第30話 パピィ

「スゥ、スゥ…… んみぁ……」


 アリーシャが可愛らしい寝息を立てる。その様子を真横で眺めていた俺は、柔らかな髪の心地を楽しみながら、彼女の頭を優しく撫でてやった。寝ていてもその感触が伝わっているのか、アリーシャの口元がふにゃっとなる。


『なんじゃ、添い寝をしてやるだけか。つまらんのう』


 つまらなくて結構、お前は一体何を期待していたんだか。


『え、それ聞いちゃう? そりゃあ、ねえ?』


 馬鹿ナイフよ、死ぬが良い。死んでるとは思うけど、もう一度死ぬが良い。


 ったく…… うちの馬鹿ナイフはさて置こう。つい三十分ほど前に、アリーシャは俺の部屋を訪れた。その理由は何とも可愛らしいもので、一人で眠るのは怖いから、できれば一緒に寝たいというものだった。その瞬間にダリウスは声のみで器用にずっこけ、何となくこの展開を予想していた俺は、アリーシャのお願いを快く了承したのだ。


 あ、幽霊なのに怖いのかとか、そういう無粋な質問はなしな。喩え幽霊であったとしても、アリーシャの見た目の年齢を考えれば、まだまだ甘えたがりなお年頃なんだ。で、俺のベッドで添い寝をしてやると、アリーシャは吃驚するほどに寝つきが良く、ほんの数分でこの通りぐっすり夢の中。もちもちな頬っぺたを軽くつっついても、まるで起きる気配がない。つんつん、つんつん―――


『……のう、頬を突き続ける行為は良いのか? 流石に突き過ぎじゃないか?』

「ハッ!? む、無意識に指が……!」


 今の今まで血みどろで痛い思いしかしてこなかったから、不意に訪れた至福の感触に俺の指は誘われた訳で決して俺が意図してやったとかそういう事では!


『相棒よ、落ち着けぇ。お主の怒涛の思考がワシにまで流れ込んで来るから、お願いじゃから止めてマジで』


 正直すまんかった。もう大丈夫、俺は冷静、俺は冷静なんだ。


『まったく、忙しないのう。まあ、気持ちは分からんでもない。殺伐とした世界に食という娯楽が生まれ、自分のテリトリーとも呼べる家ができた。それに加え、この娘っ子の癒し効果。落差に戸惑うのは必然のようなものじゃて。今はただこの事実を受け入れ、幸せを堪能するが良い。それが次の探索の糧となり、意欲に繋がるじゃろう。そうして白の空間が更に発展すれば、アリーシャはもちろんサンドラも喜ぶぞい』

「お、おう」


 馬鹿ナイフ、もといダリウスナイフに凄く前向き、しかも至極まともなアドバイスをされてしまった。でも、そうだよな。今ダリウスの言った事は全て正しい。成果を謳歌し、次に繋げよう。それが今の俺のすべき事だ。


『……む! 思ったんじゃけど、何だか娘と妻の為に仕事に向かうパピィな気分じゃないか、これって? つまり、相棒はパピィになった……!?』


 よし、俺も寝るぞー。馬鹿ナイフは黙ってくれなー。



    ◇    ◇    ◇    



 あれから結構な時間が経過した。 ……あー、こんな時、経過した日数で時間を伝えられたら便利なんだろうが、生憎とこの世界は一日という時間の概念がない。だから、敢えてこう説明しよう。黒の空間の探索に三回ほど出掛けて来ました、と。


『オルカと一緒とはいえ、ここ最近の探索は順調が過ぎるのう。通常では考えられぬ縁を持つ相棒の特性上、そろそろしわ寄せが来そうで怖いわい。まあ新たな青霊との遭遇やら、大きな発見もないからトントンかもしれんが』


 何やらダリウスが勝手な事を言っておられる。確かにこの三回の探索では、大きな発見も筋肉ゴリラみたいな化け物との遭遇もなかった。これまで高頻度で救出していた青霊とも、残念ながら新たな出会いを果たす事はできなかった。けどさ、オルカも言っていたじゃないか。それが普通なんだよ。毎回あんな死闘続きじゃ、今まで何とか生き延びて来た俺も、流石に死んじゃう自信がマックスだぞ。


 それに大きな出来事がなくたって、これらの探索は俺にとって非常に有用なものだったんだ。探索エリアは以前の倍までに拡大したし、新たな黒霊だって発見したんだ。殆ど武器違いのせる屍で、新しい霊刻印の発見はなかったけどな! でもほら、地味に俺自身だって成長しているし!


『じゃが、そろそろあの周辺の雑魚黒霊では成長も頭打ちではないか?』


 ダリウスに核心を突かれ、別に見られている訳でもないのに視線を逸らす俺。実はそうだったりする。筋肉ゴリラや赤ゾンビとの戦いを経て急成長した俺なのだが、それ以降、いくら今までの黒霊を倒そうとも、ステータスがあまり成長しなくなってしまったのだ。ぶっちゃけ、この三回の探索で各ステータスがプラス2、3された程度なのである。そろそろ探索場所を移せと暗に言われているようで、慎重に探索を進めたい俺としては歯がゆい思いをしているところだ。


 ただ、全く次の探索場所の当てがない訳でもない。城らしき建物に向かって探索エリアを倍にまで伸ばした事で、俺とオルカは次なるエリア…… だと思われる場所を、前回発見していたんだ。恐らく、次はあの場所を探索する事になるだろう。


『うーむ。できる事ならその手前辺りで、女神像の一つも発見しておきたかったのだがなぁ』


 それは俺も思ってる。新たなエリアに行くという事は、危険度も高まるという事だ。万が一の時の為に、近場に緊急避難場所は是非とも欲しい。毎回今のスタート場所を往復するのは、ちょいと面倒だしな。となれば、もう一度あの周辺で女神像を探してみるべきだろうか?


『オルカと相談してみるが良い。あと、そうじゃな。いつも世話になっておるのだ。また手土産に酒を持っていけば、喜ばれるかもしれんのう』


 言われなくとも、そうするつもりだったっての。オルカとの交流は今のところ順調で、酒という無限物資を得た今、探索の際には彼女にそれらの良いところを毎回お裾分けしているのだ。酒の知識が皆無な俺はセレクションできないので、本業のサンドラや酒豪のゼラに選んでもらっている。 ……え? ゼラはやっぱり酒豪なのかって? ハハッ、ハハハ。今では『大猫の飲屋』にいない時がないよ。あまりの飲みっぷりに、キンちゃんも苦笑いだよ……


 ……うん、話を戻そう。オルカ自身は酒を嗜む程度にしか飲まないそうなんだが、彼女の白の空間にいる青霊達には、この酒のお裾分けが大変好評なんだそうで。オルカもただで貰う訳にはいかないと、以前のアップルパイと同様、様々な料理を代わりに持って来るのが常となった。要は酒と料理の交換である。あちらの青霊さんの気合いが入っているのか、交換する度に料理が手の込んだものに仕上がっているのが何とも。こちらとしては、無限に湧き出て来る酒をただ運んでいるだけなので、その点はちょいと申し訳ないところだ。あと、最初に口にしたからってのもあるんだろうが、俺としてはアップルパイが一番のインパクトだった。アップルパイが食べたいな。アップルパイ、アップルパイ―――


『うわ、相棒の禁断症状が出てしまっておる……』


 俺の頭がリンゴとカスタードクリームで一杯になりかけていたその時、不意に縁故えんこの耳飾に通信が入った。


「ベクト、聞こえるか?」


 オルカである。


「ああ、聞こえるよ。にしても丁度良かった。オルカ、体感的にそろそろ次の探索に出掛ける頃合いだろ? その件について少し相談したかったんだけど―――」

「―――それについて、私も連絡したかったんだ。すまない、ベクト。少々手が離せない状況になってしまってな。次の探索のみ、ベクト単独で向かってもらえないだろうか?」


 ……何ですと?

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