第114話 介錯

 クロノスの巨体が倒れ伏すと、やがて彼の頭部、アイアンメイデンに亀裂が走り始めた。亀裂は俺の盾によって粉砕された扉部分から頭部全体へと、瞬く間に広がっていく。


「ア、アアッ、アア……」


 それは黒霊の、いや、クロノスとしての最期の抵抗だったのだろうか。オルカへと手を伸ばそうとした直後、アイアンメイデンはバキバキと音を立てながら粉々に砕け、靄になっていった。


「……どうか、安らかに」


 刃の太陽で止めを刺した為なのか、発生した靄は盾へと吸収された。アイアンメイデンは完全に消え去り、後に残るは漆黒の肉体のみ―――


「―――って、そっちは残るのか!?」

「ううむ、超再生を有する体じゃったからな。あの奇天烈な頭がなくなった後も、もしや肉体のみで再生を続けているのかもしれん。流石に頭を再生する事はないとは思うがの」

「……ダリウス、居たのか」

「ずっと居たわい! それよりも、早くオルカを運ばんか!」

「そ、そうだった。オルカ、大丈夫か? バデンは死んだし、クロノスも呪縛から解かれた。後は一緒に帰還するだけだぞ」

「あ、ああ……」


 不味いな、オルカの顔色が一目で分かるくらいに悪くなっている。最早剣を握る力も残っていないのか、剣を地面に突き刺したまま蹲っている状態だ。とてもじゃないが、立って歩けそうにはない。こうなったら多少揺れはしようとも、ホワイトの背に乗せて全速力で女神像に向かうべきか。俺はそう考えながら、魔具を鞘へと戻し、彼女を抱き抱えようとする。


「ベ、ベクト…… すまん、すまんな……」

「だから、それ以上無理して喋るなって。礼や謝罪を聞くのは、無事に帰還してからだ」


 抱き上げる最中、オルカはずっと「すまん」という言葉を、譫言うわごとのように繰り返していた。その言葉を呟く度に、オルカの体から力がなくなっていくのが分かる。分かってしまう。だからこそ、俺は彼女に黙ってほしかった。


 ……けど、それを強制する事はできなかった。オルカが俺に何かを伝えようとしているようで、不思議と強く言う事はできなかった。そしてホワイトの背に乗せようとする間際に、オルカの手が俺の頬に触れる。


「ベクト…… 私を、クロノスを、救ってくれて、ありがと、う…… 本当、に…… 嬉し、かった……」

「ハハッ、そこまで言うなら、次の探索でお返しをしてもらわないと――― おい、オルカ?」


 気が付けば、俺の頬に触れていた彼女の手が離れていた。離れて、力なく地面に向かって垂れ下がっていた。オルカの顔を覗き込めば、静かに眠っているような、彼女の綺麗な顔がそこにはあった。ただ、おかしい。生気を感じさせないくらいに、綺麗で、俺の心が、悲しく感じて。


「こ、こんなところで冗談は止してくれよ、オルカ? おい、もう少しなんだって。女神像は直ぐそこだ。なあ…… なあっ!?」


 俺がいくら呼びかけようとも、オルカは返事をしてくれない。目を開けてくれない。


「………」


 突きつけられた事実が信じられなくて、オルカの脈を測り、口元に手を当て呼吸をしているか、何度も確かめる。だが、結果はどれも同じで、やっぱり信じられなくて。


「……急いで女神像の下へ向かおう。そうすれば、きっとまだ間に合う」

「相棒」

「ダリウス、悪いけど今は無駄話はなしだ。早くオルカを―――」

「―――ならん。もう、オルカは死んでおる。女神像は探索者の為の領域じゃ。死者は立ち入る事ができん」


 馬鹿な! ……そう叫んでやりたかったが、今の俺にはそうする元気も残っていなかった。ただ、ダリウスから言われて漸く、オルカが死んでしまったという認識をする。再びオルカの顔を見て、気が付けば涙を流していた。


「相棒、こんな時に酷な事を言ってしまうが、このままではクロノスと同じように、オルカも黒霊化してしまう恐れがある。それを防ぐ為には、その……」

「……防ぐ為には、何だ?」

「探索者が持つ魔具にて、介錯してやる必要がある。そうする事で探索者の魂は魔具の中へ避難し、一時的にではあるが黒檻の呪縛から解かれるのじゃ」

「馬鹿、かよ…… こんな状態のオルカを、俺の手で更に傷付けろって、そう言うのか……?」

「しなければ、クロノスの二の舞じゃ」

「ッ……!」


 その言葉にダリウスを叩き付けたい衝動に駆られるも、これを何とか抑える。ダリウスだって、こんな事を言いたくて言っている訳じゃない。全てはオルカに、安らかに眠ってもらうが為の申し出なんだ。けど、まさかクロノスに続いて、オルカの介錯までする事になるなんて、な。 ……クソッ。


「……霊薬、意味なかったのかな?」

「遅刻性の、或いは時間を置くごとに効果を増す猛毒だったのかもしれん。尤も、犯人は肉塊なってしもうたから、真実は闇の中じゃがな」


 オルカをそっと地面に横たわらせ、ダリウスの柄を握る。ハゼ槍とハゼ斧が心配そうにこちらを見ているが、余裕のない俺には気の利いた台詞が思いつきそうになかった。


 さっきとは全く違う意味で大きく息を吐き、ダリウスの剣先をオルカに向ける。しかし剣先が震えてしまい、上手く定める事ができない。同時に、涙も止められなかった。


「……俺の方こそごめんな、オルカ。仇は討てたが、お前を助け出す事はできなかった。せめて、せめて…… 俺の、手でッ……!」


 涙で前がろくに見えない。何度も涙を拭い、オルカの左胸、心臓に向けて剣先を当てる。あと少し、あと少し力を篭めれば、オルカを弔える。俺は心の中でもう一度だけ別れを告げ、意を決してダリウスを突き刺した。突き刺してしまったと、思っていた。


 ―――ガリッ。


 何か硬いものを削ったかのような、そんな音がした。一種の放心状態にあった俺は、何が起こったのか分からなくて、ただただ目の前の光景を眺めるだけで。だけど、その眼前の光景が信じ難いものになっていたのは、何となく感じ取っていた。


「相棒、下がれ!」

「ッ!?」


 俺が正気を取り戻せたのは、尋常でない様子のダリウスが、力一杯に叫んでくれたからだった。緊迫感に包まれたその様子に、俺は一瞬で現実に意識を戻された。


「な、何が起こっているんだ!?」


 そして、改めて認識した。先ほどまで俺が泣き崩れていた場所が、オルカが横たわっていた場所が、一面氷漬けになっている事に。オルカの体は氷塊に包まれ、それによって外界との接触が遮断されていた。


「さっきの音は、ダリウスが氷塊を削ったもの…… いや、それよりもこの変化は!」

「馬鹿な、いくら何でも黒霊化が早過ぎる! オルカが死んでから、まだ数分ほどしか経っておらんのだぞ!? ま、まさかこのエリアの特性、なのか!?」


 考え得る最悪の結末、オルカの黒霊化。ダリウスもその最悪へと思い至ったようだが、やはりこれは異常事態であるらしい。しかもだ、この感じは―――


「ダリウス、気のせいじゃ…… ない、よな?」

「何という…… なぜ、このタイミングで、今……」


 ―――この感じは、大黒霊・・・の巣に入る際のもの。背筋が凍り、警報が直に頭へと叩き込まれる。そうこうしている間にも、オルカを中心する氷の世界は更なる広がりを見せ、最早このエリアは画廊などではなくなっていた。


「……見ていたぜぇ、俺様は見ていた。やっぱ三下風情に、俺のオルカを任せるのは間違いだったんだ。オルカを見殺しにした罪は重い、死ぬほど重い。だからよぉ、俺がオルカに代わって罰を下してやるよ。もちろん、逃がさねぇよ? 簡単には殺さねぇよ? ゲロカスなバデンよりも無残に、色ボケなクロノスよりも悲惨に、てめぇを終わらせてやるよ。 ……ベクトぉぉぉ!」

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