第38話 積み重なる悪夢

 眉間に深々と突き刺したダリウスナイフをそのまま捩じり、可能な限りこの一瞬でダメージを与える努力をする。ただし、必要以上の深追いは禁物だ。即座に捩じったナイフを抜き、その場から離脱。御供のネズミなら完全にオーバーキルだが…… さて、どうなる?


「ヂュ…… ギ、ギキィ……」


 それは断末魔だったのだろうか? 苦し気な声を最期に上げた黒ネズミは、一度天を仰ぐ仕草をした後、パタリとその場に倒れた。それと同時に、全ての御供ネズミも靄となって消え去ってしまう。出口付近で警戒を続ける俺の耳に入って来るのは、流動的な下水の音のみ。今のところそれ以外の変化は察知できない。


「か、勝ったのか、盟友ベクト……?」

「男爵、まだ巣の中には入らないでください。奴が完全に息絶えたかを確認するまで、油断は禁物です」


 立ち上がろうとした男爵を手で待つように促し、倒れ伏したネズミの姿を注視し続ける。


『相棒、どう思う? 先の一撃、確かに渾身の攻撃じゃったが』


 どうもこうも、オルカがあれだけ警告していた大黒霊が、こうもあっさり倒せると思うか? いや、確かにさっきは、これでくたばれとか言っちゃったけどさ。正直な話、本当に倒せたとは微塵も思っていないし、あんな姿をいくら見せられたって、疑い深い俺は素直に信用なんてしてやれない。要はさ、これで終わりじゃないだろ、絶対。


『うむ、ワシも同意見じゃて。というかほれ、見てみぃ』

「チュウ」


 ダリウスが話したのとほぼ同時に、上の方から新たなネズミの声が聞こえて来た。方向からするに、ボスネズミの死骸(?)の真上、天井部からだ。


「「「「「キュキュキュキュ」」」」」

「ういっ!?」


 無意識に驚きの声を漏らしてしまう。その天井には黒い影のようなものが張り付いていて、そこよりあの黒ネズミが大量に排出されていたんだ。ドボドボと漆黒の下水を垂れ流すが如く、何百という膨大な数の黒ネズミが今も流れ続けている。


「め、盟友ベクト、一旦避難をッ!」

「……いえ、このまま引くだけでは意味がありません。せめて、アレがどうなるのかを見極めないと!」


 天井から落ちて来た黒ネズミ達はこちらに迫る訳でもなく、落下したその場でドーナツの輪を作るように、倒れ伏すボスネズミの周りをグルグルと旋回するのみだ。これは何かの儀式? ボスネズミの死骸に群がっている? そんな事を考えていると、黒ネズミを出し続けていた天井の影が剥がれ落ち、それまでもがネズミとなって舞い落ちた。周りの黒ネズミよりも更に黒い、漆黒のネズミだ。そいつはボスの死骸を踏みつけるようにして着地し、そして―――


「ギィーーーーーー!」


 ―――耳を塞ぎたくなるような、甲高い鳴き声が下水道空間に響き渡った。次いで黒ネズミ達が一斉に中央の取り囲んでいた屍に群がり出し、その鋭い歯で噛みつき、喰らい始める。小さな体から溢れ出す鮮血が周りの黒ネズミ達の体を赤く染め、小さな世界ながらもそこでは正しく、地獄絵図が作り出されていた。


「と、共食い……!?」


 まさかの光景に俺は唖然としてしまう。何だ、一体何が起こっているんだ!?


「盟友、今のうちに吾輩が矢を撃つか!? どう考えても奴ら、正気の沙汰ではないぞ!」

「ッ!」


 オーリー男爵からの提言。そうだ、逆に考えれば今がチャンス。援護射撃もそうだけど、男爵から頂いた接触タイプの爆弾、アレも今が使い時、だろうか? ……いや、爆弾は一度きりの奥の手だ。使いどころを間違うのは絶対に避けたい。


「男爵、お願いします! 今のうちにできる限りの攻撃を!」

「任せたまえ!」


 ―――ヒュン!


「ヂュッ……!?」


 男爵の弓から放たれた正確なる矢は、蠢く黒ネズミのうちの一匹へと見事に命中。続いて二の矢三の矢と、立て続けに黒ネズミ共を射殺していく。


「す、凄いじゃないですか、男爵! 気を散らすどころか、確実に敵を倒せていますよ!」

「い、いやあ、吾輩自身驚いていると言うか……」


 謙遜しているこの間にも、男爵の矢は複数のネズミを射止め続けている。矢と接触した瞬間にネズミの体が吹き飛び、肉という肉が飛び散って――― ん、んんっ? いくら何でもこれはおかしい。最初に現れた黒ネズミよりも、明らかに脆くなってないか? まるで体が腐敗したゾンビのような……


「ヂュ!」

「ギィギィ!」

「いやいやいや、絶対気のせいじゃないぞ、これ!」


 黒ネズミ達はボスの死体どころか、射殺された仲間の死体にまで群がり、共食いを開始した。喰らうその速度は勢いを増し、複数体あった死体はあっという間に骨となり、それまでもが食べられてしまう。オーリー男爵がネズミを倒すペースも大したものだが、今では食べるペースの方が早いくらいだ。


「「「ヂュウ……!」」」

「め、盟友ベクト、吾輩の気のせいかもしれないが、君、あの黒ネズミ達に目をつられていないかい!? ついでに、一匹一匹のサイズが大きくなっているように見えるのだが!?」

「餌の供給が追い付かなくなって俺に目を付けた、ですかね。サイズが大きくなっているのは…… たらふく食ったから?」

「成長期にもほどがあるッ!」


 ツッコミの合間もオーリー男爵の弓の腕は止まらない。体自体は相変わらず脆くはあるようだが、サイズが大きくなる事で体力が増したのか、一撃ではなかなか死ななくなってきている。しかもネズミの群れの頭数が減っている印象も、なぜかあまり受けない。クソっ、男爵があれだけ倒してくれてるってのに。幸い密かに試している屍の操作は成功している。これを活かして何とかするしかないだろう。しかし、どうやって?


「「「「「―――ヂィユウゥゥーーー!」」」」」

「……今度は何の冗談だよ?」


 俺が攻め手に迷っていると、黒ネズミの群体が高らかに声を上げ、積み重なるようにして巨大な一匹のネズミを形作り始めた。俺の背丈ほどはあるだろうか、どんだけの数がいるんだって話だ。一匹一匹が巨大ネズミの中で移動し蠢いているというのに、形成したその形を崩す事なく保ち続けている。遠目であればでかいネズミとしか目に映らないかもだが、近くで見ると内部のネズミ達の姿が丸分かりなので、端的に言ってキモイ。人間ピラミッドのネズミ版かよ。


「「「「「……ヂュッ!」」」」」

「うおっ!?」


 そんな大ネズミが、不意を打って俺に突貫して来た。奴の爪(つかネズミの一部)が皮一枚分掠りながらも、ギリギリのところで回避して体勢を整える。驚くべき事に、合体を終えた巨大ネズミは俊敏だった。積み重なって不安定になるどころか、体が腐ってゾンビ化が進んでるっつうのに、速度が最初の比じゃなくなってる。俺と同じか、それ以上かもしれない……!


 ―――ドクン!


「ッ!」


 攻撃の掠った腕から、焼けるような激しい痛みが走った。この痛み、覚えがある。これはあの時の……!


「盟友! 流石にこれは無理だ、吾輩程度の支援では抑えきれない! すぐに巣の外へ、こちらへ戻るのだ!」

「……申し訳ありません。たった今、それができなくなりました。俺はそちらに戻れません」

「な、何を言うのかねっ!? 一体どういう!?」


 ダリウスに毒消し薬を出してもらい、それを手早く患部にかけてみるも、症状が治まる様子はない。最悪だ。


「あのネズミから『感染』を受けました。それも俺の耐性を超える、強力なものです。手持ちの霊薬では治療できませんから、外に出たとしても、時間を消費すれば俺はゾンビになってしまう。だから、ここからは短期決戦で挑みます」

「「「「「ヂュヂュヂュヂュ」」」」」


 幻覚なんだろうが、対峙するネズミ共が俺を嗤っているように聞こえた。

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