第78話 湧き出る怪物

 二体目の大黒霊戦、当日。自らの命とアリーシャ達の未来が懸かった決戦の時だというのに、不思議と俺の心は穏やかだった。この日の為にやれる事は全てやったという、そんな自負があるからかな? なるほど、これが探索者として一人前になったという、自信の表れ―――


「―――そんな強がりはどうでも良いんじゃがの。で、本心は?」

「緊張のあまり、昨夜はあまり眠れませんでした……」


 はい、嘘でした。格好つけてました。回れ右して尻尾を巻いて、早く帰りたいです。


「ふむ、高揚のあまり脳が冴えていたという事か。ベクト、良い闘志だ。が、ほどほどにな?」

「え? あ、うん……?」


 何か今、オルカに凄い勘違いをされた気がする。すまん、オルカ。俺はそんな武人肌な性格じゃないんだ。安牌に安牌を重ねて、安全に戦いを勝利したい庶民的な思考をしているんだ。そんな訳で、こんなお願いもしちゃう。


「オルカ、前の大黒霊との戦いでもそうしたんだけど…… 機を見計らって、巣の外から援護射撃をお願いしても良いかな? 前に見せてくれた飛ぶ斬撃、アレなら巣に入らず大黒霊を攻撃できると思うんだ」

「巣の外からか? 分かっていると思うが、巣の周辺に張り巡らされた見えない膜で、威力は殆どなくなってしまうぞ。多分、私が全力で放ったとしても、薄皮一枚斬れるかどうかというところだ」

「それで構わないよ。ちょっと気を逸らさせるとか、僅かにでも驚かせる事が大事なんだ」

「なるほど…… そういう事であれば、了解した。だが、あまり期待はしてくれるなよ?」


 よし、オルカの支援も約束できた。前回のオーリー男爵の援護射撃、本当に助かったからなぁ。これがあるとないとでは、気の持ちようが段違いなんだよ。 ……オーリー男爵、元気にしてるかな? 探索の最中にでも、また巡り合えると良いけど。


「それじゃ、いっちょやってみようか」


 目指すは開閉扉の先、嫌~な雰囲気で満ちた大黒霊の巣。女神像が埋もれていた研究室から扉を開くと、その先はさっきよりも広い研究室に繋がっていた。ただ、そこはまだ巣ではなかった。巣の気配があるのは―――


「……これ、下って行く感じ?」

「恐らくは」


 ―――陥没したと思われる大規模な大穴、その先だ。


 いや、ちょっと待てよ。何で研究室にこんな大穴が開いてんの!? ホワイトみたいに黒霊が掘ったのか!? しかもこの穴、地面に対して垂直に掘られてるし! ほぼほぼ傾斜が90度だし!


「こ、この壁を伝って下りるのは、事故りそうで怖いな…… ホワイト、背中に乗せてくれ」

「ゴォルル」

「……(うずうず)」

「……オルカも後ろに乗らないか? 流石にここからじゃ援護し辛いだろ? 巣の直前で、どこか見晴らしの良いところで降ろすよ」

「そ、そうか? うむ、そういう事なら乗ろう!」


 よほどホワイトの背に乗りたかったんだろう。妙にそわそわしていたオルカを誘うと、彼女は目にも止まらぬ速さで、俺の後ろへと座っていた。うん、最初からホワイトに乗ってもらうつもりではあったんだけどね。


 兎も角、騎乗完了。いざ、降下開始。


「ハッ、ハッ、ハッ!」


 俺ら二人を乗せているというのに、ホワイトは重さを全く苦にしていない。大穴の外壁を円を描くように駆け、徐々に下へ下へと移動して行く。


「ところでベクト、ホワイトやハゼちゃん達は、大黒霊の巣に入っても大丈夫なのか?」

「ん? ああ、うちの案内人に確認したけど、問題ないそうだ。俺の使役下に居ても、黒霊はあくまでも黒霊って判定になるらしい」

「なら、一先ずは安心か。ホワイト達と共闘しようとしたら、大黒霊が強化された! ……なんて事になったら、目も当てられないからな」

「使役している数が多い分、マジで地獄絵図になるよな、その場合……」


 尤も、この点については大丈夫だと、前々から確信してはいた。黒ネズミとの戦いの時、敵の配下を奪ってはの戦いを、ずっとやっていたからな。仮に俺の使役している黒霊が大黒霊の強化判定になったら、俺はとっくに死んでいた筈だ。


「ッ! あった、そこが境界線だ」


 そうこうしているうちに、大黒霊の巣の境が見えて来る。いや、肌で感じて来る? 探索者の本能が、大穴の底から数十メートル上のエリアまでが巣の範囲だと、そう教えてくれた。


「ホワイト!」

「ゴォオオオ!」


 ホワイトに下へ進むのを一旦ストップしてもらい、穴の外周を駆けた状態で高度を維持する。


「オルカ、降りる場所はどこにする? この辺り、穴の側面に通路とか、せり上がった高所が幾つかあるけど」

「そうだな。通路に陣取ってしまうと、背後から敵に襲われる可能性がある。その心配がなさそうなのは…… あそこだ。あそこに降ろしてくれないか?」

「オーケー」


 オルカが指定した場所は、巣の境目、その少し上に位置する狭い崖っ縁だった。地面が陥没した際、一部分だけ足場が壁に残ったんだろう。確かにこの場所なら見晴らしが良く、通路のように背後に死角も発生しない。ホワイトに近くにまで移動してもらい、オルカをその場所に降ろす。この間、ホワイトは蜘蛛のように壁に張り付いて、その体勢のまま位置をキープしていた。おおう、そんな事もできるのね……


「うん、足場もしっかりしている。ここで大丈夫だ」

「良かった。大黒霊の性質の見極めから始めるから、何度か巣を出たり入ったりする思う。結構長い戦いになるだろうけど、そこは勘弁な」

「何、そんな事で文句を言う私じゃないさ。ベクト、ホワイト、存分に分析し全力を尽くし、死なずに帰って来い。私からの要望はそれだけだ」

「ああ、了解だ!」

「ゴォルルルゥ!」


 オルカの言葉に背を押され、俺はホワイトと共に大黒霊の巣へと飛び込んだ。巣のテリトリーを表す嫌な感触を通り過ぎると、それ以降は嫌悪感に悩まされる事はない。まあ、その代わりに圧倒的な殺意が襲って来るんですけどね。


「へえ、赤いのはさて置き、やけに近代的な雰囲気だな……」


 例に漏れずこの場所も血塗れで、むしろ今までで一番真っ赤なくらいではあるが、意外な事に穴の底は人工的な空間が広がっていた。円の形で保たれたここの床は、上の研究所と同じもの。そして周りを取り囲む研究設備も、俺の頭では理解できなさそうな機材が多くある。


 その中でも特に目を引くのは、中央に置かれた巨大なガラスケースだろう。円柱型で試験管のような形状をしたそれは、俺の体なんて比較にならないくらいに大きく、ガラス自体も分厚い。防弾とはまた違うんだろうが、見ただけでもかなり頑丈である事が分かる。血塗監獄っていうくらいだし、さながら特別製の牢屋といったところか。


 しかしながら、このガラスケースは盛大に壊されていた。中に入れていた何かが、こいつを破壊したんだろうか? って、今更そこで悩む必要なんてないよな。ここは大黒霊の巣の中、つまりこのガラスケースを破壊した張本人が大黒霊であり、そいつがここで巣を張っているって事なんだから。問題はそいつがどこから現れるかだが―――


「―――っと、それも悩む必要なかったか」


 警戒する俺達の前に、奴は堂々と正面から姿を現した。いや、湧き出て来た? 床に走る亀裂の隙間から、水が染み出て来るようにゆっくりと、但し大量に湧いて出て来たそいつは、言うなれば巨大なスライムだった。 ……ううん、これも少し語弊があるかな。


「に、のスライムか。流石にちょっと予想外……」


 スライムっていうか、ただただグロテスクな、マジもんの肉塊なんだもの。

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