第76話 とある研究員の記録

 女神像があった研究室の奥には、一つだけ扉があった。左右それぞれが開閉する形式であるその扉は、右手側が丸ごと外されており、奥の通路を部分的に覗く事ができたのだが…… 正直言って、その奥を見るのは躊躇ってしまう。それくらいに気分が悪い。気持ち悪い。本当的に嫌、エトセトラ。兎に角、あの通路の向こうには向かいたくないのだ。そして俺には、この最悪な気分を過去に経験した事がある。


「全神経が嫌な予感を知らせるこの感じ、大黒霊の巣か……」

「一目で分かるとは流石は経験者、正解だ」

「そりゃあ、忘れようにも忘れられない感覚だからな。にしても、女神像の目と鼻の先か…… オルカ、また俺が挑戦しても良いか?」

「ん? ああ、次の大黒霊を倒せば、ベクトもダブルの仲間入り、つまりは私と実力で並ぶ事になる。そうなれば、探索の幅は更に広がるだろう。私としてもそれは同じ事、全力で支援するつもりだよ」

「ハハッ、ありがとう。上手く事が進めばだし、倒した瞬間に並ぶ訳でもないけどな。まっ、オルカと並んでも恥ずかしくないように、俺なりに努力はさせてもらいますよ。でさ、その大黒霊の対策についてなんだけど―――」

「―――ベクト、その前にこれを見てくれないか? そこに落ちていた書を、私の力でまた修繕したんだが、どうやらこれも研究員が書いたもののようなんだ」

「なんですと?」


 オルカの『修繕』、ここでも大活躍じゃないですか。して、その本には今度は何が書いてあったんだろうか? 大黒霊の弱点とかを都合良く記していたら嬉しいんだけど、どうかな、黒檻の世界さん? それくらいのサービスは安いもんじゃん?


『相棒、流石にそれは高望みし過ぎじゃって』


 良いじゃん、心の中で言ってみる分にはタダなんだから。これでフラグが立つのなら、こういうのは率先して立てるべきなんだよ。


『……えっちぃ本とかの可能性は?』


 ダリウス君さぁ…… それは絶対にないと断言しよう。そいじゃ、フラグも綺麗に立て終わった事だし、本の中身を覗いてみましょうかね。どれどれ?


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天星歴1674年6月1日


 魔物化した死体の運用に際し、現在のまま使用する事は非常に困難だ。こればかりは国王がいくら命令したところで、あの怪物達が素直にそれを聞く筈もない。しかし、だからと言ってカルロのように、禁忌と喚き不可能と断ずるのは、研究者として恥ずべき行為だろう。我々は何の努力もしないうちから、砂糖以上に甘い事を抜かす立場にいないのだ。そんな初歩的な事も奴は分かっていない。いつの時代も大いなる発明には、多少の犠牲はつきものなのだから。


天星歴1674年6月12日


 我らのチームは画期的な案を講じた。死体が本能のままに生きるというのであれば、それらを強制的に従える指揮者を作り出せば良いのだ。手始めに現在安定して生物兵器化が進んでいる生者式の魔物を軸に、草案を作成してみよう。野生の魔物の中にも、他の魔物を統括する能力を持つ者は居るのだ。どんな手段でも良い。その力を宿させ、その頭となる魔物だけでも管理下に置く事ができれば、我が国は死体を複数体投入するだけで敵国を滅ぼす事ができる、悪魔の力を手に入れられる。


天星歴1674年6月24日


 実験は順調だ。生者の魔物を指揮者にする研究は難航しているが、同じ死体の魔物に命令能力を植え付ける事に成功したのだ。統率能力のある者が一声鳴けば、周りの死体達が同時に餌を襲い、一つの意思に従って行動する。統率者自体が本能に生きている為、まだまだ実用的とは言えないが、実験の第一段階としては上々だろう。こんなにもスムーズに事を進められたのは、先日入手した例の魔物の力のお蔭だろうな。奴はこの研究に打って付けだと、改めて確信させられた。しかし、今のペースで実験していては、素材が圧倒的に不足するであろう事は明白。より良い成果を挙げる為には、より多くの死体が必要だ。明日あたり、国王に具申してみようか。


天星歴1674年7月21日


 クソッ、あれから実験の成果は芳しくない。王は私達の要望を叶え、多くのサンプルを秘密裏に搬入してくれている。魔物と魔物を融合させ、新たなる魔物を誕生させる融合機の力も健在だ。だがそれでも、私達が望むような魔物は生まれて来ず、出来上がるのは出来損ないのクズばかり。唯一の成功と言えば、実験の副産物として生まれた、筋肉を異常に発達させた魔物くらいなものか。しかし、アレも費用対効果が良いとは言えず、兵士として運用するには知能が足りない。このままでは、今の方法では駄目だ。何か、何か新たな手を考えねば。


天星歴1674年8月7日


 最悪だ、何という失態だ。我々の研究の要、融合機の行方が分からなくなった。今朝方、奴を使って実験を行っていた同胞達の死体が発見された。それと同時に、奴の姿も消えてなくなっていたのだ。何重にも施していた拘束具は力尽くで引き千切られ、研究室は滅茶苦茶に荒らされていたという。奴め、今の今まで自らの意思を示さず、大人しく我々に従っていたのは芝居だったのか。しかし、なぜ今になって? そのような力があるのであれば、我々に囚われる道理もない筈だが…… 考えても仕方がない。国王に耳に入る前に、どうにかして行方を追わなければ。


天星歴1674年8月8日


 昨日から行方不明となっていた融合機が、あろう事か王城で発見された。研究所と王城を繋ぐ通路の遮断壁に破壊痕があった為、恐らくはそこから侵入したんだろうと思われる。外に出さないよう迷宮化させた研究所を突破し、研究員の中でも極少数の者しか知らない隠し通路を、どうやって知ったのかは分からない。分からないが、こうなってしまった以上、管理を行っていた我々に責が及ぶのは避けられないだろう。挽回できるとすれば、籠城を行うあの融合機を再び捕らえ、国王に奴の有用性を訴える事くらいか。何にせよ、まずは融合機を捕らえなければ。場合によっては、現段階で制御可能な生物兵器を使う必要があるかもしれない。


天星歴1674年8月9日


 どうして、どうしてこうなった? 城下町は動く死体達で一杯になっている。研究所で管理していた魔物達は檻から解放され、我が物顔でそこかしこを闊歩している。王城は、王城は…… 奴が引き寄せた周辺の魔物達によって、最も早くに落城してしまった。城下町ならばまだ生き残りが居るだろうが、城はもう…… 迂闊だった。奴の能力は融合だけじゃなかったんだ。周辺の魔物を操作し、指定された場所に集結させる力、それが奴の第二の能力だった。奴はこの城塞都市に魔物が溢れ返る日を知っていて、この日を狙って城へと潜り込んだ。魔物風情にそんな知性が備わっていると考える事自体愚かしいが、今の私にはそんな考えばかりを思い浮かべてしまう。或いは従魔化されたゴーレムのように、何者かの指示に従っていると考えるのか自然か? どちらにせよ、今の私にできる事なんて……


天星歴1674年8月10日


 私は見てしまった。今の奴の姿は、私が知るものとは全くの別物だ。自らを融合の対象とし、他の魔物や人間を喰らっていたんだ。最早この城塞都市は、奴にとって食卓とそう変わりないのだろう。ああ、奴の息遣いが聞こえて来る気がする。食われたくない、食われたくない。動く死体になった方が、まだ自分の形を残せるだけマシなのに、何であいつの気配が直ぐそこにあるんだ。


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 お、おおう、諸悪の根源っぽい日誌ぃ…… これ、どう解釈したら良いもんだろうか?

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