第115話 失意の戦い

 見上げるほどにでかい氷の彫像、俺が受けた第一印象は正にそれだった。3メートルはあろう巨体を誇りがら、透き通るような美しさをも併せ持つ、氷で構成されたプレートアーマー。そいつが兜の隙間から、禍々しい二つの光を灯している。いや、この場合は俺を睨んでいる、と言った方が正しいのだろう。何せ、奴はオルカが死んだ事に心の底から怒っていて、その原因が俺であると考えているんだ。


「オルカぁ、お前は良い女だったが、男運だけは最悪だった。こんなクソみてぇな男三人に言い寄られて、辛かったよなぁ? 悲しかったよなぁ? 可愛そうな奴だぁ……」


 勝手な事を言ってくれる。俺だって、まだ心の整理ができていないってのに。


「だからよ、俺に力を貸してくれよ? 最後の邪魔者は、この俺の手で消してやるからよぉぉぉ!」


 耳を塞ぎたくなるような大黒霊の叫びが、エリア全体へと響き渡る。威嚇のつもりか、それとも感情に任せて叫んでいるだけなのか。俺はどうする? 戦うべきか? 逃げるべきか? ……ああ、探索者としてどうするべきかは分かっている、理解もしている。けど、けれど。


「うぐおおうっ……!」

「ッ!?」


 先ほどまでの昂りから一転して、大黒霊から苦しみ声が漏れ出した。大黒霊の叫びを掻き消したのは、どこからともなく現れた三本の巨大な長剣だった。突如として飛来した長剣それらは、大黒霊の全身鎧へと貫通、所謂串刺し状態にしていた。貫通した奴の傷口からは白い煙、恐らくは冷気が漏れ出している。


 次々と眼前で起こる状況の変化に、俺の脳は処理許容範囲を超えようとしていた。だが、最後に残った欠片ほどの冷静さだけは、これだけは失う訳にはいかない。それを手放ししまえば、俺は死に、本当の意味で全てを失う。いや、それだけじゃない。大黒霊と化したオルカの魂が、ずっとこの場で縛られる事になってしまう。それだけは絶対に避けなければならない。


 ……あの剣、見覚えがある。サイズがまるっきり違っていて、ひと目で気付く事はできなかったけど、あれはオルカの魔具だ。俺の背丈以上にまででかくなっている意味は――― なるほど、あの全身鎧のサイズに合わせて、長剣のサイズも一新したって事か。けど、なぜオルカの魔具が奴を貫いた? 奴の傷口から漏れ出した冷気が辺りに拡散されてはいるが、それ以外に変化は生じていない。


「あ゛あ゛あ゛ぁぁぁーーー! やっぱりだ、ほら見ろ! オルカが俺の声に応えてくれた! それも、魔具三本分もだぜぇー! ふぅっひゃひゃひゃひゃひゃー!」


 今度は苦しみ声から笑い声へ、自らの鎧に突き刺さったうちの一本に手を掛け、奴は長剣それを抜き取った。それにより露呈した鎧の穴からは更に強い冷気が溢れ出し、付近の床や壁を氷結させ始める。だが、なるほど、そういう事か。


『相棒、奴の言動に気を取られるな。アレは元より奴の力、オルカから認められ能力を譲られたなどと、そういう意味では決してない。全ては奴の嫌がらせ、所詮は演出じゃ』


 ああ、分かってるよ。演出として長剣に貫かれたところで、ダメージらしいダメージも受けていないみたいだしな。所詮は奴の性格の悪さを表した、大黒霊としてのギミックの一つって訳だ。オルカの魔具が三本なのも、大黒霊としてのレベル、つまるところ強さが関係しているだけだろう。今回の戦いで三体目の大黒霊、だから奴の強さも三段階目、剣も三本と考えれば打倒なところか。


「オルカの男運が悪い? まあ、そうかもしれないな。お前みたいな重荷を魔具にされたら、俺だったら初っ端から絶望しているところだ。オルカの苦悩、そんな彼女を支え続けたクロノスの頑張りを考えたら、頭が上がらないよ」

「あ゛あ゛っ!?」


 奴がチンピラの如く声を荒げる。見た目は高貴な騎士だってのに、こんな見え透いた挑発に乗ってしまうのか。


「あ゛ー、許せねぇ。許せねぇよなぁ、オルカ。俺を重荷扱いしやがったぜ、こいつ」

「何だ、事実を言われてキレるのか? なら、少し訂正しよう。性根の腐った重荷野郎、さっさとオルカの魂を解放しろ」


 俺がそう口にした瞬間、奴が剣を振るった。刃は俺を狙った訳ではなく、それどころか空を切るのみの剣筋だった。ただ―――


 ―――パキパキパキ。


 直後、俺の背後に氷の壁が形成されていた。位置的にこの壁は、大黒霊の巣の境界をなぞるようにして作られている。逃走防止用、って事かい。


「さっきも言ったが、てめぇは絶対に逃がさねぇ。見るも無残に殺してやるのも止めだ。代わりに半殺しにして、氷のオブジェにして永遠に飾ってやるよ。そうすりゃあ、俺の記憶がリセットされる事もねぇだろうがよ」

「そうか、奇遇じゃないか。俺も逃げる気なんて、はなっから考えてなかったよ。オルカの為にも、な」

「ほざけよ虫けらがぁぁぁ!」


 感情的になった大黒霊が、今度こそ俺に向かって大振りの攻撃を放つ。速度があり、威力の伴った斬撃だ。これまで戦って来た大黒霊、黒ネズミや融合スライム以上に強力なのは間違いなかった。だが、それだけだ。力任せで単純な攻撃は、かつての強敵達のそれに比べ、酷く読みやすく躱しやすい。


「ええい、ちょこまかとぉぉ!」


 恐らく、奴が所持する霊刻印はオルカのそれに近い構成、『剣術』の霊刻印で技量をブーストしているんだろう。それも、俺が持つ『剣術』よりも高レベルなもので。それでも攻撃を俺に当てられないのは、使用者自身の技量が絶望的なまでに低く、その上子供の如く感情的な内面を持っているからだろう。こいつに比べれば歪んではいたものの、ダブルの探索者にまで登り詰めたバデンの方が、まだ強者であったかもしれない。


 ―――ギギィィン!


 攻撃を見切り躱したところで、カウンターのダリウスソードを食らわす。攻撃は見事にヒット、しかし奴が纏う鎧の強度は想像だったようで、浅く傷をつけて弾かれる結果に終わってしまう。攻撃はお粗末でもその肉体の強さは本物、耐久力も三体目の大黒霊に相応しいものであるようだ。


「ヒャッハ! 何だ、そのちゃちな攻撃は!? 全然効かねぇなぁ!」

「確かに、頑丈さだけは目を見張るものがあるよ。だけどそれ以上に、お前なんかに能力を使われてるオルカが可哀想でならない。一番近くで一番長く彼女の戦いを見て来た癖に、その体たらくぶりは一体何なんだ?」

「んだとおらぁ!?」


 人格がある相手ってのは、こんなにもやりやすいものだったのか。今までの怪物達は何を考えているのか一切分からなかったし、恐れ知らずで行動の先が読めない事が多々あった。あの正真正銘の怪物達に比べれば、ある程度感情の誘導が効くこいつは、本当に御しやすい。


「ならこいつはどうだぁぁぁ!?」


 次の攻撃にて、大黒霊が剣を振るうと同時に氷塊を生み出し、勢いよく放った。なるほど、『剣術』と同時に『魔法・氷剣』を使う事にしたのか。 ……けど。


「悲しいまでに雑な使い方だな。オルカが泣くぞ」


 けど、オルカのそれと比べれば、天と地ほどに実力差がある。奴が生み出した氷塊は大きく、多分恐ろしいまでの強度があるのだろう。ただ、それだけなんだ。こんなもの、巨石を適当に投げているのと何ら変わらない。オルカは斬撃と魔法を一体化させ、目にも止まらぬ速度で放っていた。それを間近で見ていた俺にとって、こんな適当な攻撃は脅威とは思えなかった。


「クソがぁっ! まぁだ俺は馬鹿にしやが―――」

「―――杖ズミさん、頼みます」

「ヂュッ!」


 キャンキャンとうるさい奴の口を黙らせる為にも、格納内で生成したフェイク杖ズミさんに魔法をぶっ放してもらう。俺以外に悪い意味で眼中になかった奴は、この魔法を見事顔面で受け止めてくださった。

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