第89話 夢魔の森

 俺は今、性懲りも無く風になっていた。それはどういう事かって? フッ、簡単な話さ。オルカと共にホワイトの背に跨って、森の中を全力疾走してもらっているところなんだ。あまりのジェットコースター感に、かつての俺が地獄を見せられたのは記憶に新しい。しかし、今ばかりはこのスピードに逆に助けられている。どれはどういう事かって? おいおい、今日は質問ばかりだな? まあ良いさ、教えてあげよう。それは―――


「―――この森を自力で歩く方が、よっぽど地獄だからだぁー!」


 思わず軽い脳内会議をしてしまった。こんな俺の心境に、軽く引いてしまう奴も居る事だろう。だが、逆に考えてほしい。そうしないと精神を安定させる事ができないくらいに、今の俺の心は追い詰められているのだと……!


「相棒、不思議な脳内会話はまだ良いとしても、唐突に叫ぶのは止してくれんか? 唐突過ぎて老体には堪えるわい」

「闘志を昂らせるのは良い事だが、敵に位置を知られてしまう恐れもある。ベクト、その燃える心は胸の内にしまっておけ」


 こんな時だけ老人ぶるダリウスと、何か勘違いしているオルカに総ツッコミを入れられる。うん、俺だって叫びたくて叫んでいる訳じゃないんだ。そうしないと心の整理ができないと言いますか…… あ、それよりもジェットコースター感がやばい。ぶっちゃけ、そろそろ吐きそう。


 ……気を紛らす為にも、状況を整理しよう。俺達は『夢魔の森』の探索を開始し、その第一歩を踏み出した。森の木々があり得ない高さに達している為、その真下にある森の中は殆ど月の光が差さない状態にあった。このままでは真っ暗闇だが、例の如く黒の空間では一定の視界が確保される為、全く見えないという訳ではない。派手な模様をしたでっかいキノコがそこら辺に生えていて、ぼんやりと発光したりもしていたしな。それがランプ代わりになっていたんだ。


 とまあ、ここまでが俺達にとっての都合の良い事で、残る全ては俺達に最悪をもたらした。まず最初に襲い掛かった来たのが、オルカが事前に言っていた幻覚だった。視界がぐにゃりと捻じ曲がり、そこに立っているのも困難な状態に陥ってしまったんだ。俺の想像では幻か何かを見せられるのかと思っていたんだが、まさか感覚を狂わせに来るとは…… 幻覚が起こったのは入り口付近であった為、直ぐに引き返して感覚を正常に戻す事ができたけど、これをエリアのど真ん中でやられていたら、かなり不味い事態になっていたと思う。それから俺は、オルカにこれは無理だと言おうとしたんだが―――


『さあ、ベクト! これからどう攻略する!?』


 ―――そんな感じで期待の眼差しを向けられ、断るに断れない雰囲気になってしまったのだ。個人的には外壁と森の境界を兎に角進んで行って、オーリー男爵が通ったであろう抜け道を探したかったのだが、自業自得な発言をしてしまった手前、俺は俺で頑張って解決策を考えるしかなく…… 取り敢えず、幻覚が見える条件を確認する事にした。


 入り口付近で森に出たり入ったりを繰り返し、夢魔による幻覚を見せられる事数回。森の中で移動をせず、同じ場所に立ち続けていると、ものの数秒で幻覚の症状が発生する事を確認。反復横跳び程度の距離でも、常に移動さえしていれば大丈夫である事が分かった。幻覚の威力は凄まじいが、対処法さえ確立すれば後は安心! ……なんて事は全く思っていなかったのだが、やはりこの後の展開もその通りのもので。


『オ、オルカ…… 何か、すっごい眠気が……』

『寝るな、ベクト! 寝たら死ぬぞ!』


 幻覚の次に俺を襲ったのは、急激な眠気だった。激務明けに布団を前にした時の、或いは真冬の朝を布団の中で迎えた時のような、何とも抗え難い強烈な眠気だ。しかし、これに敗北すればオルカが言っていたように、俺は悪夢を見ると共に精を吸われて死んでしまう。そんな最悪の展開を打破する為に、俺はダリウスにダリウスナイフの形状になるよう指示。そして、意を決して剣を抜いたのだ。


『……ッ! よーし、目ぇ覚めた……!』


 眠気覚ましの一発は、左手にダリウスナイフを突き立てる事で成された。痛いし手加減する暇なくて血もドクドクだけど、死ぬよりはマシというもの。急いでダリウスに霊薬を出してもらい、怪我も治療しておく。


 そんな風に危機を脱したは良いが、睡眠攻撃は幻覚とはまた違った条件で発動する事が分かり、また振り出しに。その後も入り口付近で検証が続き、条件を打破してはまた新たな脅威が迫るという構図が何回も続くのだが、ここまで来ると俺にも絶対踏破してやるという気概を生まれて来ていたんだろう。半ば躍起になっているとも言えるかもだが、クリアする為の考察は着実に積み上がっていったんだ。


『結論さ、ホワイトに乗って最速突破するのが一番手っ取り早いと思うんだ。自分の足で進むとなると、敵の妨害やトラップでどうしても進行が遅くなるし、その隙を突いて幻覚や強制睡眠が襲って来る。なら、危険な場所はホワイトの判断で避けてもらって、俺達は支援に徹するのが上策じゃないか?』

『ふむ、それなら殆どの危険は回避できるな。しかし、物理的な攻撃はどうする? 擬態からの不意打ちもかなり来ると思うぞ?』

『杖ズミさんの結界に頼ろうと思う。あれなら全方向をカバーできるし、詠唱できる回数も多い。問題は、杖ズミさんをどこに置くかなんだけど―――』

『―――私が抱えよう! 大丈夫だ、任せておけ!』

『そ、そうか? じゃあ、それで行こうか』


 俺の提案はオルカとダリウスにも受け入れられ、直ぐ様に実行。今に至るという訳だ。 ……俺の案だったんじゃねぇか! と、今更ながらに後悔している。あの時は覚悟が決まっていたから、こんな命懸けの案もポンと出せた訳だが、ホワイトの本気の速度を前に、俺の覚悟はポッキリと折れてしまっていた。


「キキキキキキッ!」

「ベクト、攻撃が来るぞ!」


 そんな俺の心中なんてお構いなしに、敵の攻撃は来るものである。森の木々に擬態していた大木の黒霊がバキバキと動き出し、奇妙な奇声を上げながら、その巨腕を俺達に向かって振るって来た。前にも言ったと思うが、この森の木々は城塞都市の外壁ほどの大きさを誇る。つまるところマジの巨人サイズ、ただの物理攻撃も大変な規模となって襲い掛かって来るのだ。幸いにもその動作は緩慢で、一度抜き去ってしまえば追って来る事はないのだが、この大規模攻撃を完璧に躱すのは一筋縄ではいかない。


「杖ズミさん、頼んだ!」

「ヂュッ!」


 そんな時に活躍するのが、杖ズミさんに覚えてもらった『魔法・結界』だ。こいつは術者の周囲に見えない結界の壁を発生させて、殺傷力を伴った物理攻撃や魔法攻撃を防いでくれる。しかしながら結界には耐久性があり、防ぐにしても限度があるし、最初にやられた幻覚や強制睡眠といった搦め手までは防いでくれないので、その辺は注意が必要だ。ちなみに大黒霊を討伐した影響なのか、イレーネから教わる魔法は全てレベル2に上昇していた為、魔法の使用可能回数もアップして、三回から五回へと変化。杖ズミさんは二体居るから、合わせて十回分の結界を使う事が可能となっている。


「キキッ!?」

「ナイスだ、杖ズミさん!」


 巨腕は結界に弾かれ、勢い余って大木の本体も弾かれた方へと倒れ込む。その隙にホワイトは森を突っ切り、大木黒霊を遥か後方へと置き去りにする事に成功。よっし、逃げ切った!


「しかし、攻撃を防いだ代償に結界がまた壊れてしまったのう。これで三度目か?」

「逆に言えば、まだ七回も張り直せるんだ。まだまだ余力はあるさ。 ……けど、精神的にはやっぱり辛いな。乗り物酔いとの戦いも辛い……」

「そんなベクトに朗報だ。森の出口、漸く見えて来たぞ」

「ッ!」


 ほ、本当だ! 前方の木々の間から、月の光らしき輝きが見える! あれだけ不気味に思えた赤い光が、今は希望の光にしか見えないぞ! そう、希望にしか見えない、見え、ない……?


「……そういう罠じゃないのか? こんな邪悪な森に出口が存在するなんて、ちょっと想像できないというか、迂闊に近づきたくないというか、ひょっとして違うタイプの幻覚見せられてる、俺?」

「い、いや、普通に出口なんだが」


 本当に森の出口だった。この森を通じて、俺は一段と疑り深くなってしまったようだ。

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