第65話 ホワイト

 それからの戦闘はものの数十秒ほどのものだった。時間にすれば短いが、俺の感覚からすれば永遠を思わせるほどに永い、圧縮に圧縮を重ねた濃厚なひと時であった。


 俺が前線に復帰してからというもの、巨狼は絶えず霧を吐き出すようになっていた。自分で引き裂いた分の霧を補充し、再び視界を遮るつもりだったんだろう。ならばと、俺は結界の外に控える聖ゾンに火力支援を要請。炎弾による攻撃――― は、この場合オマケみたいなもので、その真の目的は、爆発で霧を部分的にでも晴らす事にあった。そこに白狼の姿があれば、俺とオルカが息を合わせて近距離戦を仕掛ける。また巨狼が霧を吐き出せば、また同じようにと、後はこの繰り返しだ。


 もちろん、巨狼は霧を吐き出すだけでなく、その間にも猛烈な攻撃を俺達に仕掛けて来た。その大部分はオルカが受け止め、その間に俺が反撃。無理だった場合は全力で回避をする事になる訳だが、この戦場は霧の中、しかも俺とは一線を画す力を持つ巨狼が相手なんだ。毎回そう上手くいく筈もない。


 ハクとシロを一撃で屠った鋭利な爪による切り裂き、或いは見るからに凶悪な牙を用いた噛みつき。時に俺はこれら攻撃を回避し切れず、もろに食らう事はないまでも、掠ってしまう事が多々あった。小指を引っ掛けられた程度の接触でも、圧倒的な力の前に体は吹き飛び、接触箇所からは血が迸る。これが痛いのなんのって、正直泣きそうだった。俺、よくまだ生きてんなってくらいの衝撃だったよ。


 気を失ってしまえば楽になるんだろうが、俺が戦線を離脱する度に、オルカの負担は増していく。早く立ち上がらないと、早く戻らないと、早くオルカに助勢しないと。激痛に構っている暇などなく、俺はただそれだけを考えていた。ダメージの処理については、ダリウスが自分の判断で霊薬を出しくれたし、ぶっ飛ばされた先付近に聖ゾンが居たら、何を言わずとも回復魔法を使うよう指示を前以って出しておいたので、勝手に何とかなっていた。兎も角、俺は戦いにだけ思考を割く事ができたんだ。


 で、聖ゾンの炎弾の残弾がなくなり、所持していた霊薬も空になった頃に、漸く巨狼に大きな変化が生じ始めた。それまで僅かに理性を宿していた片目が濁り、裂けた大口から大量の涎を垂らすようになったんだ。ついでに狂暴性も増しているようで、本能に任せた突貫も多くなっていた。そしてオルカが仕掛けた氷の罠に何度も嵌ると、行動がらしくない。そう、明らかに奴は感染状態にあったんだ。


「止まれ、伏せろ」

「ゴォルルゥ……」


 仮に完全な感染状態にあった場合、その攻撃で俺達もゾンビになってしまう恐れがある。俺が急いで命令してみると、巨狼は素直に従い、その場で伏せてくれた。それ以上動く様子もなく、さっきまでの獰猛さが嘘みたいに大人しくしている。


「……ゾンビ化、完了したみたいだ」

「決着、だな」


 勝利が確定した瞬間、俺は緊張の糸が切れて地面に座り込んでしまった。霊薬ゼロ、聖ゾンの魔法は全て枯渇、正に薄氷の勝利である。


「ベクト、すまない。私が誘ったばかりに、ハクとシロが……」


 俺が一息ついていると、今にも泣きそうな表情のオルカが謝って来た。戦闘中は顔に出していなかったけど、やはり本心ではかなり落ち込んでいたようだ。


「ハハッ、俺よりも悲しそうな顔をしてるオルカに謝られたって、俺が困るだけだって。というか、そもそも元は敵である黒霊だ。ハク達に愛着があったのは確かだけど、俺はその辺のラインはしっかり引いてるつもりだよ。だからさ、オルカが自分で気持ちの整理をしてくれたら、俺からはそれ以上言う事はないかな。ゾンビを使役する探索者として、今後も戦力的な入れ替えは避けられない訳だしね」

「そう、か。だが、すまない……」


 だから良いと言っているのに。まあ戦闘中にショックを受けてた訳だし、俺も半分は虚勢なんだけどな。だけど、それをわざわざオルカに言う必要はないだろう。俺なりに供養はして、俺も心の整理をしておくとしよう。


「さて、一応の決着はついた訳だけど、巨狼の処遇はどうしようか? このまま使役するのも良し、倒して成長の糧にするのも良しだぞ?」

「……私としては、使役するのに一票を投じたい。ハクとシロが居なくなって、『嗅覚』による察知係が不在となった。彼らの代わりに、このホワイトに役立ってもらうのが最善だろう。感染した事で、屍の腐臭にも強くなった訳だしな」

「奇遇だな、俺も同意見――― ん? なあ、ホワイトって?」

「この白狼の名前だ。いや、ほら、その、やはり名前がないと不便だし、今まで色んな呼び方をしていて紛らわしかったし、だからホワイトだ」

「……な、なるほど」


 そう言って巨狼改めホワイトの毛を撫でるオルカは、彼女の『修繕』の力でホワイトの肉体を直し始めた。潰された片目や腐り始めていた肉体が元に戻り、見た目だけは最初の頃と全く同じものとなるホワイト。


「オルカ、早速めっちゃ気に入ってない?」

「ま、まあオルカが元気になったのなら、それで良いんじゃないかな、うん。戦力的には俺達と互角な訳だし……」


 ダリウスとそんな会話をしている間にも、オルカはホワイトの体の中に顔を埋めたり、抱き締めたりと結構やりたい放題だった。か、顔を埋めるのは、ちょっとやってみたい、かも? いや、野生の獣は臭いって言うし、そもそもゾンビだしでかなり躊躇する気持ちも―――


「―――って、そうじゃないそうじゃない……! オルカ、当初の目的を覚えているか?」

「……? モフモフ?」

「違うよ!? 鍵だよ!?」


 オルカさん!?


「……フッ、軽い冗談だ。その、ちょっと雰囲気を暗くしてしまったからな。和ませようと、私なりに努力してみた」

「とても冗談には聞こえなかったけど…… まあ良いか。ホワイト、大聖堂で青霊を食った時、鍵を見つけなかったか? 俺達、それを探しているんだ」

「ゴオォ」


 ホワイトが立ち上がり、巣穴の奥に向かって一声鳴いた。


「おっ、心当たりがあるっぽい?」

「運が向いて来たな。だが、今は霊薬の手持ちが心許ない。一度女神像のところまで戻り、霊薬と魔法の補充をしてから向かうのはどうだろうか? ホワイトも先ほどの戦闘後で、万全ではないだろう」

「ああ、そういや俺も切らしていたんだった。じゃ、バッと戻って――― あ、ホワイトに乗って移動とかできないかな? こう、背中に跨る感じで」

「ゴオオ?」

「ッ! ベ、ベクト、お前は天才か……!? よ、よし、乗るぞ? 乗っちゃうぞ……!?」

「オ、オルカ……」


 オルカの鼻息が荒い。何だろう。俺、ゼラのアルコールショックの時と同じ感覚を思い出して来たんだけど。こう、ギャップが激し過ぎるんだよなぁ……


「ほ、ほら、女子おなごは色々な顔を持つって言うし……」


 ダリウスにまでフォローされ始めちゃったぞ、オルカ。


「ベクト、難しい顔をしていないで、早く乗ってみると良い! 凄いぞ、ホワイトの背中! 何と言うか、こう――― 凄いぞ!」

「待て待て、聖ゾンを回収して、ホワイトが通れるように結界を消さないと」


 しかし、語彙力が消失するほど凄いのか。そこまで言うのならと、俺もホワイトの背中に乗って、乗って――― ほわぁぁぁ、何これしゅごい……!


 と、俺はホワイトの背中で腰を抜かした。喩えるならば、そう、全身をモフモフのわんちゃんに囲まれているような、そんな感じ。戦闘時ではあんなに強固だった獣毛が、なぜにこんなにも柔らかいのか? うーん、謎である。


「よし! ではホワイト、大至急大聖堂まで頼む!」

「ゴォオオオオオォ!」


 オルカの号令に、ホワイトが気合いの入った叫びを返す。あれ、そういやホワイトのスピードって、俺の比なんかじゃああああああぁぁぁぁぁ!?


 この日、俺は再び風となった。

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