「……何だ、この光は?」
先ほどまで何もなかった通路の真ん中より、黄金色の光が放たれる。自然と手で遮ってしまうほどに眩しいそれは、突然そこに現れたのだ。
(新たな敵の出現? いや、そんな敵意は感じない。むしろこの光、どこか温かいような……?)
眩しいが、黄金の光には嫌悪感が一切なかった。ベクトは更に光の中を注視し、そこに何があるのかを確かめる。
「あれは…… 剣、か? しかも、あれは…… オルカの、長剣……?」
それは確かに、オルカの魔具である剣であった。大黒霊の命のストックとなっていた、あの馬鹿でかい巨剣ではない。オルカが持っていたものと同じ大きさ、感じられる力強さも正に同一の剣だったのだ。柄を上に、刃を地面に向ける形で宙に浮かぶオルカの剣は、何かを訴えているかのように、今も神々しい光を放ち続けている。
「ダリウス、これは一体どういう事なんだ?」
「……
「え?」
「相棒、あの剣を取れ。全てはそれからじゃ」
「……分かった」
ダリウスの言葉に背中を押され、ベクトが光の中に向かって歩みを進める。歩く度、戦いで生じた痛みが全身に響き渡るが、ベクトの足が止まる事はなかった。失った何かを取り戻すかのように、一歩一歩地面を踏み締める。そうして剣の前に立ったベクトは、ゴクリと唾を飲み込み――― 柄へと手を伸ばした。
(どこまでも、温かい……)
柄に触れると、剣は宙に留まっていた力、黄金色に輝いていた光を途端に失い、ズシリとベクトの手に収まった。氷の力を宿す筈のオルカの剣、しかしその柄は温かく、ベクトの痛みを癒すかのように、優しさでベクトを包み込んで行く。ふと気が付けば、黄金の輝きは剣からベクトへと移っていた。更に、剣自体もベクトの手の中に溶け込むが如く、目の前から消え去ってしまう。
「……異常事態だけど、不思議と驚きの感情は湧かないな。むしろ、落ち着く?」
「失ったものを取り戻し、元あった場所に戻したのじゃ。落ち着くのも当然じゃろうて」
「ダリウス、何か知っているのか? さっき、
「……気高き探索者が死した時、何らかの条件を満たした際に生まれるという、幻の死霊――― それが黄霊じゃ。ワシも直接目にするのは初めての事となる。まさか、本当に実在するとは」
「いや、何だその分かるような分からないような、微妙な説明は……」
そんな事を言っているうちに、黄金の光はベクトの体から消えていった。
「うーむ、ワシも上辺の知識しか知らんからのう、上手く説明できる自信がないわい。こればっかりは、白の空間に戻ってゼラに聞くのが一番じゃて」
「えー……」
「いや、マジなんじゃって」
今の出来事で落ち着いたベクトは、すっかりいつもの調子に戻った様子だ。不思議な事に今のベクトの心には、抜け落ちたものが確かに満たされていた。ダリウスもその事を悟ったようで、砕けた口調で接し始める。
「よし、では帰還するのじゃ! このエリアは危険で満たされておる! 女神像に辿り着くまで、油断するでないぞい!」
「ハァ、分かったよ。じゃ、石橋叩いて帰るとしますか。 ……ダリウス、ありがとな」
「はて、何の事じゃ?」
踵を返し、来た道を戻る。ベクトにとって女神像へと続くその道のりは、この場所を訪れた時よりも不気味さが薄まっているように感じられるものだった。
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