第98話 両耳に花
「グレアさん!? す、すみません。やっぱり名前からして、ドワーフ殺しを出したのは不味かったですか?」
腰を抜かしたグレアさんに駆け寄った俺は、軽い考えでドワーフ殺しを出してしまった事を後悔した。そりゃあ、グレアさんも腰を抜かすだろう。俺が出したのはドワーフ殺しという名の酒で、グレアさんは正真正銘のドワーフ(しかも酒に弱い)なのだから。
「こここ、これはドワーフ殺し、ドワーフ殺しですの!? 何者も立ち寄れぬ禁忌の地、そのどこかに存在するという氷河洞窟で、一年に数滴しか採取できないという幻の水を用い、最長寿種であるエルフの逸れ者にして伝説の酒職人、アマテが生涯をかけて作り出した、あの幻のお酒ですの!?」
「グ、グレアさん……?」
「直に飲めばこの世全ての濁りを集約したような味が口内に充満し、モンスターをも殺し得る悪臭が一瞬にして体中を駆け抜ける! その悪魔的な衝撃は凄まじく、幸運に生き残った場合にも重い後遺症が残るという逸話も! 飲料としての存在を逸脱し過ぎた為に、この世で最も強力な聖水としても活用する事ができるという、あの!?」
「グ、グレアさん!?」
「しかし、その真なる姿は正しき飲み方をした時にのみ現れますの! 異なる飲料と割って頂く事で、ドワーフ殺しはそれまでの狂暴性が嘘のように露と消える! 喉当たりは優しく、それでいて力強く! 相手を選ばず、そのパートナーの魅力を最大限にまで、いえ、ポテンシャル以上の値にまで高める様は、さながら全てを受け入れる女神! 更には酒などの飲料に限らず、果物や野菜、果ては肉類にまでその作用が働く事から、私達ドワーフ族から史上最強の酒として伝えられて来た――― あのぉぉぉ!?」
「戻って来て! グレアさん、お願いだから戻って来て!」
俺が駆け寄るなり、ドワーフ殺しを目にしたグレアさんは、一種のトランス状態になったんじゃないかってくらい、マシンガントークで語り続けた。俺よりもドワーフ殺しに詳しいよ、この人!
「ハッ! も、申し訳ありませんの。私、興奮のあまりに喋りまくってしまったようで……」
「こ、興奮したのなら、まあ仕方ないですよ、うん……」
紳士店主に話をする時も、こんな感じになる訳じゃないよな? だとしたら、あっという間にストックが貯まるのも頷けるけどさ、紳士店主の負担が凄い事になると思う。
「えっと、その反応から察するに、グレアさんにとってこのお酒、とっても珍しいものなんですよね? なら、これと交換で俺の防具を鍛えてもらうってのは、どうです?」
「………」
「……えと、グレアさん?」
どうした事か、今度はグレアさんが停止してしまった。
「か、重ねて申し訳ありませんわ。私、自分の耳を疑ってしまって…… あの、ドワーフ殺しを頂けるというお言葉が聞こえて来た気がしたのですが、私の聞き間違えですわよね? そんなデリシャスな話、ある訳ないですわよね?」
「いえ、本当に言ったんですが……」
「……ふぁげぇ(バタリ)」
「「「「「ああっ、店長が倒れた!」」」」」
グレアさんが漫画みたいに気を失って倒れてしまった。彼女の介抱の為に店員の子達が集まり、ちょっとした騒ぎになっている。ごめん、今のは俺が悪かったの?
「オルカ、ドワーフ殺しってそんなに凄いものだったのか?」
「いや、私もそこまでは知らなんだ。まさか、ここまでの反応をしてくれるとは……」
「グレア卿は酒に弱いが、酒についての知識は並みのドワーフ以上なのだよ」
「正直、私も驚いています。ベクトさん、今度そのお酒を手に入れた時の話をお伺いしても?」
「え、ええ、まあ……」
話と言っても、ドワーフ殺しは大猫の飲屋にあったお酒だしなぁ。改めて考えてみると、なぜにそんな代物が酒場にあったんだろうか? 今は亡き酒場マスター、一体何者なんだよ……
それから数分して、グレアさんは無事に意識を取り戻した。どうやら彼女にとってドワーフ殺しは、伝説の武具よりもレアリティの高い、所謂喉から手が出るほどに欲しい代物であったらしい。そんな幻のお酒を俺がポンと出してしまったが為に、脳が状況を理解し切れずオーバーヒートしてしまったと、そういう訳だ。
……マイホームでいくらでも入手できるって言ったら、それこそ彼女のキャパシティを超えてしまいそうだから、その事は少し間を置いて話すとしよう。このまま続けて教えたら、絶対またぶっ倒れる。
「ふう、ふう……! まさかまさかの展開に、私ってば超興奮……! ドワーフ殺し、もちろん欲しい、欲しいに決まっていますの。ですが、私の信条は対等なる交換! 彼の神酒を貰うに値する仕事を、果たして私は成す事ができるのでしょうか? 半端な仕事は許されない。シングルの探索者として培って来た技術、そして掻き集めて来た素材を惜しみなく、それでいて十全に全ての要素を引き出さなければ、とてもではありませんが対等には至りませんわ……!」
グレアさんが何かを呟いている。呟きまでマシンガントークなんだなぁ、凄いなぁ。 ……うん、そんなアホな事を考えてる場合でもないよね。想像以上に思い詰めてしまっているみたいだし。
「あの、グレアさん? そこまで思い詰めなくても、全然大丈夫ですよ。無理せず順当に鍛え上げてくれれば、俺はそれで満足しますから」
「で、ですが、それでは対等の交換とは言えませんわ」
「いえ、対等な交換ですよ。だって、それで俺は納得していますもん。あのオルカが紹介してくれた信頼の置ける職人さんなんですから、もっと自信を持ってください。余計な事は考えず、いつも通りに仕事をしてくだされば、それで万事オーケーです!」
「ベ、ベクトさん、なんてお心が広い! 私、とても感動していますわ! ……分かりましたわ。このグレア・マルモリー、誠心誠意、ベクトさんの防具を鍛えさせて頂きますの!」
それまでの動揺を振り払い、グレアさんが自信に満ちた表情でそう言い切ってくれた。
「ありがとうございます。じゃ、このドワーフ殺しは前払いって事で」
「か、軽く手渡してしまうのですね。本当に豪胆な方ですわ…… ですが、もう遠慮は致しません。確かに、ドワーフ殺しを頂戴しましたわ」
ドワーフ殺しをグレアさんに渡すと、彼女は赤子を抱くが如く、大事に大事に酒瓶を抱えた。
「本来、探索者の方の防具を鍛えるという商いはしていないので、今回は特別なオーダーメイドとなります。工房は私の白の空間にありますので、少しの間、その防具を私が預かる形になりますが、それでもよろしくて? ああ、もちろん、その間の代わりの防具はお貸し致しますわ。似た性能を持つAランクの防具で良いでしょう。ダブルの探索者でしたら、問題なく装備できるでしょうし」
「それで構いませんよ。でも、仕事が終わった後はどうやって合流します? 白と黒の空間を介してしまうと、時間差で次に会うのは運任せになっちゃいますが」
「それでしたら、これをお使いくださいな」
腰に下げていたハンマーの魔具より、何かを取り出すグレアさん。彼女からそれを差し出されると、俺はそれが何のかを直ぐに理解できた。
「
「前に私以外にもこの耳飾りを持っている者がいると言っただろう? それがグレアなんだ。尤も、これまでは全く使っていなかったようだがな」
「そ、それは私に見合う相手がいなかったからですの! ですがまあ、ベクトさんになら、この耳飾りをお貸ししてもよろしくってよ? って、当然ですけど、右耳にもうオルカのものを着けているんでしたわね。空いた左耳のものをお渡ししますが、二つも着けて大丈夫でしょうか?」
「それはやってみないと何とも言えんな。まあ、大丈夫じゃないか?」
そういう訳で、オルカの耳飾りを右に、グレアさんの耳飾りを左に着ける事になった。後は実際に白の空間に行ってからの、実地試験になるというのだが…… 本当に大丈夫だろうか?
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