第36話 恐怖の黒ネズミ

「ほ、本当に行く気かね、盟友ベクト!? もしかしたらこの通路には、まだ調べていない隠し扉があるかもしれない。考え直そう、きっと別の脱出路がある!」


 大黒霊に挑む事を告げると、オーリー男爵は必死に俺を止めてくれた。普通、俺が大黒霊を倒したらラッキー程度に思うところだろう、ここは。ほぼほぼ初対面だってのに、本気で心配してくれている。きっとこの人は、根っこのところから良い人なんだろうなぁ。


「オーリー男爵が死んだ目あんな状態になっていたって事は、もう粗方調べ尽くしたって証拠じゃないですか。なら、俺達に残された道は進む事。俺が先行して、その道を切り開きます」

「め、盟友ベクト……!」

「いやいや、そんな顔しないでくださいよ。別に一発で倒すとか、最後に一花咲かせるとか、そんな大層な事は狙ってないんで。せっかく大黒霊には決まった性質があるんです。危なくなったら巣を出る、それまで相手の出方を伺う、チャンスは確実にものにする――― 要はトライアンドエラーですよ」


 つう事で、まずは手荷物から確認していこう。今ダリウスに収納してもらっているアイテムは、オルカへの手土産用にサンドラ達に選んでもらった高級酒が二本、ゼラ一押しのドワーフ殺しが一本。あー、そういや今回オルカが一緒じゃなかったから、渡しそびれてそのままだった。思わぬ殺傷効果を発揮するドワーフ殺しはともかくとして、高級酒は持っていても仕方がないか。空きを作って、その辺の石っころでも詰め込んでいた方が良さそうだ。となれば―――


「―――男爵って、お酒とか好きですか?」

「な、なんだね、藪から棒に? まあ、酒はお喋りの次に好んではいるが……」

「お、良いですね。ストックが圧迫していたんで、これを差し上げます」


 ダリウスに高級酒二本を出してもらい、それらをオーリー男爵に手渡す。


「こ、これは……! 分かる、吾輩には分かるぞ! 銘柄こそは存知ないが、瓶を開ける前からコルクより漂うこの芳醇な香り、相当な銘酒と御見受けする! このような上等な、いや、素晴らしき酒を二本も、この歪んだ世界の一体どこでぇ!?」

「え? い、いや、それはうちの白の空間から持って来たものなんですけど……」

「白の空間からぁ!? と、という事は、これら銘酒を盟友ベクトは無制限に生成できると……?」

「はぁ、まあそうなりますね」

「う、うぱぁ……」


 ―――ザパァン!


 ああ、オーリー男爵がまた水路にぶっ倒れた! それでも渡した酒瓶は、仰向けのまま二本ともしっかり手に握って死守している! 凄い器用な倒れ方だ!


「……お騒がせしたね」

「い、いえ、それよりも大丈夫ですか? 思いっ切り頭から突っ込んでいきましたけど」

「問題ない。というよりも盟友ベクト、こんな高価なものをただで貰う訳にはいかない。微力ながら、吾輩も大黒霊退治を手伝おう」


 男爵からのまさかの申し出。だけど二人で巣に入ったら、大黒霊が更に強くなるんじゃなかったか?


「安心してくれたまえ、盟友ベクトが心配するような事はしないよ。吾輩にできる事といえば、大黒霊との戦いに関する助言、そして巣の外からの援護射撃くらいなものだ」

「巣の外から…… ああ、その手があったか! オーリー男爵が巣の外に居る分には、大黒霊の強さに影響は与えませんもんね!」

「いや、援護射撃については、あまり期待をしない方が良い。確かに大黒霊の強さは変化しないが、巣の境目には見えない膜のようなものがあってね。探索者自身が素通りする分には全く問題ないが、外から放たれる矢や魔法は、その膜によって威力が激減させられてしまうんだ。敵の気を散らす程度の援護だと思ってくれ」

「なるほど…… オーリー男爵、ありがとうございます。それでも後ろに仲間が居てくれるのは、とても心強い」

「感謝するにはまだ早いよ。盟友ベクト、よく聞いてくれ。天井や柱を崩して瓦礫に巻き込む、特殊な爆発物をぶつける。そういった環境や道具を利用する戦い方は、大黒霊にも有効ではある。ただし最後の一撃を与える際は、必ず魔具で止めを刺してくれ。魔具でダメージを与えない限り、大黒霊の耐久値は0にならず消滅しない」

「弱った状態で運よく投擲した石が当たっても、大黒霊は死なないって事ですか?」

「そうだ。これはもう、そういうものだと割り切ってもらうしかない。先人達が幾度となく検証した結果、全ての大黒霊はそのような性質を持っていた。あのネズミも、その点は一緒だろう。それと、身の危険を感じたら即時巣を離脱。これも身を護る上で大切な事だが、注意点が一つある。巣の中から探索者がいなくなると、大黒霊はその瞬間に全回復してしまうんだ。いいところまで戦って外に離脱し回復、その後に復帰して再戦闘という策は通じない」


 続々と新情報がご登場なさる。


「つまり巣の外に出るごとに、また一からのやり直しになると?」

「その通り。しかし、だからといって倒す事に固執し過ぎると、命を落とす事にも繋がるからね。不味いと思ったら、喩え倒す寸前だったとしても逃げる気概でいてくれ。 ……そうだ、これも渡しておこう」


 魔具の小弓から何かを取り出す男爵。それは野球ボールくらいの大きさの、赤い玉だった。


「こいつは使い切りの投擲武器だ。投じた先の黒霊に接触すると、ちょっとした規模の爆発を引き起こす。それなりにレアな代物で、まあ、吾輩の切り札でもあったんだが…… うん、これを君に託す」

「良いんですか?」

「何、盟友ベクトが死んでしまっては、どちらにせよ吾輩も脱出できないんだ。酒を貰った礼、としては物足りないかもしれないが、どうか受け取ってほしい」

「……有り難く頂きます。オーリー男爵、俺からも聞いてほしい事があるのですが―――」


 俺の狙いを数十分ほどかけて話し、男爵と作戦を共有する。そしていよいよ、俺は大黒霊の巣の中へと入る事になった。


 下水道の通路を歩き、巣へ入る寸前のところにまで到着。下水が流れる音のみが聞こえて、他に耳に入る音は殆どない。俺の背後ではオーリー男爵が地面に片膝をつく形で弓を構え、いつでも大丈夫だと頷いていた。


『相棒、ビビるでないぞ。如何に策を練ろうとも、心が折れてしまえば足も竦む。そうなれば、逃げる事もできんわい』


 分かってるよ。じゃ、様子見の第一戦目、行ってみようか。


 巣が放つ鳥肌光線を全身で受け止めながら、俺は巣の境界を跨いでその中へと侵入する。見えない膜を通った感触はないが、先ほどまでの黒の空間とは、また違う世界に入ったという認識はできた。恐らく、これも探索者だからこそ分かる特有の感覚なんだろう。率直に言って気分は最悪、吐きそうである。


「さあて、どこから来る?」


 ―――トン。


 身構えながら周囲を警戒していると、巣のちょうど中央の辺りで何かが着地するような音がした。もちろん、音がするよりも早くに俺はそいつを視界に収めていた。全身を漆黒の獣毛で覆い尽くし、瞳は血で染まったかのように紅色。俺を見定めているのか、ジッとこちらを向いたまま目を離そうとしない。その身の内からは殺気が溢れ出していて、まるで狂暴な肉食獣と出遭ってしまったかのような緊張感が、この場を支配していた。目の前の漆黒獣から放たれる圧倒的なプレッシャーが重い、痛い。今直ぐにでも退避したい。そんな恐怖心を感じていると、奴はただ一言、俺にこう言い放ったんだ。


「……チュウ!」

「チュチュウ!」

「チュー」

「キィ」

「キュッキュッ!」

「「「「「―――チュウ!」」」」」


 ごめん、一言どころじゃなかったわ。

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