第35話 大黒霊の巣

 オーリー男爵が最初に座っていた場所へと移動する俺達。説明するよりも実際に見た方が早いとの事で、その巣とやらを生で目にしに来たのだ。


「盟友ベクト、分かるか? あの先、あそこが大黒霊の巣だよ」


 男爵が指差す先を注視する。下水道の通路が暫く延びた先に、空間がぽっかりと広がっているのが目に入った。天井の高さはここよりも高く、作りに関しては同様の石造り、頑丈そうな太めの大柱が何本か立つくらいに広々としている。所々に水路が敷かれている為か、床は殆ど水浸し状態。ヌルっといかないように注意しないと、誤って転倒してしまいそうだ。この空間を真っ直ぐ進んだ先には、別の場所に繋がっているであろう通路が見える。あそこまで行く事ができれば、もしかしたらこの下水道を脱出できるかもしれない。だけど、それ以上に気になったのは―――


「―――ん、んんっ? 上手く説明できないけど、何となくあそこは危険な気がする……」


 あの空間を目にした途端に、激しい胸騒ぎに襲われた。いわく付きの場所を見てしまって、鳥肌が全身に立った感じって言えば良いのかな。こう、うっ! と本能的に来るんだ。軽く吐きそう。


「それが探索者として正しい反応だよ。失礼だが、盟友ベクトが大黒霊の巣を目にしたのは、これが初めてかね?」

「ええ、その通りです。探索を始めたのも、実はつい最近の事でして。話には聞いていましたけど、ここまで分かりやすいものなんですね」

「その感覚をよく覚えておくと良い。それは大黒霊の巣に限らず、早死にしないちょっとしたコツくらいにはなるからね。しかし、そうか。となれば、盟友ベクトはゼロか……」

「ゼロ?」

「ん? ああ、これは探索者同士で使っている用語だよ。大黒霊を一体も倒していない探索者の事をゼロ、一体倒していればシングル、二体ならダブル――― そんな風にして、大まかに探索者の実力を言葉にして示しているのだ。まあ、いつのまにか広まった風習みたいなものかね。とはいえ、探索者の全員が全員使っている訳ではないし、倒した数によって上下関係が生まれる訳でもない。情報交換をする時に、あそこを探索するならシングル以上の実力がなきゃ厳しいだとか、そんな風に使っているくらいさ」

「へえ、面白いですね」

「そうかい? 気を良くした吾輩はこんな事も教えよう。吾輩が知る範囲での最上位探索者はトリプルなんだが、指一本分で数えられるほどしか居ないんだ」

「指一本…… それ、実質一人って意味では?」

「ハハハ、その通り。大黒霊を八体倒せば死の巫女に会えるというが、トップに立つ探索者でそれなのだから、道筋は果てしなく遠いよ。黒檻はどこまで厳しい世界なんだろうねぇ……」


 この世界は果てしなく広いというし、オーリー男爵の知る探索者が全てでは、もちろんないと思う。けど、それでも大黒霊三体を倒したトリプルが最高、か。まだ大黒霊を目にしていない俺が言うのも何だが、確かにゴールまでの道のりは遠い。


 ……ん? もしかしてだけど、大黒霊を二体倒したと前に言っていたオルカって、この黒檻の世界ではとんでもなく強い、所謂上位ランカーに入るのでは? ダブルだもんな、ダブル。無事に帰還できたら、その辺を聞いてみようか。


「オーリー男爵、とても勉強になりました。貴重な情報、ありがとうございます」

「いや、偉そうに講釈を垂れてしまったが、結局吾輩もゼロな探索者なんだ。使っている魔具も、こんなんでねぇ」


 そう言ってオーリー男爵が俺に見せてくれたのは、コンパクトなサイズの小弓だった。弓がコンパクトならば矢やそのやじりも相応のサイズで、あまり威力は期待できそうにない印象だ。言ってしまえば、ダリウスナイフの弓バージョンである。


『いや、ワシが当たればもっと威力に期待できるし。ワシ、もっとできる魔具だし』


 張り合うな張り合うな。


「大黒霊の相手をするなら、探索者の格――― ゼロだのシングルだのは関係ないと聞いています。大黒霊は巣に入った探索者の人数、そしてそれまでに倒した大黒霊の数に応じて、その強さを変化させるんですよね?」

「ほう、厄介な性質については知っていたか。博学である事は良い事だ。その分、生き残る為の選択肢も増えていくからね」

「なら、その知識を活かして、あの巣をどうにかする手立てを考えませんか?」

「……尤もな意見だ。だが、やはりお勧めはしない。数ヶ月前の事だよ。吾輩は生きてここを脱出する為、大黒霊を倒さないまでも、どうにかしてあちら側の通路まで行けないかと考えた。その為に巣の入り口に足を踏み入れ、巣の主がどのような大黒霊なのか、その性質を見極めようとした。しかし、奴が現れた途端にそんな考えは吹き飛んでしまったんだ…… 吾輩の、最弱のゼロの強さに合わせている筈なのに、次の瞬間にはそこかしこが殺気で満ち、死の気配が漂っていた。隠れて進むのも不可能だと悟ってしまった。心を折られた吾輩は、先ほどのように通路の脇に座り込み、助けが来るのを待っていたという訳さ」


 その時の状況を思い出しているのか、オーリー男爵は両腕で自分を抱き締め体を震わせている。


「だ、大黒霊って、そんなに恐ろしい存在なんですね…… ちなみに、その大黒霊はどんな凶悪な姿をしていたんですか?」

「……ネズミ」

「へ?」

「だから、ネズミだったのさ。まだ物病み溝渠ものやみこうきょを探索していない盟友ベクトは知らないだろうが、この下水道を住処とする黒霊の中には、ネズミ型のものが結構居たんだ。大きさとしては、そうだな…… 中型犬前後の、ネズミとしてはあり得ない大きさだった」

「それは…… かなりでかいですね」

「ハハッ。まあ、この世界ではよくある事だよ。ただ、吾輩の霊刻印がネズミに近づくなと叫んでいてね。あの反応の感じは毒の一種でも持っていたのかな? ともかく、数も多くて倒し切れないと分かっていたから、道中のネズミ共とも全く刃を交えず、ずっと隠れ通して来た吾輩です」

「ハハハ」


 いや、それが正解だったと思う。オーリー男爵の得物なら、相手に気付かれないよう不意を打ち、一方的に倒してしまう戦法がベターだ。敵が多ければ接近を許してしまう可能性もあるし、不必要な戦いは避けるべきだろう。


 しかし、毒かぁ。地上にある屍街かばねがいの性質がここにも存在するとすれば、そのネズミは『感染』持ちだったのかもしれない。ほら、野良ネズミってそんなイメージあるし。うん、やはりオーリー男爵の判断は正解だ。耐性なしで戦うのは、ほぼほぼ自殺行為と同義。そうやって経験者は心の中で勝手に語る。


「でも、賢明な判断だったと思います」

「ありがとう。盟友ベクトにそう言われると、お世辞でも嬉しいものだ。 ……話を続けよう。肝心の大黒霊についてだが、こちらは黒霊ネズミのサイズとは対照的に、一般的なネズミと同じ大きさだった」

「大黒霊の方が小さいんですか?」

「ああ、精々が手の平サイズといったところか。だが、決して油断はしない方が良い。奴ら・・は巣の隙間という隙間から現れ、まず赤く輝く沢山の瞳で吾輩を値踏みするかの如く凝視して来る。そして、次の瞬間には一斉に駆け出して――― あの時の吾輩は、とにもかくにも逃げる事で頭が一杯だった。奴らは一体どんな戦い方をするんだ、隙を見つけて奥の通路まで走り抜けよう。それまで考えていたそんな思考は、一切合切なくなっていたんだ。気が付いたら吾輩は巣の外に倒れ込む形で出ていて、奴らもそれ以上は追って来なかった。 ……全く参考になりはしないだろうが、これが吾輩が確認した大黒霊の全て。ただ一つ言えるのは、あと一秒でも巣を出るのが遅れていれば、吾輩は黒霊達の仲間入りをしていたであろうという事だ」


 話しているうちに顔色が青くなっていく男爵を見て、緊張のあまりゴクリと唾を飲み込んでしまう。でも、なるほど。とても有意義な情報だった。そしてその大黒霊は、どう考えても潜伏型のオーリー男爵とは相性が悪い事も分かった。的が普通のネズミほど小さければ、そもそも矢を当てるのが至難の業。更に奴ら・・というからには敵は複数。散開して迫られれば、接近戦に向かない武器では圧倒的に不利になってしまうからだ。おまけに敵は『感染』持ちの可能性大。ああ、確かにこれはオーリー男爵にとって無理ゲーだ。


 ……あれ? でもこれって、屍街かばねがいでの経験が活かせる時?

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